第2話 あなたへの手紙

 すっかり日も落ちた夜に、散歩をするのが私のささやかな趣味だった。住宅地ということもあり、少し遅くなるだけで人通りは驚くほど少なくなる。目的もなく、ただ気ままに歩いているのは少しの運動になる以上の意味はないが、見える風景は季節とともに少しずつ移り変わっていくし、時折騒がしく声が聞こえる家があったりするのも案外楽しいものだ。

 そうしていつも通り、行く宛もなく歩いているうちに、一つの掲示板が見えてきた。町内のお知らせを貼り付ける為のそれには、近隣の公民館の催し物や些細な忘れ物、時には訃報といったものなどが掲示されている。目新しいモノはないか……と見ていると、下の方の片隅に封筒が画鋲で留められているのに気がついた。なぜポストに戻さないのだろうと不思議に思ったが、確認してみるとその封筒には宛先や切手というものがなく、どうやら直接手で投函されたらしい。見知らぬ誰かが近隣の家のポストにそっと手紙を差し入れ、それが風に飛ばされるところまでを私は想像した。私はこれまで、ダイレクトメールなど以外に手紙をもらった経験も送った経験もなかったから、そもそもすべてが想像でしかない。私には縁がないものだが、そもそも手紙を送ることが少なくなった昨今、この形で伝えたいことがあるから書いたのだろうに、こうして役目を果たすことなく掲示板に揺られているのは寂しいことだろう。差出人か受取人がどうにかしてこの状況を知ってくれることを願いながら、私は掲示板を後にした。自分がもらったこともないのにこんなことを思ってしまうのは、縁がなかったからこその思い入れなのかもしれない。

 だが、私の願いもむなしく、日数が経っても手紙は掲示板に貼り付けられたままだった。むき出して風に揺れているせいか、少しずつ汚れていく姿が哀しげに感じられる。そんな姿を見ることが2週間ほど続き、私はついに、手紙を手にすることを決めた。好奇心がなかったとはいわない。しかしそれ以上に、近隣に手紙の宛てた先があるのなら、届けてやりたいという気持ちがあったのだ。余計なお世話に違いない。

 そっと画鋲から手紙を外し、震える手で封筒を開いた。筆跡にも、その内容にも心当たりはない。差出人は私の知り合いではないだろう。だが、私に関係がないとも言い切れなかった。なぜならば、手紙の最初には「この手紙を開いた方へ」となっていたからだ。


「この手紙を開いた方へ

 はじめまして。いきなりのことで驚いたかと思います。でも、できたらもう少し、この手紙を読んでいただけると嬉しいです。

 この手紙は誰か特定の人に宛てたものではありません。恥ずかしい話、私には手紙を送れるような相手はいないのです。

 ですが、私は手紙を書いて、誰かに送ってみたかった。そして、出来ることならその返事をもらって、誰かからの手紙を読んでみたかった。だから、特定の人に宛てた手紙ではなく、開いてくれた人に向って書いて、掲示板に貼っておくことにしました。本当ならポストに入れたかったのですが、宛先人不明では郵便屋さんも困らせてしまいますし。

 これは、分の悪い賭けでしょう。読んでもらえることなく捨てられてしまうかもしれないし、読まれたからといって、返事がもらえるとも限りません。

 どうなのでしょうか。誰か、読んでくれていますか。今の私には願うことしか出来ません。でも、もしよければ、あなたも、私と同じ気持ちになってくれたなら、その時はどうか、あなたも手紙を書いてください。あなたの手紙を、私は待っています。」


 手紙を読み終わった後、私は暫く悩み、結局そのまま手紙をポケットに入れて帰ることにした。そして家に帰ってからも、手紙とともにコーヒーを飲み、食事を取り、シャワーを浴びる間も手紙のことを考えて、次の日の仕事帰りに文房具屋に寄ることにした。そしてその次の日、一晩かかって書き上げた手紙を無記名のまま封筒に入れて、掲示板に貼り付けた。

 便せんの一番最初に記したのは、「私に手紙をくれた貴方へ」だ。これが正しく、手紙の差出人に届くかは分からない。だが、あの手紙が私に届いたように、この手紙もいつか誰かに届くことを、願った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る