第4話 溝

 ――どうして先生は自殺したのか?


 標本目録作りは、その理由を知るためでもあった。

 先生が人生の大半を過ごしたこの研究室に、何か手がかりがあるはずだと考えていた。

 けれど、いくら探してもそれらしき痕跡は見当たらない。

 一途に研究を続けていた男が、ある日すべてを放り出してどこかへ消えたようにしか見えなかった。

 あまりに不自然な状況に、当初から抱いていた疑惑ぎわくふくれ上がる一方であった。


 ――もしかして先生は誰かに殺されたのでは?


 考えないようにしても、一度生まれた疑念ぎねんを頭から追い払うことはできなかった。


 はっきり言って思い当たる節はゼロではない。

 本棚にしまわれた、厚い革で装丁された大きな本を見る。

 手にとればずっしりした重さが手に響き、表紙を開くとかんむりを被った救世主の挿絵が描かれていた。

 動乱の時代を生き延び、千年以上の長きに渡り語り継がれる書物――聖書だ。


 聖書の記述と地球が語る歴史が一致しないという見解は、多くの博物者たちからの支持を得ている。

 1658年、アッシャー大司教は聖書の記述をもとに、神が地球を創造したのは紀元前4004年10月23日だと断言したが、地球の年齢は六千年では語られないほどの年月の痕跡が地層に残っている。

 また、聖書では海が地球を覆ったのは天地創造の時とノアの洪水の時の二回とされているが、最近の地質学の研究によれば、たった一回の大洪水では語られないほど、地球全体で周期的な破壊と想像が繰り返されていると示されている。

 けれど、はっきりそれを公言してしまえば、宗教界から聖書の教えに歯向かう危険な考えだと猛反発をくらい、神への冒涜ぼうとくだとそしられる。

 かつてコペルニクスが太陽中心説を、ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えた時、彼らは発見を闇に葬り去ろうとしてきた。

 創造論と地質学。神学と科学。

 近年、両者の溝は深まるばかりだ。


 先生はどこまでも真理を追求する人であった。

 だからいつかどこかで、誰かにとって不都合な真実を見つけだした時。

 かつての研究者たちが己の命を天秤てんびんにかけて真理を選んだように、同じ道を歩むだろうと確信していた。

 だから、私は逃げた。研究に命をかけるほどの情熱はなかった。

 ただ穏やかに生きていきたかった。

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