『お日様的倒錯』

 



 彼女はお日様から来たのだと言った。

 その時の教室には、斜に構えた太陽の光が差し込んでいて、馬鹿みたいな交差を創り出していた。

「お日様? それは……つまり太陽と言うこと?」と僕が問う。

 それは、先ほどの不意打ちに近い爆弾のような発言に対して持ち合わせた反応の中では限りなく冷静なものだったと思うのだけれど、彼女はそれがひどく滑稽なことに感じられたのか、壊れたトランペットみたいにおかしな高い声で笑った。

「お日様はお日様よ。あの空に浮かんでるでっかい火の玉よ」

 あなた面白いこと言うのね、と彼女は続ける。 

 僕は呆れて、徐に近くにあった窓を開ける。

 外の世界は夏で、濃密な灼熱と、空虚な冷気が僕の胸の内で溶け合った。

「カルピスとコーラを混ぜて飲んだらどうなると思う?」

「おすすめしないわ」と彼女は答えた。

 やったことがあるのか、と僕は思った。

「暑いから窓閉めてくれない?」と彼女はうざったそうに言う。

「お日様から来たのに?」

「お日様は涼しいわよ?」

 妙に噛み合わない会話。教室には僕と彼女以外、誰もいない。

 お日様が涼しい? そんなことがあるのだろうか。

 いやそもそもこんなおかしな話をどうして真面目に考えようとしているのだろうか。

 頭の中でいろいろな感情がせめぎ合うけれど、それらひとつひとつは言葉にして表すことが出来ないほどに複雑だ。

 一つ喩えるとすれば、夏のむせかえるような暑さを言語的に表現できないのと同じようなものだ。

 それはきっと僕の力不足が招いていることでは無いと思う。

 外を見る。

 真っ白なほどに青い空には、酷く攻撃的な太陽が座っていた。

「お日様はどんな場所なんだい?」

 暑さで頭がぼんやりとして、僕は無意識にそんなことを口走ってしまう。

「みんながいっぱいいるの。高いビルがいっぱいある場所もあれば、恐ろしい森が広がる所もあるのよ。私は高いビルがいっぱいある場所で生まれたんだけど、同じクラスには乾いた砂の広がる場所から来た人も居たわね。四季だってあるのよ? 春冬夏秋って」

 その言葉を聞いて、僕は唖然とした。

 彼女を見ると、さも当然という顔をしていて、どんな嘘も冗談もついていないようにみえるのだ。

 それはあり得ない話のはずなのだけれども、僕はそのことに自信が持てなくなっていた。

 果たしてお日様に人が住んでいないというのは本当なのだろうかと思うようになっていた。

 きっと、夏の暑さで頭がおかしくなっているのだ。僕は項垂れる。

 蝉の嘲笑が聞こえてくる。

 こうして無限の渦の中に陥っている僕を嘲る声だ。

 お前はどこまで馬鹿なのだ。

 お日様に人が住んでいるかいないかということに、どうしてそこまで苦しまなければいけないのかと夏が言っている。

 彼女は僕の前で、毅然として立っていた。

 その目には強い意志を持っていた。

 何か僕にはないものを持っているような気がした。その澄み渡った目の奥にあるものが、僕に大事なことを訴えかけていた。

「ねえ」と彼女がぽつりと声を漏らした。

 それは僕に投げかけているのか、それとも僕と彼女の間にある漠然とした空間に置いただけなのか、よく分からないくらいに曖昧な呟きだった。

「地球にみんなは住んでいるのかな?」

 僕はそのことに対する答えを持ち合わせていた。

 厳密に言えば、持ち合わせているはずだったのだ。

 先ほどまでそこには確固たる自信があった筈なのに、少し目を離しただけでそれは遥か遠くに連れ去られてしまった。

 僕の心には何か決定的なものが欠けていて、果てしなく困難な問題が僕の眼前に横たわっていた。

「ごめん。分からない」

 必死になって絞り出した結果の言葉は、冷え切った教室の空気と変わらないくらいに空虚なものだった。

「じゃあ確かめよう」と、彼女は答えた。

 朗らかな声だった。僕に欠けているものが何か、少しだけ分かった気がした。






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イエロー・サブマリン 雫石 @ShizukuIshiRIA

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