第6話 あいだ

 放課後の教室は、いつもざわざわとしている。友だちとおしゃべりしている人、部活に急ぐ人、かったるそうに鞄に荷物を入れて帰る人。一日の授業が終わってそれぞれの場所へと移動する時間だから、みんなどこか浮ついていて、そんな僕らの気分に合わせて空気も弾んでいるのかもしれない。

 僕はと言えば、部活も委員会もないので、図書室に寄ったりするのでもなければ、家に帰るだけだ。机の中の教科書やノート、弁当箱を引っ張り出しながら窓の外に視線を向けると、早くなり始めた夕暮れが景色を橙色に染めている。この色合いを、僕は幼い頃から忘れられない。

「ねぇ」

 不意に声がかかった。机の前に立っていたのは小学生の頃からの友人で、最近はこうして休み時間や放課後によく顔を出す。やっぱり来たのかと思いながら「うん」と頷けば、もってきた鞄を顔の前まであげて、「一緒に帰ろう」と言った。僕はやはり「うん」と答えて、並んで歩き出す。一人分空けられた廊下を抜けて、昇降口で上靴を履き替え、通い慣れた通学路を行く間も、彼はずっと何かしらを話し続けていて、僕はそれに頷いていた。

 帰宅を促す放送が流れて、子供たちが走って行くのが見える。数年前の僕たちもきっとああだったのだろう。通りがかった公園を覗けば、もう誰もいない。公園に入っていく彼の背に、一瞬子供の頃の姿がだぶって、思わず立ち止まった。橙色が、段々と紺色に変わっていく。走って行く友人が見えなくなる。それは、僕が最後に見た姿だった。

「どした? ブランコしたい?」

「いや……」

「そういや、子供の時はよく登ったよな」

 友人はにっと笑うと、軽やかにブランコをぐるりと囲んでいる柵に飛び乗った。細くて捕まるところもないというのに、すいすいと歩いて行く。僕は黙って、手を広げながらブランコの柵を渡っている彼の横顔を見つめていた。夏の暑さが嘘のように、最近は冷え込むようになっていて、鼻先が冷たい。だかというわけではないのだろうが、胸の内が冷えていく。

 あの日もこうして、ブランコで遊んでいた。ブランコだけじゃない。高鬼に、ケイドロに、天国と地獄。集まった友人たちと皆でひたすら騒いだ、楽しくて、けれどなんてことのないありふれた一日だった。それだけで終わるはずだったのに、次の日には、彼はもういなかった。

「お前、最近ずっと暗い顔してるよな。なんかあったら、言えよ」

「……うん」

 渡り終えて柵から飛び降りた彼は、明るく笑う。小学生の頃と変わらない笑顔だった。けれど僕はちゃんと知っているし、知っていて話すことが出来ないでいる。ブランコの柵なんかよりももっともっと高いところに行ってしまった君がどうしてここにいるのだと、僕はまだ、彼に言えない。悲しいお知らせですと、朝の会で先生は僕らに告げて、僕はそれで納得したはずなのに、今になってどうして彼が姿を現して、こうして笑っているのかが理解できない。理解できないのに、この均衡を壊したくない。子供の頃の僕に焼き付いてしまった光景を、今度こそ永遠に失うことがとても怖かった。彼が何か知っているにしろ、知らないからこうしているにしろ、僕が何かを言うことで、きっとこの時間は終わってしまう。夕暮れ時があっという間に夜に変わってしまうように。

「じゃあ、また明日」

 走って行く友人の背を見送る。もうすぐ、彼の命日が近づいていた。

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