2.part of Y.I.

 窓の外の雪に音は吸い込まれ、辺りは静けさに飲み込まれている。赤い絨毯が敷かれた廊下の前を歩く海老沢未来えびさわみらいという使用人は愛想の良い二十歳を過ぎたくらい、つまり俺と同じくらいの歳の女性で、格好は青いジーンズとライトブラウンのセーター。俺はその後ろ姿に適当な言葉を投げることにする。


「海老沢さんは、住み込みですよね?」

「そうですよ。バイトですけど」


 海老沢は肩越しに振り向いてそう応えた。俺は質問を重ねる。


妹尾せのおさんとは、どういう知り合いで?」

「私、大学で楽器をやってるんですけど、その伝手です」

「へぇ」


 妹尾風花ふうかという一人の女性がこの屋敷の主だ。俺はその妹尾という謎の多い人間にいくつか聞きたいことがあって、この屋敷――月白げっぱく荘にやってきた。

 月白荘は長野の山奥に別荘用に建てられた屋敷で、どういう訳かそこに住んでみようという気になったのが妹尾風花だった。妹尾はどこから用意したのか大枚をはたいてこの館を買い、人に貸すこともなく、一年中ここに住み着いているらしい。

 なにしろ建っているのが山奥だから、ときたま麓の町まで買い出しに行かなくてはならない。妹尾風花自身はまだ四十五才とかいう話だが、この年末の忙しい季節に手首の骨を折ったとかで、いまは使用人を一時的に雇っている。それが俺の前を歩く海老沢未来というわけだ。

 妹尾はどういう訳か音楽家やらに知り合いが多く、今日も音楽ライターがこの月白荘に来るらしい。バッティングは避けてほしかったが、この季節は吹雪くことも多い地域らしいから、仕方がない。

 とまぁ、色々調べてから来ている訳ではあるが、それを隠しながら相手の出方を見るのが探偵というもの。そんなことを考えながら歩いていると、海老沢が廊下の一番奥のドアの前で立ち止まった。どうやらそこが妹尾の部屋らしい。

 海老沢がドアをノックして、「妹尾さん」と呼びかける。部屋の中から何か聞こえ、海老沢がドアを開けて中へ入る。俺も後に続いた。

 部屋の奥には木製のデスクが置かれていた。その上には分厚い本が数冊とノートパソコン。そしてその向こう側に、一人の女性が椅子に腰かけている。


「あなたが、探偵さん?」


 白い筋が幾つか入った髪は肩に下ろされ、肩に紫色のカーディガンを羽織っている。デスクの上で包帯の巻かれた左手に右手を添え、金縁の小さな眼鏡を掛けていた。


「妹尾風花さんですね。この度は無理を言って申し訳ありません。私、東京の榛原探偵事務所から参りました、石神雪人いしがみゆきとです」

「ええ、話は電話で伺いました。榛原夭さんの事務所ね?」

「そうです。今日は私が、榛原の名代で伺いました」


 俺がそう言うと、妹尾は俺の後ろの海老沢へ「少し、下がっていて」と言った。ドアが開いて閉じる音。背後の気配が消える。


「榛原さんは、お元気? 事務所は大きくなったの?」

「元気ですが、所員は榛原と私だけです」


 妹尾は彼方を見るような目をして、口元だけで笑った。俺は主題へ切り込む。


「それで、妹尾さん。お話はいつ伺えそうですか。他にもお客さんがいらっしゃると伺っていますが」

「そうね。明日の朝で良い? それまでに思い出しておきます――悲鳴館のことですよね」


 俺は頷いて了承し、「では」と言って話を終わらせた。妹尾は目の奥が覗けないというか、小さな動作が少なすぎて考えが読めない。俺は礼を言って廊下へ出ることにした。いま無暗に話しても時間の浪費になるだけだと判断したのだ。

 記憶を逆再生するように廊下を歩くと、玄関から扉一枚で通じているホールのソファに海老沢がちょこんと座っていた。


「石神さん、本当に探偵なんですか?」

「見えませんか」

「いえ、まぁ」

「まだ見習いなんですよ。うちの事務所、ボスがほとんど全部の仕事をしてるから」

「じゃあ、このお仕事は、重要じゃないんですね?」

「どうでしょうね。まだ分かりませんけど、妹尾風花氏を疑っている訳ではありませんよ」


 俺が苦笑を交えながらそう言うと、海老沢は手を振りながら「そういうわけじゃ」と言った。


「多分、大丈夫でしょう。昔の事件を調べているだけです」

「昔の事件、ですか」

「詳しいことは言えませんが」


 俺がそう言いながら着ているベストのポケットに両手を突っ込んだとき、玄関の方から冷気とドアの開く微かな音がホールに流れ込んできた。海老沢が玄関へ向かい、俺も後に続く。

 玄関へ続く扉を潜ると、大きな扉はいままさに閉じられるところだった。入ってきたのはダウンジャケットを着た男女二人で、それぞれが雪まみれになっている。


「ちょっともう、こんな予報じゃなかったじゃない」

「仕方ありませんよ、山の天気に文句言わないでください」


 準備が良いことに玄関の棚にはタオルが入っていて、海老沢はそれを取り出して二人に手渡した。二人は礼を言ってジャケットの雪を払ってそれを脱ぎ、コートラックに掛ける。海老沢は「こちらへ」と言ってホールへ案内し、俺はその後をついて歩く。

 暖房の入っているホールで海老沢は、魔法瓶から紅茶を三杯カップに注いでテーブルへ並べた。ホールは五メートル四方くらいで、ローテーブルとソファが置かれている。壁には白い峰の絵が一幅掛けられ、絨毯はやはり赤い。

 雪まみれになっていた二人はありがたそうに紅茶に口を付けた。俺もそれを軽く啜り、気付かれないように二人を観察しながら質問を投げかける。


「いま、そんなに降ってるんですか」

「ええ、もう吹雪になりそう」


 答えたのは緑色のセーターを着た女性の方だった。男性の方は膝に置いたバッグの中身を気にしている。


「ひょっとして、あなたが探偵さん?」

「石神雪人といいます」

「妹尾さんの都合で探偵さんと同じタイミングになるかもとは聞いていました。思っていたよりお若くて、驚きました」

「音楽ライターの方ですよね?」

「ええ。西野原芽衣にしのはらめいです」


 西野原は見たところ二十五歳くらいか。顔の造作が派手でメイクも少し大げさに見えるが、仕事の為に気合いを入れているのかもしれない。


「こっちが、編集の水瀬みなせさん」

「ああ、どうも。水瀬譲二じょうじといいます」


 水瀬はバッグから視線を上げて俺にそう挨拶した。水瀬は見たところ五十歳くらいで、大柄で肩幅があって首が太い。目が落ちくぼんでいて、顔には皺が深く刻まれている。

 水瀬はバッグからカメラを取り出してそれを確かめ始めた。西野原はカップを持ち上げながら、ようやく口元を緩める。


「それで、どうして探偵さんが月白荘に?」

「少し、話を聞きに来ただけです。面白いことはないですよ」

「へぇ?」


 西野原は訝し気に俺を見て、また紅茶に口を付ける。

 そのとき、ホールの窓が音を立てて風に揺られた。


「本当に吹雪いてきましたね」

 海老沢がそう言い、釣られて窓を見ると、外では大粒の雪が突風に煽られていた。



 俺を含めた三人は、海老沢にそれぞれ二階の客室へと案内された。夕食にはまだ時間がある。俺は荷物を割り当てられた部屋に置いて、廊下に出た。

 玄関から繋がっているホールには窓付きの扉で隔てて南と西へ二本の廊下が伸びている。月白荘はL字になっていて、ホールで結ばれた北棟と東棟からなっているらしい。階段は北棟のホール側の端と東棟の南端にあった。客間は全て東棟二階にあるようで、北棟にはさっき行った書斎や、妹尾風花の寝室、風呂場などがある。

 俺は月白荘の廊下を一周し終わって、二階のホールで窓から吹雪の酷くなるのを見ていた。


「探偵さん」


 東棟に繋がる扉の開く音と俺をそう呼ぶ声が聞こえ、振り返ると西野原芽衣が立っている。手には小振りなバッグを持っていた。


「私のことは石神と、苗字で呼んでくれませんか」

「探偵じゃないから?」

「どうしてそう思います」

「だってさっき、探偵か聞いたとき頷かなかったし。それに榛原夭って、孤高の探偵で有名じゃないですか」

「榛原にはこの件を一任されています」


 ふうん、と口をとがらせて西野原は、俺の隣に並んで窓の外に目を向けた。俺は質問を向けてみることにする。


「妹尾風花については、何を知っていますか」

「音楽家の知り合いが多いってこと。今回もとあるピアニストの特集を組むのに、話を聞くことになってます。過去はあまり言いたがらない人ですね」

「この月白荘の前の暮らしは、まったく?」

「知りません。そういうのって、調べてから来ているんでしょう?」

「いえ、そちらの業界のことを知りたかったのです」

「そう……。じゃあ、夕食のときにまた。私、お風呂を使わせてもらいます」


 西野原はそう言いながら、北棟に入っていった。

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