三 お婆さんの正体

 ところが、その翌朝、あのお婆さんの正体へと繋がる、とんでもない出来事が起ったのです。


 それは、朝食の少し前のことでした……。


 となりの部屋――つまり303号室の前の廊下がなんだか妙に騒がしくなり、気になったわたしは様子を見に行ってみたのですが、すると、どうやら303号室に入院していた患者さんが亡くなったらしいのです。


 このフロアにある病室は全部大部屋なので、わたし同様、そんな重篤な患者さんはいないはずなのですが、まあ、それでも病人ですし、突然の急変というのもなくはないでしょう……。


 ですが、慌しく出入りするお医者さんや看護婦さん達の背後からこっそり部屋を覗いたわたしは、その亡くなった人のベッドの位置を見て愕然としました。


 それは昨夜、あのお婆さんが声をかけていた男性の寝ているベッドだったのです!


 これは偶然の一致なんでしょうか? ……いえ、そんな偶然ってあるものなんでしょうか?


 あのお婆さんが声をかけ、寝かしつけていた患者さんが命を落とした……。


 もしかして、これまでにお婆さんが寝かしつけていた患者さん達も、みんな同じように……。


 不穏な想像をしてしまい、どうにも気になって仕方のなくなったわたしは、看護婦さん達も落ち着きを取り戻したその日の昼食の際、それとないフリをして訊いてみました。


「あ、あの、昨日や一昨日とかもこの三階で亡くなった患者さんいませんでした? 例えば一昨日は301号、昨日は302号で……」


「え? ……ええ。残念だけどね……」


 わたしのその質問に、看護婦さんは顔色を曇らせると、どこか言いづらそうにして首を縦に振ります。


「じゃ、じゃあ、もしかして301号はお爺さんで、302号は中年のおばさんじゃありませんでした?」


「……え? ええ。そうだけど、ひょっとして知り合いだった?」


 少なからず驚きを覚えながらもさらに突っ込んで尋ねるわたしに、看護婦さんは何か勘違いをしたようでしたけれど、これではっきりしました……驚くべきことに…というよりも案の定と言うべきか、やはり、あのお婆さんが寝かしつけた患者さんは全員亡くなっていたのです。


 それじゃあ、あの「よーくおやすみ」というのはただ単に眠らせているんじゃなく、永遠におやすみ・・・・・・・というような意味だったんじゃ……。


 じゃ、じゃあ、あのお婆さんは死ぬ人がわかる予知能力者……いいえ、そんな入院患者はいないっていうし、もしこの世に存在する者じゃないんだとしたら、いわゆる死神か、あるいはあっちの世界へと引っ張っていってしまう怨霊……。


 今さらながらにもそのことへ思い至ると、わたしは背中がつーっと冷たくなるのを感じました。


 そんな恐ろしいものの存在を知ってしまっては、もう怖くてこんな場所に寝泊まりなんかできません。


 でも、幸いわたしは経過観察も良好だったので、明日には退院することになっています。


 あと一日でここから離れられる……わたしは何事もないことを祈りながら、なんとか恐怖を我慢して入院最後の夜をやり過ごすことにしました。


 これまで同様、この日も真夜中の二時になぜか目が覚めてしまいましたが、さすがにもうジュースを買いに行く気にもなりません。


 早くまた眠ってしまおうと目を瞑るのですが、どうしても頭に浮かんでしまうのはあのお婆さんのことです。


 今夜もまたどこかの部屋にいるのかな? 今までに見かけたのが301、302、303か……え? これってだんだんに近づいて来てない?


 これもまた今さらながらですが、わたしはふと、その法則性に気づいてしまいました。


 一夜ごと、部屋番号を1から順に、あのお婆さんは現れているのです!


 だとすれば、今日は次の304号……ああ、よかった。なんとかギリギリでわたしの部屋は免れた……。


 だんだんこの305号室に近づいて来ているとはいえ、その法則性から考えるのにあと一日はとりあえず大丈夫なはず。


 不幸中の幸いにも、そんな最悪の事態を回避できたことにわたしは安堵したのですが……。


 ……いや、待て。303号はおとなりの部屋だ……そうだ。病院は〝死〟を連想するから〝4〟の付く部屋番号を飛ばすことが多いんだ。


 だとすれば、303の次はこの305号室……。


 と、その時。


「――おやすみ。よーくおやすみ……」


 あの、お婆さんの優しげな声が…いや、今は不気味にしか聞こえないあの声が聞こえてきたのです。


 わたしは廊下側にあるベッドに寝ているのですが、その声は左側の、窓辺に面したベッドから聞こえます。


 咄嗟にそちら側へ目を向けると、カーテンがかかっているので直接は見えないのですが、そのクリーム色のカーテンを影絵のスクリーンのようにして、非常灯か何かの明かりであのお婆さんのシルエットが浮かんでいました。


「……おやすみ。安心してよーくおやすみ……」


 カーテンに映し出されたお婆さんの影は風もないのになぜかゆらゆらと揺れながら、やはりベッドで寝ている入院患者を寝かしつけようとしています。


 そのベッドに寝ているのは、わたしも同室なので仲良くしている、品の良い高齢のご婦人です。


「……おやすみ。安心して寝ていいんだよ? ゆっくりとよーくおやすみ……」


 あのお婆さんに寝かしつけられたら、永遠の眠り・・・・・についてしまう……。


 なんとかして助けなければ…という気持ちにも駆られましたが、それよりも恐怖の方が何倍もまさりました。


 わたしは頭からすっぽりと布団をかぶり、ギュっと硬く目を瞑りながら、


 消えて! 早くどっかへ行って!


 と、心の中で願い続けました。


 それからどれくらい経ったかも憶えていませんが、気がつけばあの声は聞こえなくなり、部屋の中はシーン…と静まり返っていました。


 ……ハァ……よかった。ようやくいなくなってくれた……。


 やっとわたしは胸を撫で下ろし、安堵の溜息を吐くとともに布団から顔を出しました。


 ……が、それはわたしの油断でした。


「ひっ…!」


 なんと、布団から出したわたしの目と鼻の先に、あのお婆さんの皺くちゃの顔があったのです!


「あんたの番はまだだから、あんたは起きててもいいよ」


 耳元でそう告げるお婆さんの声を聞いた瞬間、わたしは気を失いました――。




 翌朝、異様な喧騒に目を覚ますと、残念ながらわたしの推測通りに、となりのご婦人は亡くなっていました。


 急な心筋梗塞とのことでしたが、特にこれまでそうした症状があったわけではありません。


 後で話を聞いてみると、この四日間で亡くなったこの階の患者さん達もみんな同じだったようです。


 まあ、この階はみんな、呼吸器系の病を持った人達が入院しているので、まったくあり得ない話というわけでもないのでしょうが、突然に、しかも連続して四人も亡くなったことに、お医者さんも看護婦さん達もひどく動揺している様子でした。


 四人の死とあのお婆さんに何か関わりのあるとことをわたしは確信していましたが、言っても信じてくれそうにないですし、昨夜見たことを話すのはやめにしておきました。


 その日の午前中、諸々の手続きを終えたわたしは何事もなかったかのように退院し、その後もおかげさまで入院するほどの重症になるようなこともなく、あの病院へは定期的な検査で行くぐらいのことしかありません。


 わたしが退院した翌日以降も入院患者の突然死は続いたのか?


 あのお婆さんはいったい何者だったのか?


 そして、まだあのお婆さんはあの病院に現れるのか?


 今もってそれは謎のままです……。

                        (よーくおやすみ 了)

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よーくおやすみ 平中なごん @HiranakaNagon

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