第10話 縛る鎖を繋ぐのは

「生まれ変わっても一緒にいようね」

私とあの子が交わした約束は、そんなありきたりで子供じみたものだった。どちらかの心が変わってしまえば叶わない。そもそも、生まれ変わりがあるかも分からない。

だが、種族の違う私たちにとっては真摯な願いでもあった。私は吸血鬼と呼ばれるものであの子は人間。不死である私が、限りある命を生きるあの子と生きる時間を共にすることは叶わなかった。あの子が死ぬときに私も心臓に杭を打てば……或いは、太陽の光を浴びれば死することは出来るだろう。けれどそれはあの子が望まなかった。

「後を追う事なんてしなくていい。貴方が生きてくれれば、きっと、私を見つけてくれるでしょう?」

指を絡ませ、笑みを浮かべて願うあの子に、私は頷いた。生まれ変わってしまえば、記憶はなくなってしまうだろう。この思いを、共に生きた時間を、永遠に覚えて積み上げていけるのは私だけなのだ。いつか来る日を恐ろしく思いながらも、私は、私とあの子の為に約束を叶えようと覚悟を決めていた。

……決めていた、はずだった。

あの子を見送る日が必ず来る。わかっていたのに、その日は想像よりずっと早くにやってきた。周囲には煙と鉄、血と炎の匂いが充ちていた。あの子を見つけられたのは混乱の中では奇跡と言ってもよいかもしれないが、助けるにはもう遅すぎた。

「ああ……そんな」

「……来て……くれたんだ……」

震える手で、最期の力を振り絞り、あの子はこちらに手を伸ばしていた。願い祈るような瞳が私を見る。死の恐怖ではない、別のものに彩られた瞳が伝えようとしているのは、きっとあの約束だ。

『必ず、また私を見つけて』

すぐに手を取ろうとして、体が凍りついた。喉が鳴る。私が為すべきことは決まっていた。手を握り返し、約束に頷く。そして……そして、今生のあの子を見送る。その命の炎が消えるのを、最期に焼き付けることが、私の為すべきこと。

だが、わかっているのに、私はそうすることが出来なかった。伸ばされた手を取らず、その体を抱き寄せる。むせかえるような血の匂いに本能が脈打った。柔さとぬくもりがまだ残る首筋に、唇を寄せる。肌を食い破るその時が、私の背徳を決定的にした。


「いい、月だね」

星と月の下で、あの子が笑う。あれ以来、あの子は太陽も温もりも失い、けれど私の側にいてくれた。変わらずに、愛しさをのせた瞳で、「一緒にいよう」と伝えてくれる。二人で夜の世界を生きることを幸せではないと言ったら嘘になるだろう。私は間違いなく幸せだった。愛おしい人を喪うことなく、永久に共に在ることができるのだ。

幸せだ。幸せなのだ。

だが同時に、果てしない後悔と罪の意識も、永遠に共に在るだろう。私はあの子との約束を反故にした。私のエゴの為、ただそれだけの理由で、あの子をこの世界にとどめてしまった。あの子は私を責めることは一度もしない。「これでよかったんだよ」と変わらぬ愛情を注いでくれる。

だから私は、これ以上謝ることも出来ず、一人懺悔し続ける。神などにではない。私のたった一人、愛しい人の愛に向って。


存在を変えてしまったのは、あの子だ。

だが、約束をしたあのときから変わってしまったのは、本当はどちらなのだろう。

ごめんなさい。

私は、貴方を失いたくなかった。

ごめんなさい。

貴方をずっと、愛している。


* * *


目を覚ますと、すっかり日が沈んでいた。棺を開けて空気を吸い込めば、ひんやりとした夜の香りがする。この体になってから、少しばかり感覚が鋭敏になった気がした。あの子と違って私には特別な力はないが、それくらいのことは分かるらしい。

「……おはよう、というのは、少し変かな」

呼びかけられて振り返れば、変わらぬあの子が優しく見つめている。私をこの世にとどめてくれた愛おしい存在。その瞳が、私を見て少し哀しげな色を浮かべることにも、私は気づいている。


「生まれ変わっても一緒にいようね」

私とあの子が交わした約束は、そんなありきたりで子供じみたものだった。その約束に託した思いは真実で、だが、実際にその時を前にして、私が感じたのは紛れもない恐怖だった。

会えないかもしれないという恐怖ではない。例え生まれ変わっても、私はもう二度と私としてあの子と会えないという恐怖だった。きっとあの子は約束を違えずに、生まれ変わった私を見つけてくれるだろう。しかし、その私にはあの子との記憶も、この思いも何もない。魂が同じだったとしても、私とその私は同一ではない。

私は、今ここで間違いなくあの子を失うのだ。

そう思ったとき、私は別のことを願っていた。あの約束は、生きる時間の違う私とあの子が共に在れるようにと交わしたものだった。あの子は私を不死にすることは望まず、私もあの子が私を追って死ぬことを望まなかったが故の約束。だが、私は死を前にして、あの子に願ってしまった。

「私を離さないで。今の私と、永遠にいて」

私はあの子を失いたくなかった。生まれ変わった私になんて、渡したくなかった。

言葉には出来なかったけれど、私の願いはあの子に伝わったようだ。あの子は瞳を揺らして、そうして私を抱き寄せて命を穿った。体が作り替える感覚を私は安堵の気持ちで受け入れる。太陽を、温もりを失うことも怖くなかった。これで私はあの子を手に入れる。優しいあの子は、きっとずっと、私に縛られるのだろう。私を縛ったとあの子は後悔しているけれど、縛らせてしまったのは私なのだ。


存在を変えてしまったのは、私だ。

だが、約束をしたあのときから変わってしまったのは、本当はどちらなのだろう。

ごめんなさい。

私は、貴方を失いたくなかった。

ごめんなさい。

貴方をずっと、愛している。

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夜の一篇 九十谷文乃 @ayano_tsukuya

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