故国の月

ヨシダケイ

故国の月

「ムザシの地を開墾せよ」


朝廷からこのような命を受けて、

幾歳月が過ぎたであろうか……


当時、ムザシは人が住むことすらままならない原野であり、

都の者が

「月が隠れる山もない草だらけの土地」

と評したほどであった。


月に照らされたススキが、

どこまでも続くムザシ野の景色は、

見る者を、

常世の国に訪れたかのような幻想へ誘ってくれる。


が、同時にそれは、

この地がこの国で最も未開である証でもあった。


今思うと、朝廷の開墾命令は

「お前たちの夢はもうかなわない。諦めてムザシで暮らせ」

という意味もあったのだろう。



それゆえ私の心は焦燥に駆られていた。


日暮れて道遠し。


古代、楚の国の伍子胥が目的を遂げられず、

いたずらに歳をとっていく己の無力さを嘆いた時に放った言葉である。


そして私の心も伍子胥と同じであった。


私の夢。


それは故国、高句麗の復興であった。



今より数十年の昔。


朝鮮半島は、高句麗、百済、新羅の三国に分たれており、

その均衡は数百年と続いていた。


だが三国一の弱小国・新羅が西の大国、唐と手を組んだことでその均衡は崩れ、

唐・新羅は、百済を滅ぼした後、救援に来た倭国も粉砕し、

今度はその刃を高句麗に向けたのであった。


強国として一時代を築いた高句麗だったが、

唐・新羅の圧倒的な兵力差の前に首都平壌は陥落。


ここに数百年続いた高句麗は滅び去ったのである。


たが、燃え上がる平壌城から、

一人の高句麗王家の男が、敵の手を逃れ脱出した。



その男こそ私の父、高光であった。



父はまだ幼子だった私を背負い、

馬上、迫り来る敵を打ち払いながら、

夜の平原を駆け抜けた。


父に背負われながら眺めた満月。

かの月が銀色に輝き、

煌々と夜空を照らしてたのを、

今でも覚えている。


王族であると同時に武人でもあった父は、

高句麗人の誇りを大切にし、そして何より国を愛していた。


「高句麗を必ず復活させる!!」


父は、その鉄の如き意志で、

高句麗復興に己が人生を費やすことになったのだ。


さらに、政治にも優れていた父は、

高句麗滅亡後に生じた唐・新羅間の綻びを見逃さなかった。


唐は、滅ぼした高句麗、百済の跡地を領土とする野心があり、

一方の新羅は、朝鮮半島から唐を排除し、

新羅を軸とした独立国を築こうとしている。


そこで父は、

敵の手を逃れた高句麗人を集め武装遺民団を結成したのである。


元々、高句麗は唐の前身・隋を何度も撃退した強国であり、

彼らの強さは、新羅内でも知れ渡っていた。


しばらくすると新羅からこんな誘いがきた。


「新羅は唐と戦わねばならない。そのために高句麗遺民団の力が必要だ。もし唐を倒した暁には、高句麗の復活を約束しよう」


こうして高句麗遺民団と新羅は、

共通の敵である唐の前に利害が一致。


父が率いる遺民団は、新羅軍に編入され唐と戦うことになったのだ。


歴戦の猛者であり戦に慣れた父達は、新羅の尖兵として何度も唐を撃退し、

時に新羅兵以上の活躍を見せたのである。



だが、そんなある夜、

父が部下達と宴を開いていたときのこと。


私は一人、夜空に浮かぶ月を眺めていた。


すると普段は寡黙な父が、

この時ばかりは酒に酔っていたせいか、

笑顔で語りかけてきたのだ。


「新羅の月も、高句麗で見た月と同じだな」


ご機嫌な父であったが、私は内心不満であった。


「父上。このような宴を開く暇があったら一刻も早く平壌に進撃しましょう」


かねてより早く戦場に出たかった私は父にこう問い詰めた。


だが父は

「月を愛でる心を忘れてはならない。それに物事には順序がある。部下達を労うのも上に立つ者の役目。急いては事を仕損じるぞ」


と静かに笑った。


それでも不満げな私に父は


「民が生きているかぎり国は甦る。そのことを忘れるな」


とだけ語ると、静かに陣営に戻っていった。


そして新羅のもとで戦い数年が過ぎたある日のこと。


「唐が新羅への侵攻を諦めた」という朗報が届いたのである。


原因は、唐国内部の政治紛争と吐蕃の侵入であり、

新羅に兵を向ける余裕が無くなったからであった。



父達は大喜びした。


「新羅が勝った。これで高句麗は復活する」


だが喜びも束の間、

そのような甘い期待はすぐに打ち砕かれる事となる。


唐の脅威が去った今、

あくまで新羅一国による半島統一を目指す新羅にとって、

高句麗遺民団は邪魔以外の何物でもなくなっていたのだ。


「新羅人となれ。高句麗復興は諦めよ。そうすれば地位は約束しよう」


このような誘いを受けた父だったが断固拒否。


ここにきて新羅も覚悟を決めた。


「懐柔できない高句麗遺民を捕らえよ」と。



ある夜、父は私を呼んだ。


「新羅は私を捕らえるつもりだ。若光、お前だけは何としてでも逃げろ」


「この国のどこに逃げる場所が? どこも新羅王の目からは逃れられません」


「海の向こう、倭国へ行け。あそこならば新羅も手を出せまい」


倭国……

遥か東にある島国。


だが倭国はかつての敵国。

そんな国へ行き、無事にすむのであろうか。

船で着いた途端、その身を新羅に引き渡されるのではあるまいか。


だが悩んでいる暇などなかった。

新羅兵が大挙して押し寄せてきたのだ。


「早く行け! お前まで捕まったら誰が高句麗を復興させるのだ」


父は弓を構えると私を隠し通路へと誘った。


「さらばだ、若光」


それが父から聞いた最後の言葉であった。


私は身が引き裂かれる思いであったが、父の言うとおり、

ここで捕まったらすべてが終わってしまう。


私は若い仲間達を引き連れ、港へ向かうことにした。


幸い港では、

新羅人も倭人も漁船同士の交易は続けており、

我々は漁師に化けると船で海に乗り出すことができた。


そしてさらに喜ばしいことに、

倭国は我々の亡命を受け入れてくれてくれたのだった。


なぜなら倭国は、白村江の敗戦の反省から、

国号を「日本」へ変え新国家としての転換期を迎えており、若い力を必要としていたのだ。


その上、彼らは、陶器づくりをはじめとした我々の様々な技術を必要としており、

賓客としても迎え入れてくれた。



私はこれらを有難く思いながら

「いつか日本軍を動かして新羅に攻め入り高句麗を復興させる」

という希望を胸に日本での暮らしを始めることとした。


朝廷から「ムザシを開墾せよ」という命が下ったのも、

丁度その頃である。


赴いたムザシは原野ばかりの未開の地であったが、

苦楽を共にした遺民団の仲間がいれば、大した苦ではなく、

むしろ日本での暮らしは心地よいものであった。


何より、

「高句麗を復興させるため力を蓄えている」と考えれば、

どんな重労働も耐えられたのだ。


だが日本に住み慣れていくうちに、

部下の中には心変わりをする者も出てきた。


日本の心地よさに高句麗復興の志を忘れる者、

さらには高句麗人であることを捨て完全に日本人となってしまう者さえもいた。


「なぜ高句麗人であることを捨てるのか! 母国への愛を忘れたのか!」


高句麗の復活が我等の使命ではなかったのか?


「急がねばなるまい」


私は日本の国論を「新羅討伐」へ統一しようと

官人、僧侶、軍人、神官、様々な階級の実力者に近づき、何度も何度も新羅の脅威を語った。

だが、そもそも日本に新羅と戦う気など無く、相手にされることは無かった。


ただ年月が過ぎていくだけであった。


そして、ある年のこと、

半島から逃げてきた高句麗人から驚くべき知らせが届いた。


「最後まで抵抗していた高句麗遺民団が壊滅した。処刑された中には高光の名も……」



高句麗遺民団の全滅。

そして父、高光の処刑。


それは高句麗の完全な滅亡を意味していた。



私はその夜、一晩中泣いた。



「私が日本軍を動かせていれば高句麗復興は出来たのではないか? 私が不甲斐ないばかりに高句麗は滅びてしまった……」


このような考えが頭を巡り、

さらに我が身だけが遠い異国の地で生きさらばえていることが、

何より辛かった。


「もう生きる意味はない」


次の日の夜、私は馬を走らせると、ただひたすらに草の原を駆けていた。

仲間達に気付かれぬよう一人死ぬ場所を探すためである。


だが、死地に向かう私がふと見上げると、空にはあるものが浮かんでいた。


それは夜空に輝く満月であった。


私は思い出した。

あの日、高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされた夜、

父に背負われ眺めた銀色に輝く満月のことを。


私は思った。


「月は高句麗、新羅、そして日本でも変わらない」


その瞬間、私の心では何かが変わる音がした。


確かに国は亡びた。

だがまだ生きてやれることがあるのではないか?


「故国の証をこの国に残さねば」


私はその日から、雨の日も風の日も休まずに土地を耕しはじめた。


そしてある年、

朝廷より驚く知らせが届いた。


「若光よ。長年のムザシの地の開墾を認め、そなたに高麗姓を送る。今後は高麗若光を名乗るがよい」


驚く私に勅使は続けた。


「今日よりこの地を高麗郡と称する。そしてこれからは、お主が長となり、日本各地に散らばる高句麗遺民をこの地に集め暮らすが良い。亡き国への思いを忘れなくてもよい。ただこの国の民として、この地をよりよい土地にしてくれ」


私は涙がとまらなかった。


朝廷への感謝もあったが、それ以上に、父との約束、

「高句麗の復興」をこのような形で遂げる事が出来たのが、

何より嬉しかったのだ。


その夜、同胞たちと共に開いた宴は生涯で一番楽しいものであった。

夜空に浮かぶ銀色の月が静かに微笑んでいたような気がした。




歴史的補足。歴史書「続日本紀」には、

「大宝3年、高麗若光に王の姓を与える」

「霊亀2年、武蔵国に東海道7国から1799人の高句麗人が移住し高麗郡を設置」

と記されている。


ちなみに現在の埼玉県日高市には「高麗神社」なる神社があり、1300年の伝統を誇っている。この神社の初代宮司こそ、高麗若光であり、彼とその子孫たちが武蔵野であるこの地の開拓に寄与したのは言うまでもない。


ムザシの景色は当時と随分と変わったであろう。

だが月だけは変わらずに今も銀色に輝いている。


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