第7話 エウレカ

「それで紙片に書かれていた暗号を解読したら、先生が懇意こんいにしていた博物館の住所だったと」

「ああ。教え子が尋ねてきたら渡して欲しいと、職員の一人が先生からこの箱を預かっていたよ」

「中身はもう見た?」

「まだだ」

 これ以上、相棒に不貞腐ふてくされてしまわれたら困るからな、と心の中でつぶやいた。

 先生から私あてにメッセージが残されていたことに、どうして僕じゃなかったのかとアーサーはかなり不機嫌になったが、今はそんな感情はどこへやら、机の上に置かれた木箱と私の顔を交互に見て早く開けてと視線でうながした。

 ふっと息を吐き決心して木箱を開けると、黄ばんだ頭蓋の一部が出てきた。

 マンモスと一緒に見つかった例のホラアナグマの頭蓋冠だろう。

 手袋をつけ木箱から骨を取り出して横に置く。

 アーサーは興味深々に眺めていたが、すぐにいぶかしげな顔になった。

「これ、本当にクマ? 別の生き物に見えるけれど」

「同じ意見だ」


 研究室にまだ残っていたヒグマの頭骨と並べてみると、違いは明らかだった。

 ヒグマの頭蓋は厚みがありがっしりして形は細長いが、例の頭蓋冠は軽く薄く丸みを帯びている。目の位置もはっきり異なる。

 それに頭頂骨の面積が非常に広い。脳の容量が大きい動物の特徴だ。

 ふいに、先生の日記に描かれていたキルヒャー神父の巨人の絵が頭をよぎった。

 あれは巨人と初期の人類が同じ時代に闊歩かっぽしていたことを示す絵だった。

 だが、実際は巨人の骨ではなくはマンモスのものであり、あの絵を新しく描くなら、マンモスと初期の人類の絵になるだろう。

 マンモスとヒト。

 もしかしてと思い、謎の頭蓋冠の隣にヒトの頭蓋骨と並べると非常に似通っていた。

 ゾクリと肌が粟立あわだつ。

「これはホラアナグマではない。――ヒトの骨の化石だ」

 研究室に沈黙が訪れた。

 ヒトの骨の化石はいまだかつて見つかったことがない。

 本当にヒトのものだとしたら歴史を揺るがす世紀の発見となるだろう。

「ノアの方舟に乗れなかった罪人か?」

「でもマンモスと同じ地層で見つかったんだよね?」

「ああ」

 地層の情報から、マンモスは洪水が起きるよりも前に生存していたことが分かっている。ならば、この骨の持ち主は大洪水以前のヒトになる。マンモスと同じ大地を歩いていた人間。

 お前は一体、誰だ?

 ペイレールの書いた異端の書『アダム以前の人々』にでてくる異邦世界の住人の可能性もあるのか?

 「ねぇ、シャーク。この人は本当に僕たちと同じ人間なの? それにしては目の上の骨が違うように見えるんだ」

 アーサーの指摘はもっともだった。

 目の上の隆起――眼窩上隆起がんかじょうりゅうきが現代のヒトのものと較べかなり分厚い。

 額も低く、どちらかというと――

「もしかしてさ、こういうことじゃない?」

 アーサーはいつの間にか手にしていたチンパンジーの頭蓋骨を、ヒトと謎の頭蓋冠の間に置いた。

 謎の頭蓋冠は、額が前方へでていることからチンパンジーとは異なる。

 だが、眼窩上隆起が二重のアーチを描き頭蓋冠は低く、現代のヒトホモ・サピエンスと同じとは言い難い。

 ヒトではない、ヒトに似た骨。

「もしかして、ミッシングリンク……?」

 「存在の大いなる連鎖」の人とサルの間を埋める存在。先生が長年探し求めていたもの。

 だが、たとえそうだとしたら新たな問題が浮上する。

 先生はどうしてこの重大な発見を隠していたのだろうか。

 なぜ調査団を立ち上げ洞窟のことを大々的に調べなかった?

 まるで、そう。

 早い段階で誰かにこの発見が見つかったら闇に葬られてしまうと予想し、然るべき証拠を集め、粛々しゅくしゅくと準備していたようだ。

 何か見落としているのか。

 腕を組むと首からさげたペンダントが揺れた。

 サメの歯を見て、はっとした。


 ニコラス・ステノは地層から見つかる貝が現生のものと異なることから、生物が年月をかけて変化してきたと主張した。

 ジョルジュ・キュビエは種は不変ではないと唱えた。地球は定期的に大変動を繰り返しており、その度に種は新しく生まれては刷新さっしんされている、とも。

 頭の中で点と点がつながっていく。


 もし、だ。

 種は不変ではないのなら。


 ――その法則はヒトにも当てはまるのではないだろうか。


 背筋を嫌な汗が流れる。

 もし、ヒトという種が変わるなら。

 ヒトも長い年月をかけて変化し続けているのなら。


 チンパンジーの頭骨と古代の人類と思われる頭蓋冠、現代のヒトの頭骨を見る。

 どれも別々の種だ。

 けれど、この点と点の間を結ぶ線があるのなら、失われた隙間ミッシングリンクが埋まる。

 間違いない。エウレカだ。

 先生がたどり着いただろうこの仮説が正しいならば世紀の発見どころの話ではない。

 ヒトのあり方が根本からくつがえされる思想だ。

 なぜなら

 ――ヒトは神から祝福された生物ではなくなるからだ。



「この化石が発掘された洞窟へ行こう。地層を調べればこの骨の由来が分かるし、さらなる発見があるかもしれない」

 地図を開き、座標をもとに洞窟の場所を指し示すと、さっとアーサーの顔に影が差した。

「……本当にそこなの?」

「この場所について何か知っているのかい?」

「僕の家、融資に関わる仕事をしているから、いろんな情報がいち早く手に入るんだ。だからこれはまだ公表されていないことなんだけれど」

 そう言いながら、アーサーは地図を北から南へ指をゆっくり滑らせた。

「今度、ここからここに鉱山をつなぐための鉄道が走る予定なんだ。その洞窟の場所はその通過点にある。そして工事は先日から始まっているんだ」

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