9.part of Y.H.
「朱乃ちゃん……」
美穂はそう呟いて振り返り、朱乃に駆け寄った。朱乃は冷たい、表情のない顔をしていた。
「榛原さん」
「いまの話、聞いていたかい」
「聞いていました」
「どうして父親を殺した?」
「あの人のせいで、母は死んだから」
「どうしてそう思う?」
「だって、あの人は、体の弱い母をほったらかしにして、別の女の人と会ってた。しかも、まだその人を家に呼んだりして……」
「君の母親の扶桑由美子氏は、車椅子生活をしていた。……君の使ったトリックは、十年前の事件が元になっている。そうかな」
「お祖母ちゃんを殺したのは、私じゃない」
「殺された夏美氏が悲鳴を上げたとき、やはり伝声菅の蓋は開けられていた。しかし、夏美氏の死因は出血性ショック死だ。返り血の処理をするには、車椅子は無理がある。つまり、蓋を閉じずに刺したのは由美子氏で、ナイフを抜いたのは別の人間だということだ。由美子氏は病弱だったが、まったく立てない訳じゃなかったんだろう? 由美子氏に容疑を向けさせるために伝声菅の蓋を閉じないというのは考え難い」
朱乃は表情を作らず、私の話を聞いている。
「では、誰がナイフを抜いたのか。悲鳴を聞いた直後、鐘一氏、執事、お手伝いが館中を探し回って、鐘一氏があの部屋で倒れている夏美氏を発見した」
朱乃は肩を震わせ始め、美穂がその肩を抱く。
「悲鳴を聞いた人間が館中を探し回る中で返り血を処理するのは難しい。誰にもナイフは抜けなかった……夏美氏本人以外にはね。君もそのことに気が付いていたんだろう?」
私の言葉に、朱乃は頷いた。黙って、幾度も。
「由美子氏に刺された後、夏美氏は由美子氏を逃がした。救急を呼んでもらおうにも、山道は土砂崩れで通れない。由美子氏は胸にナイフが刺さった状態で、自分が死にゆくことを悟った。そして、伝声菅の口が開いていることに気が付く。それで、悲鳴を上げてから自分の胸に刺さったナイフを自分で抜くことを思いついた。つまり、刺されてからナイフが抜かれるまで時間があったということだ。その時間差こそが夏美氏の思惑だった。悲鳴を聞いた人間が廊下に出れば、各々がアリバイを証言しあうと思ったんだろう。扶桑邸にいた全員にアリバイが発生し、全員が犯人足り得なくなる。つまり夏美氏は、自分の死を闇の中に隠すことで、君の母親の犯罪を葬ろうとした」
私が少しでも話を区切ると、雨の音が辺りを包む。私にはそのことが酷く悲しいことのように思えた。
「鐘一氏はそのことに気が付いていたと、君は思った。君は、母親の死の責任は父親にあると思ったんじゃないか? 君はお祖母ちゃんが大好きだったと言ったが、かと言って母親を恨む気にもならなかった。母親が祖母を殺した原因は父親にあると――」
「やめてよっ」
鋭い言葉で私の言葉を制したのは、美穂だった。
「朱乃ちゃんだって……、辛いのに」
「私は朱乃の犯罪を糾弾したい訳じゃない。ただ、鐘一氏の死は警察によって捜査される。恐らく十年前のように迷宮入りにはならない」
美穂は、私を睨んだ。私は、美穂と朱乃の関係を知らない。もしかしたら姉妹のように接してきたかもしれない。もしかしたら強い信頼関係で結ばれているかもしれない。
だが、私はそれを知らない。
「扶桑朱乃。君は、自分の父親を信じてみるべきだった。鐘一氏が十年前の事件の真相を明らかにするために私を呼んだのは、君を呪いから解くためだった。五年前に殺人を犯した人間のすることとは思えないよ。……君は、五年前の由美子氏の死の真相に関して、私に依頼をしてくれて構わなかった」
朱乃は両手で涙を拭いながら、私の言葉に頷く。
美穂は赤い目で、朱乃の横顔を見つめていた。私は友人のその始めて見る表情を少しの間眺めて、ダイニングを後にした。
静かな廊下には雨の音がよく響く。私はその音の中に何か聞えた気がして後ろを振り返ったけど、そこには静寂が
――終――
悲鳴館の殺人 朝野鳩 @srkw
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