8.part of Y.I.

「まず、犯行がどこで行われたのかを考える必要がありました。妹尾さんは胸をナイフで刺されたのち凍死したものと思われます。では、凍死したのはどこでしょうか。バスタブの中で凍死したとは思えない。他に凍死する場所は、この月白荘の外しかありません」


 俺はそう話し始めた。部屋の中には二人しかいない。しかし話し相手になる気がないのか、俺は無視されている。


「犯行はいつか。夜、私と海老沢さん、水瀬さんが十時すぎに妹尾さんと会っています。なので、その後。さらに言うと、深夜の三時までです」

「……なぜ?」

「三時に、私は死体を見ていました。それと気が付きませんでしたけどね。紫色の、何か置物かと思いました。けど、さっき見たら無かったんです。わざわざ置物を動かす必要は、誰にもありません。他の生き物とも思えない」


 俺は一度相手の反応を伺う。しかし、反応どころか変化さえなかった。


「北棟の勝手口の先に、死体はありました。いや、まだ生きていたのかもしれないが、この段階で、妹尾さんは刺されていました。他に外に出る理由がない。では、一階にいた人間が犯人でしょうか。一階ホールから北棟の階段は扉のガラス窓越しに見えますから、北棟二階でピアノを弾いていたらしい西野原さんは犯人ではないのでしょうか。犯人なら人目に付くことは避けるはずです」


 俺はそう言って、一旦話を区切る。しかしやはり反応はない。部屋の中には静寂が降りて、俺は仕方なく、話を再開する。


「一旦整理して言うと、犯行には三つのステップがありあました。一つ、ナイフで妹尾さんが刺される。二つ、妹尾さんが外で凍死する。三つ、妹尾さんの死体がバスタブで雪に埋められる。この三つめのステップは、一階のホールの人間が三時にいなくなってから、つまり夜中から明け方でも良い。問題は、一つ目のステップです」


 口の中が乾いていた。水でも飲みたいが、生憎持っていない。乾いた舌先で乾いた唇を舐め、俺は話を続ける。


「妹尾さんが刺されたのは、十時過ぎから三時まで。そして、刺されたのは、北棟の二階です。そして妹尾さんは、二階で刺された後、北棟の西の端にある窓から落下した。犯人から逃げようとしたのか、犯人が落としたのかは分かりませんけどね。犯行が一階でなくても良いなら、二階にいても犯行は可能です。つまり、西野原芽衣さん、あなたが犯人なんでしょう」


 西野原は、何も言わなかった。目を泣き腫らして赤くして、そしてゆっくりと首を縦に振った。俺が部屋に入ったときにはもう泣いていて、俺は話をし始める前にハンカチを渡していた。


「勝手口の前に落ちた妹尾さんを動かしたのは、二階の窓から目を逸らす為ですね。死体だけを動かしても無意味だと思って、跡の着いた雪ごとバスタブに移した。勝手口の扉は閉まっていて、妹尾さんは外で凍死することになった」


 俺が話を中断すると、部屋には西野原の鼻を啜る音だけが聞こえた。俺はそれが耐え切れなくて、また話を始める。


「妹尾さんは、十時以降に北棟の階段を使って二階に上りました。誰も気が付かなかった。妹尾さんが階段を使うのを隠す理由はありませんでした。たまたま誰も見ていなかったのです。海老沢さんは、一度席を立ってキッチンへ行きました。そのとき、東棟の階段で二階に上り、北棟二階に移動することは出来た。しかし、毎日一緒にいる海老沢さんが妹尾さんを夜中に呼び出すのは不自然です。妹尾さんがのこのこやっていくとは思えない。……では、なぜあなたは妹尾風花さんを殺したのか」


 西野原は、ハンカチで目を拭いながら「分かるの」と呟いた。俺は自分の推理を喋ってしまって良いのか、分からなかった。これは言わなくても良いことの筈だ。しかし、俺が言わなければ、妹尾風花の死は闇に葬られるかもしれない。……俺はゆっくりと、口を開く。


「あなたは、妹尾風花さんに恨みがあった。いや、正確に言えば、いま妹尾風花と名乗っている女性を殺そうと思っていた。……西野原芽衣さん、あなたは、あの悲鳴館の殺人の日に扶桑邸にいた、西野原明子さんの娘なのではないですか? あなたは……、西野原明子さんと、扶桑鐘一の娘なのではありませんか?」

「そんなこと、知ってたんだ」


 西野原芽衣は、しゃくりあげながら頷いた。俺は下唇を一瞬だけ噛んで、西野原から視線を外す。


妹尾風花senoohuukaは、扶桑朱乃husouakenoの並びかえ、アナグラムだ。あなたはそれに気が付いていた。あなたが偽名を使わなかったのは、西野原という苗字に何かを思い出してほしかったから。しかし妹尾風花は何も言わなかった。あなたは恨みをさらに募らせ、妹尾風花を殺害し、左手の包帯を外した。扶桑朱乃なら、左手首に痣があるからです。しかし、そんなものは無かった。痣を取ったような手術痕もない。妹尾風花は、扶桑朱乃ではなかった」

「じゃあ、誰なの。アナグラムは、たまたまだっていうの」

「いいえ。あの事件の、悲鳴館の殺人の関係者の筈です。榛原夭は、青木美穂であると推理しました。扶桑家に住み込みで働いていた看護師です。当時の言い方だと看護婦か。他に該当する人物はいません」

「扶桑朱乃はどこに行ったのか、知ってる?」

「不明です。あの事件の後少年院に入ったはずですが、その後の足取りは分かっていません」

「そう……」

「青木美穂は、榛原夭の友人でした。私は、妹尾風花の正体を確かめるためにここに来たのです」


 榛原夭は、二十年会っていなかった友人の所在を、ついに突き止めた。しかし榛原は、自分で月白荘を訪れはしなかった。榛原夭は青木美穂に会いたかったのか。青木美穂は榛原夭に会いたくなかったのか。俺には分からない。

 西野原芽衣は俯いていた顔を上げて、俺の顔を見た。やはり目は赤い。


「私をどうするつもり?」

「警察が来たら、自首してください。そうすれば、罪は軽くなる」

「私、殺人犯なのかな」

「殺意が立証されれば、殺人罪に問われると思います」


 西野原は俺のハンカチを握りしめたまま、また俯く。もう話すことのなくなった俺は踵を返して、扉へ向かった。 

 俺が推理をせず、問い詰めなくても、西野原は自首したかもしれない。俺のしたことと言えば、情報を整理してそれを西野原に話したことだけだ。

 廊下に出て窓の外から空を見上げると、南天に太陽が昇っている。雲は無く、薄い水色が空を塗りつぶしていた。

 しばらく空を見ていた。

 やがて静かな中にばらばらという音が聞こえ始め、蒼天の中、一機のヘリコプターがこちらへ向かってくる。どうしたのかと思っていると、廊下から視線を感じた。見ると水瀬が立っている。


「警察に通報し直したよ。石神さんを疑っていた訳じゃないが、必死に話をしたらレスキュー隊が助けに来てくれるってさ」

「そうですか」


 俺が警察に通報したとき、俺は何と言っただろう。ひょっとして、助けの必要性を訴えなかったのではないだろうか。

 自分でどうにかできると思っていたのかもしれない。

 思えば、四人の中に殺人犯がいる状況だった。それを言えば、警察がヘリコプターを飛ばすことくらい、考えられる。


「……西野原が犯人だったんですか」

「話を聞いただけですよ。でも、ちょっと具合が悪そうでした」


 水瀬は何か呟いて、ホールに入っていった。俺はそれを見送って、その場に座り込む。

 俺には何が出来たのだろう。

 榛原夭なら、どうしたのか。

 少し、疲れた。


「ありがとうございました」


 突然そう声が聞こえて辺りを見回すと、今度は海老沢未来が立っている。俺は左右に首を振って、


「俺は何もしていません。何も、出来なかった」

「でも、真実が分かったんですよね」

「どうでしょうね」

「私は、自分が犯人ではないことを知っていました。それでも、人に疑われるのが嫌だった。だから、石神さんが真実を知って、私を疑わなくなったのなら、私は良いんです」


 海老沢はそう言い残して、ホールへ去っていった。

 死は闇に葬られなかった。しかし、榛原夭は妹尾風花の、青木美穂の死を知ったとき、どう思うのだろう。

 ヘリコプターの羽の音はすぐそこまで近づいて来ている。

 不意に、目の前の扉が開いた。

 部屋の中から、西野原芽衣が出てくる。目元のメイクは直されていた。


「行きましょうか」


 西野原は俺を見てそう言い、廊下を歩き始めた。俺は立ち上がってその横に並ぶ。俺がホールへ続く扉を開けると、西野原は礼を言ってそれを潜った。

 ホールでは水瀬が窓の外を見つめ、海老沢がソファに座って指を組んでいた。


「来たぞ」


 水瀬はそう言って、玄関に出ていく。海老沢も続いていった。玄関に繋がる扉は開け放たれていて、俺と西野原は並んで玄関で靴を履き、上着に袖を通した。

 俺は西野原の前に出て、玄関の扉を開き西野原をエスコートする。西野原は扉を潜りながら、吹き込んできた冷たい風の中で何か言ったようだった。

 しかしその声はヘリコプターの音にかき消されて、俺の耳までは届かなかった。

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