戦いの裏で


「それで、君は誰が勝つと思うんだい? 癒し手」


 『白の道標ホワイトロード』の店内で、応接用のソファに腰掛けた夕陽色の髪の美形の性別不詳の人物――変革者がティーカップをテーブルに置きながら訊ねる。


「さあ、どうせ真っ当な勝負になんかならないでしょうし」


 変革者の対面に座った金髪碧眼の美女――癒し手は、脚を組み替えながらおどけたように肩を竦めた。変革者が可笑しそうに口元に手を当ててクスクスと笑う。


「それは間違いないかな」


「変革者ちゃんは参加しなくても良かったの?」


「ああ、自分はいいよ。争い事は好きじゃないから。彼女たちにはついていけないだろうし」


 今度は変革者が同じように肩を竦め、癒し手が微笑む。


「そうね、変革者ちゃんは少し欲がなさすぎるし、優しすぎるから」


「自分は普通だと思うんだけど、魔法士を見てると確かに」


「あの子みたいになっちゃだめよ」


「なりたくてもなれないよ」


 二人は朗らかに笑い合う。外で繰り広げられている熾烈な争いとは対象的に、非常に穏やかなティータイムを過ごしていた。一頻り上品に笑い合い、変革者がティーカップを口に運ぶ。爽やかな薫りを漂わせるお茶で口を湿らせた変革者は、カップを手に持ったまま癒し手との会話を続けた。


「ところで癒し手こそ、参加しなくてもよかったのかな?」


 癒し手も優雅にお茶を一口飲むと、変革者の問いに答える。


「私もいいのよ。皆が皆暴れ回ってたら、ノイルちゃんの身が持たないでしょ」


 冗談混じりの返答に、変革者はくすりと笑う。そして、ティーカップを置いた。


「君も身体を得てから、欲がなくなったように思うよ」


「そうかしら?」


「うん、まあ以前から君は落ち着いていたけど、より穏やかになった。ほら、魂の時は魔法士と――」


「それは私の問題というより、ここには私以外に敵が多いからよ」


「ふふ、確かにそれは道理だね」


「まあでも確かに、私にとっては今のこの生活を送れるだけでも、信じられない程に幸せで満足できるものだから」


「⋯⋯それも、そうだね」


「かといって、ノイルちゃんの初めてをすっぱり諦めたわけじゃないわよ」


「ははっ、変わったと思ったのはやっぱり自分の勘違いだったのかな?」


「うふふ、かもしれないわね」


「茶菓子ができたぞ!」


 と、二人の会話に、部屋に入ってきたミリスが空気を読まずに割り込んだ。満面の笑みでミリスは何かが乗ったお盆を運び、二人の間のテーブルにどんと置く。

 変革者と癒し手は、お盆の上に乗せられた茶菓子を見て、なんとも微妙な表情を浮かべた。


「中々上手く出来たと思うのじゃが、感想を聞かせてくれぬかのぅ?」


「⋯⋯これのかい?」


 ミリスが運んできたのは、一口大に砕かれたホワイトチョコの上に、何やら黒い液体がかけられた何かだった。変革者がやや引き攣った笑みでミリス訊ねると、彼女は屈託のない笑みで頷く。


「うむ!」


「ちなみに⋯⋯上にかかっているものは何なのかしら?」


「イカスミじゃ!」


「そう⋯⋯なぜ?」


「む?」


「その、癒し手はどうしてイカスミをかけたのかを訊いてるんだよ」


 癒し手に問われ、不思議そうに首を傾げたミリスに変革者が説明する。すると、彼女は得意気に頷いた。


「それはのぅ、我とノイルを表しておるのじゃ! チョコレートが我で、イカスミがノイルじゃ!」


「そう⋯⋯」


「なるほどね⋯⋯」


 癒し手と変革者は、ミリスの謎の創作お菓子へと視線を注いだまま、無の表情で頷く。

 そして、癒し手が額に手を当てた。


「あのね、ミリスちゃん。別にノイルちゃんを表すのに、拘る必要はないと思うわ。その、魚介類に」


 変化者も眉間を揉みながら、癒し手の言葉に続く。


「発想はうん、悪くな⋯⋯悪くない⋯⋯? ⋯⋯悪くないと思うよ。確かにまあ⋯⋯ノイルのイメージとしては、間違っては⋯⋯うん、いない? ⋯⋯うん、ただ、もっとこう⋯⋯例えばホワイトクリームの魚貝パスタに、イカスミのソースなんかだと、もっと良くなるんじゃないかな。それならコンセプトも⋯⋯」


「それでは少々ありきたりではないかのぅ?」


「⋯⋯⋯⋯そうだね、ありきたりだ」


「折れないで変革者ちゃん」


 小さく呟いて黙り込んだ変革者に、癒し手がそう言って一つ息を吐く。そして、腕を組んで何故か偉そうにしているミリスに向き直った。


「あのね、ミリスちゃん。ありきたりの方がノイルちゃんは喜ぶと思うわ。別に美味しければ・・・・・・それでいいのよ。特別な事をする必要なんかないわ。ミリスちゃん、レシピさえあればその通りに作れない事はないでしょ? 変革者ちゃんのアイデアを採用したらどうかしら」


「いや、それではダメじゃ。我の腕では既存のレシピ通り作ってもフィオナ達には敵わぬ」


「あ⋯⋯そう⋯⋯自分の腕を認めているからこそこうなるのね⋯⋯謙虚と不遜が同居した結果の料理なのね⋯⋯」


「それに今回はデザートじゃ」


「そう⋯⋯これを食後に食べさせるつもりだったのね⋯⋯デザートだけど胃に甘くはないのね⋯⋯」


「これを採用するとしたら、魚料理とデザートは埋まるのぅ」


「そう⋯⋯フルコースを目指してるのね⋯⋯まだ二品目なのね⋯⋯既に隙はないけれど、どちらも味見はしたの?」


「手料理とは人に振る舞うものじゃろう? 我は食べぬ」


「そう⋯⋯してないのね⋯⋯考え方は人それぞれよね⋯⋯」


 したり顔で話し続けるミリスに、癒し手から諦めの空気が漂い始める。そこで、変革者が空気を切り替えるかのようにミリスに声をかけた。


「あーミリス、料理もいいけど、釣り大会の方はいいのかい?」


「釣りはつまらぬ」


 ミリスはふんと小さく鼻を鳴らし、変革者と癒し手は同時に肩を落とす。早々に飽きて『白の道標』に帰ってきたミリスは、お疲れ会の準備に熱を上げていた。


「でも、勝ったらノイルに好きなお願いをできるんだよ?」


「そんなものは我なら何時でもできる。わざわざつまらぬ釣り大会で勝つ必要などないのじゃ」


「そうか⋯⋯そうかぁ⋯⋯じゃあ自分たちが言える事はもう何もない、かな⋯⋯」


 変革者と癒し手は、同時に一つ息を吐き出した。ミリスは不思議そうに首を傾げる。


「ふむ⋯⋯何やら食欲がなさそうじゃな。まあ良い、我は前菜も考えるとするかのぅ。気が向いたら食べて感想を言ってくれると嬉しいのじゃ」


 目を合わせようとしない二人にそう言い残すと、ミリスは料理が終わって下ろしていたらしい髪を再度後ろで一纏めにし、キッチンへと颯爽と去っていく。

 その背を見送った後、変革者と癒し手はもう一度深く息を吐き出した。


「⋯⋯これ、どうしましょうかしらね」


 そして、癒し手がテーブルの上のミリスが残した物体を、眉を顰めて見つめながら呟く。


「とりあえず、一つは減らさないとね」


 変革者が嫌そうな顔をしながら一緒に置かれていたスプーンを手に取った。何故スプーンなのかは不明だが、これで食べろということらしい。


「いくの? 変革者ちゃん」


「ノイルが食べる前に危険性を知っておく必要がある」


 癒し手が更に顔を顰める中、そう言って変革者は、イカスミのかかったホワイトチョコを一欠片スプーンの上に乗せた。瞳を閉じ、一度深呼吸をして一息に口に運ぶ。途端、変革者の眉間に深い皺が寄った。普段は絶対に見られないような顔だ。

 ことり、とスプーンを置いた変革者は、その表情のまま何度か咀嚼し、ミリス曰くデザートを飲み込む。


「⋯⋯⋯⋯」


 無言のまま、変革者はさっとティーカップを手に取ると、一気にお茶を飲み干した。癒し手がすっと自身の飲んでいたお茶を差し出す。


「これも飲んでいいわよ」


「助かるよ」


 変革者は短くお礼を言い、癒し手のティーカップを受け取ってすぐさま口に運んだ。それを飲み干した所でようやく落ち着いたのか、ティーカップを置くと同時に大きく息を吐く。


「⋯⋯これは⋯⋯形容し難いね⋯⋯ただ、理不尽な暴力を振るわれた後は、きっとこんな気分になるんだと思う。生臭さがチョコと絡みあって、口内でとろけて不快な塩味と甘味が余すことなく⋯⋯」


「説明しなくていいわよ変革者ちゃん」


 眉間を揉みながら語る変革者を、薄目になった癒し手が止める。変革者はゆっくりと首を横に振った。


「この身体が、完璧に味覚を再現している事を不幸だと感じてしまったよ⋯⋯」


「仕方ないわ。自分を責める必要はないのよ」


「流石は、あのテセアに一口目でもう要らないと言わせただけはあるね。あれは魚にホイップクリームだったけど、これもきっと遜色ないレベルだ」


「料理自体はシンプルなのが恐ろしいわね」


 顔を上げた変革者は、疲れたように深々とソファの背に身を沈めた。


「ノイルはこれを食べきるのか⋯⋯」


「だからダメなのでしょうけどね」


 ミリスの創作料理を、ノイルは無言で完食する。それがまた、彼女が止まらない原因であった。しばし変革者は天井を遠い目で見つめたあと、身体を起こし癒し手と改めて向き合う。


「それは食べない方がいいよ」


「言われるまでもないわよ変革者ちゃん」


 癒し手がすっとミリスの残した物体をテーブルの脇に退けた。なおも異様な存在感を放つそれを変革者はじっと見つめていたが、やがてそっと視線を外す。


「ところで、テセアといえば馬車と仲良くやってるかな?」


「連絡は毎日あるみたいよ。意外な事に、問題は起こってないみたい」


「ふふ、まるで問題が起こるのが当然とばかりの言い草だね」


「それはそうよ。だってあの馬車ちゃんよ?」


「確かに、説得力がある」


 冗談混じりの癒し手の言葉に、変革者は可笑しそうに笑う。


「けど、自分は案外あの二人は相性がいいと思うよ」


 癒し手も微笑み、脚を組み替える。まるでそれはわかっているというような表情を浮かべたまま、彼女は愉快そうに変革者に訊ねた。


「どうしてそう思うの?」


「馬車はまあ、身も蓋もない言い方をすれば、デリカシーに欠けている。お世辞なんかは大の苦手で、良く言えば裏表がなく正直、悪く言えば気遣いの足りない人間だ」


「だからあの容姿なのにモテないのよね」


「それに魔法士のせいで妹という存在も大の苦手」


「テセアちゃんが着いていきたいって言った時、隠すこともせず物凄く嫌そうな顔を本人に向けてたわね」


 変革者と癒し手はクスクスと笑い合う。


「対して、テセアは凄く純粋で良い子だ。それ故に、皆どうしても彼女を甘やかしてしまう。気を遣っているというわけではないけどね。あのアリスですら、テセアには態度が柔らかい」


「シアラちゃんもね。あの子の場合はわかり辛いけれど」


「だから二人共に、いい刺激になると思うんだ。馬車にはテセアの純粋さが、テセアには馬車の無配慮さがね」


「ふふ、その通りね。それに馬車ちゃんはなんだかんだ言っても、魔法士ちゃんに鍛えられただけあって頼りになるし」 


「うん、だから自分は最初から何も心配してないよ」


「むしろ、おもしろい事になるかもしれないわね」


 二人は笑みを交わし合い、そしてちらと再びミリスの残していった物体に視線を向けた。


「⋯⋯どうしても気になるね」


「ええ、遠ざけても自己主張してくるわ」


「なにか道はないかな」


「お喋りしている間に溶けてしまった事にしましょう」


「けど⋯⋯残せば処理するのはノイルになる。最悪二皿分の負担をかけてしまうよ」


「⋯⋯守護者が居れば、彼に食べてもらうのだけど」


「中々酷い案だけど、まあ守護者の精神力ならなんとかなるかもね」


 二人は視線を戻し、肩を竦め合う。


「とはいえ、最近の守護者だとやや不安かな」


「今日もキルギスちゃんと芸を磨いているのよね⋯⋯」


「ああ、何故か笑いの道に目覚めたらしいからね。クライスとガルフも付き合わされている筈だ」


「あの二人は⋯⋯どうしてそうなったのかしら⋯⋯」


「自分にはわからないよ⋯⋯元々守護者はツボに入ればとことん笑うタイプだったけど」


「ずっと気を張って生きてきた反動なのかしらね⋯⋯」


「ある意味、コンビも見つけて彼が一番新しい生を謳歌してるね⋯⋯問題は、恐ろしくつまらない事だけど」


「あのミリスちゃんがくすりともしないものね」


 そこで、変革者は疲れたように再びソファの背に寄りかかり、天井を見つめた。


「自分も何か、始めようかな」


「あら、変革者ちゃんはこのお店の手伝いをしてるじゃない。皆のフォローも」


「そうだけど、あまりにも甘えすぎている気がしてね。最近は何か別に仕事を探そうかなと考えてる。それにノイルの側に居られれば自分は満足だけど、せっかくこうしてもう一度、人生を与えてもらったんだから」


 癒し手は変革者を穏やかな表情で見つめたあと、何か思いついたように両手を合わせる。


「じゃあ変革者ちゃん。私と一緒にモデルをやってみない?」


 その誘いに、変革者は身を起こし首を傾げる。


「モデル?」


「ほら、以前狩人ちゃんがスカウトされたけど、結局ダメになった話があったじゃない?」


「ああ⋯⋯あの魔法士が危うく命を落としかけたあれか⋯⋯笑い過ぎで。確か先方に申し訳ないからと、狩人が君におしつけ⋯⋯君を代わりに紹介したんだよね」


「そう、それよ!」


 変革者が顎に手を当てながらそう言うと、癒し手はますます嬉しそうに顔を綻ばせる。


「私もあまり乗り気ではなかったのだけど、変革者ちゃんが一緒なら楽しくやれそうだわ」


「⋯⋯けど、癒し手と違って自分にそんな需要が⋯⋯」


「あるわ!」


 考え込むように変革者は眉根を寄せたが、癒し手は確信の篭もった声で変革者の言葉を遮った。変革者が驚いた様に顔を上げると、彼女は瞳を輝かせている。


「私より、間違いなくあるわ!」


 そして、身を乗り出して変革者の両手を握った。その勢いに、変革者は若干頬を引き攣らせる。


「そ、そうかな⋯⋯」


「ええ!」


「そこまで言うのなら⋯⋯考えておくよ⋯⋯」


「やった!」


 変革者が気圧されながらも頷くと、癒し手は身体を戻し再度両手を合わせた。いつになくはしゃいでいるその様子に、変革者はくすりと笑む。


「まあでもまずは、今日の事後処理を考えないとね。とりあえず、料理はミリスに任せておいたら大変な事になりそうだ」


「ええ、そうね。どう転んだとしても、フォローは必要でしょうし、そこにはまず美味しい料理がないと」


 二人はそう言って笑みを交わすと、険悪な空気で帰ってくるであろう皆の為に、打ち上げの準備を始めるのだった。


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