ダークホース


「ふ⋯⋯!」


 軽く短く息を吐き出すと共に、ロッドを手首のスナップを利かせて水面と水平に振る。

 狙いは商業区から貴族区に繋がる幅広のアーチ橋の下だ。興行街方面から続くこの橋の袂には街路樹が植えられており、水路へと木陰を落としている。つまり、虫も水面に落下するという事だ。そこにはまずその虫を食べる魚が集まり、当然その魚を捕食する大物も寄ってくる。更に、この橋の下は貴族区に続くトンネル状の水路と枝分かれしており、そこは船も通らない。水流の分岐点でもあるため、流れが留まるポイントもあり、魚が身を隠し身体を休めるにはもってこいの場所だ。

 居る、ここには確実にアングラーを唸らせる一匹が潜んでいる。この場の王者が、食物連鎖の頂点に立った存在が。


 数日かけてアリアレイクと対話した僕には、状況から推測するまでもなく、大物の気配をはっきりと感じ取る事ができた。


 だというのに――


「くそ!」


 思わず声を荒げる。当然、釣り場であるため声は控え目にしているが。


 僕のキャストしたソフトルアーは、同じ様に水面を跳ねるように飛来したソフトルアーとぶつかった。二つの小魚を模したそれは、橋の下に潜り込むことはなく、全く見当違いの方向にぽちゃりと着水する。


「くそ!」


 少し離れた位置から、そんな小さな声が聴こえた。急ぎ糸を巻き上げながらそちらを見れば、レット君が同じ様に糸を巻き上げながらこちらを睨みつけてくる。


 僕らはどちらからともなく詰め寄った。


「真似すんな!」


 声が重なる。


「真似してるのはそっちだ!」


「ああ!? ふざけんな! タックルも全く同じじゃねぇか! パクりやがっただろ!」


「ここ数日会話もしてないのにわかるわけないだろ!」


「じゃあなんだ! 偶然だっつうのか!」


「最悪な事にね!」


「チィッ!!」


 声を抑えながら、僕らは額を突き合わせ言い合う。そんな事をしている場合ではないが、どうしても許せなかった。


 僕はずっとここで、この釣り方をすると決めていたんだ。イメージトレーニングも完璧で、最早現実と言っても過言ではない程だった。釣り大会の完璧な一歩目を決めるはずだったのだ。


 だというのに、この野郎のせいで完全に出遅れてしまった。僕の釣りの腕を馬鹿にした事といい、どれだけこちらの神経を逆撫ですれば気が済むのか。そんなに僕の邪魔をしたいのか。

 こんなやつを親友だと思っていた僕が馬鹿だった。


「とにかく邪魔すんじゃねぇ!」


「そっちこそ! どっかいけ!」


 一度額を打ち合わせ、僕はレット君から距離を取る。そして、素早くもう一度キャストした。しかし、それは再びレット君のソフトルアーとかち合い、橋の下には入らない。


「ああああああああ!!」


 僕らは再び控え目に声を上げた。

 糸を巻き上げ、詰め寄り、額を突き合わせる。もう何度目になるかわからなかった。

 通行人や衛兵の人がアホを見るような顔でこちらを見ているが、知ったことじゃない。それに、見られているアホはレット君だろう。


「やめろっつってんだろ!」


「嫌だね! そっちがやめろ!」


 忌々しげな瞳を睨み返し、言い返す。

 これほどの怒りを感じたのは生まれて初めてかもしれない。


「この馬鹿が! これじゃ拉致があかねぇだろうが!」


「ああ! 馬鹿な誰かさんのせいでね!」


「んだとこら! よくそんな事言えるな!」


「レット君こそ! 僕は親友だぞ! よく釣りが下手なんて言えたな!」


「下手とは言ってねぇだろうが! 親友なのに付き合いが悪ぃから腕が落ちてるっつったんだ!」


「どうしろって言うんだよ!」


「俺ともっと遊べ!」


 本当になんて奴だ。

 こんな状況で無理難題をふっかけるんじゃない。自分勝手な事ばかり言うな。


「それは釣り大会が終わったら考える!」


「言ったな! 絶対何とかしろよてめぇ!」


「ああ! 今はこの状況をどうするかだ!」


「俺に譲れ!」


「いや僕に譲れ!」


「わからず屋が⋯⋯! だったらもう一つしかねぇな! 覚悟はいいか!」


「ああ! もうそれしかない!」


「二人で一緒に投げる!!」


 僕らはそう言うと、一本のロッドを二人で持った。そして怒りのままに一度睨み合い、水路へと視線を向ける。


「これなら文句ねぇな!」


「完璧だ!」


 そして、振りかぶりスキッピングさせ橋の下へと潜り込ませた。途端、ぐんと糸が走り、強烈な手応えがあった。


「フォールで来やがった!」


「やっぱりここは正解だ!」


「やべぇすげぇ!」


「でかいホロホロだ!」


 死闘を繰り広げ、ようやく水面に魚影が見えて僕らは歓声を上げる。


「こんなん見た事ねぇ!」


「そのまま支えてろ!」


「そのタモに入るか!?」


「任せろ!」


 レット君が寄せている巨大魚を、寝そべりタモを伸ばし頭からキャッチする。


「取った!」


「うおおおおおお!」


 急いで水から上げ、その焦げ茶色の厳つい魚体を確認し、サイズを測った。


「記録的なサイズだ!」


「すげえすげえやべぇってこれ!」


 通常のホロホロよりもかなり大きいそいつは、間違いなく釣りの歴史の一ページに残る一匹だ。僕らは顔を見合わせる。


「どっちの記録にする!?」


「どっちもクソもねぇ! 二人で釣ったんだ! つまり――」


 僕らの声が重なった。


「ノーカンだ!!」


 一頻り惚れ惚れする魚体を二人で眺めた後、記念として写真に収め、ホロホロを共にリリースする。


「次行くぞ次! さっさとしろ!」


「指図するな! そっちこそ急げ!」


「ラバージグの準備してんだろうな!」


「もちろんだ! 馬鹿にするな!」


「よっしゃ行くぞ!」


「ああ!」


 そして、荷物を手早く纏めて僕らは次のポイントを目指す。


『それでいいの⋯⋯?』


 道中、アステルに何か呆れたような声をかけられた気がした。







「やるかもとは思ってたっすけど⋯⋯」


 ニノンは早足で最初の釣りポイントに向かいながらも、後ろから付いてくる二人にうんざりとした声を発した。


「マナー悪いっすよ」


「これ、勝負だから」


「綺麗も汚いもないよ」


 人好きのする笑みを浮かべ、ノエルと魔法士がそう返し、ニノンは眉を顰める。二人は堂々とニノンに付きまとうという作戦を取っていた。確かに賢いやり方だ。ニノンが本当の穴場を隠している事を見抜いたのも流石と言ってもいい。しかし、最早モラルも何もなかった。


「はんっ、ですが確かに。貴女、恥ずかしくないんですか?」


「どの口が言ってるのかな? 鏡って知ってる?」


「私はニノンちゃんと約束してたんです」


 してないっす。


「はいウソ。私はしてないけど付いてきたって正直に言えるよ?」


 だからなんなんすか。


 言い合う二人の声を聞きながら、ニノンは一つ息を吐く。


「流石に三人も居ると邪魔ですから、消えてください」


 人数とかそういう問題じゃないっす。


「マリーが別のとこいけば? なんで私が居なくならなきゃならないの?」


 うーん、マナーがよろしくないからっすね。


 ニノンは最早二人は無視して足を進めていく。予定とは異なるが、こうなっては仕方ない。正々堂々と邪道に走るとまで予測できなかった自分にも問題がある。汚属性のくせに、他人の善意を信じたのが間違いなのだ。


 しかし、それならばレベルの差というものを二人に見せつけてやろう。


 ⋯⋯私に付いてきたのは、正解で間違いっすよ。


 ニノンはニヒルな笑みを浮かべて、釣りポイントへと急いだ。そして、辿り着き、目を見開く。

 商業区商店街、活気に溢れ、耐えず雑踏の中にあるそこは、釣りには向いていないだろう。しかし、そんな商店街にも穴場は存在していた。灯台下暗し、『白の道標ホワイトロード』側の水路である。『白の道標』に続く路地の分岐から更に奥に進んでいくと、やや細い水路に辿り着く。そこは今は使われていない忘れられたボートの船着き場となっており、小さい桟橋がある場所だった。当然ノイルも把握してはいるだろうが、誰かが気づいている可能性を考慮して、初手でここに来る可能性は低いだろうとニノンはあえてこの釣りポイントを選んだのだ。


 しかし――


「そんな⋯⋯」


 そこには既に先客の姿があった。


 言い合っていたノエルと魔法士も、ぴたりと黙り込み、辺りは不思議な程に静まり返る。


 ニノン達よりも先に辿り着き、準備を済ませていたのは、薄紫の髪をポニーテールにした女性――狩人。


 馬鹿な、とニノンは思った。

 確かに昨晩地図は見せたが、読み解けた筈がない。ダミーの方が遥かに数は多かった。だというのに、何故この場所をその中から選べたというのか。


「まさか⋯⋯」


 愕然としているニノンの肩に僅かに震える声と共に手が置かれ、彼女は首だけを振り向かせる。そこには、ニノンを責めるように見つめる魔法士の顔があった。


「狩人ちゃんに、ポイントを教えたの⋯⋯?」


「いや、私は⋯⋯」


「ダミーも一緒に見せたはず、かな?」


 ノエルが狩人を険しい表情で見つめたまま、ニノンが言おうとした事を先に口にする。ニノンはその読みの鋭さにも驚愕したが、何より何時も表情は柔らかい彼女が、明らかな敵意を顔に出している事に驚いていた。


 私⋯⋯何かやらかしたっすか⋯⋯?


「何て⋯⋯事を⋯⋯」


 ニノンの肩に置かれた魔法士の手に、力が込められた。


「あの子は⋯⋯運が凄くいいんだよ⋯⋯」


 それは、ニノンもなんとなくだがわかっている。しかし、魔装の補助があるエイミーとは違うのだ。多少運がいい程度であのダミーの数を――


「信じられないなら、シスフィの顔をよく見てみて」


 またもやノエルに考えを先読みされ、ニノンは慌てて狩人へと視線を向け直した。


 彼女は――のほほんとしていた。何も――何一つ考えている顔ではない。のほほんと、のほほんとしながら桟橋の辺りを釣り竿を持って眺めてのほほんとしている。ここは静かだなとか思っている顔だあれは。

 だとすれば、まさか本当に運だけでこの場を引き当てたと――


「っ⋯⋯!」


 瞬間、一気に彼女が纏う空気が変わった。いや、驚く程に儚くなった。まるで、そこに居ないかの如く。


 ――ぞわりと、ニノンの背筋に冷たいものが駆け抜けた。


 狩人は、一瞬だけ鋭く目を細め、ロッドを振る。ごく自然に、何の違和感もなく、呼吸するかのように。

 ニノンからすれば、まだ無駄はある。しかし、自然、自然すぎるのだ。ルアーは桟橋の下にそれこそ自然と一体化するかのように消えていく。そこに、人間の気配など微塵もなかった。


「『天命の釣り師ナチュラルボーンアングラー』⋯⋯」


 ニノンはその姿を見て、思わずぽつりと声を漏らした。技術はニノンが遥かに上。しかし、その滑らかさに彼女の肌は粟立ち、頬を冷や汗が伝う。


 たまに居るのだ。こういう天才が。

 磨こうと思って磨ける部分ではない。


 通常釣り人とは魚を釣ることを目的としている以上、キャストに伴い必ず『釣り気オーラ』というものを発してしまう。それは、どんな熟練者であっても完全には隠しきれないものだ。例えばニノン程の釣り人がキャストした際、『釣り気』が一程放たれるとしよう。どれ程上手く隠しても、それくらいはどうしても漏れてしまい、魚にプレッシャーを与える。

 しかし――狩人の場合は限りなくゼロ。

 一切、少なくともニノンは『釣り気』を感じ取る事ができなかった。


 それが『天命の釣り師』と呼ばれる者が生まれながら持つ、技術では補えないセンス。


 師匠と⋯⋯同じ⋯⋯。


 あのナクリ・キャラットと、狩人は同等のセンスを持っていた。


「何言ってるのかわからないけど、もしかして釣りの技術も教えたの⋯⋯」


 魔法士が、歯を噛み締める。

 ニノンは、ごくりと唾を飲み込んで口を開いた。


「わ、私は⋯⋯基礎だけを⋯⋯」


「狩人ちゃんは無駄に器用で無駄に才能があって頭空っぽだから、カラカラに乾いたスポンジみたいに直ぐに吸収しちゃうの、技術的な事はね。知識面は別だけど」


 そして魔法士の言葉の通り、狩人のキャスティングは及第点以上だ。ニノンからすれば未熟さはあるが、到底素人のそれではない。その後の竿さばきも上等。とても昨晩、ニノンに口頭だけで説明されたとは思えない動きだった。

 『天命の釣り師』に加えて、あの器用さ。


「ちょっとまずいね⋯⋯」


 ノエルが何故か釣り竿を狩人に向けてそう呟いた。パーティーの後、釣り大会に参加する女性陣は、不正ができぬよう、ニノンを除いて改めてミリスの『契約書』に署名している。それは成績の一番良かった者のみが、ノイルに好きな要求をできるという内容だ。狩人はあまり何も考えずサインしたのだろうが、そんな彼女に邪魔されてはたまったものではないだろう。ノエルが思わず動こうとしてしまったのも理解できる。何をしようとしたのかはわからないが。


 ニノンは片手を上げてとりあえず彼女を制止しつつ、狩人を観察する。と、その瞬間端から見ても明確なアタリがあった。

 素人なら慌てる場面、しかし、狩人は落ち着いた様子でアワセ、更に暴れる魚を巧みに手繰り寄せていく。


 魚の抵抗を完璧に抑えてるっすね⋯⋯柱に巻かれるのもきれいに捌いた。


 ニノンは誤解していた。その普段のポンコツぶりに、狩人の才能を見誤っていた。一人かつ、スイッチの入った彼女は――まごうことなき天性のハンターだ。


 狩人は充分に魚を寄せると、片手でタモを持ち、一回目で綺麗にランディングする。


「やったぁ!」


 そして、それまでの引き締まった表情から一変して、喜色満面といった様子でふにゃりとした笑みを浮かべた。


 彼女が釣り上げたのは、銀色に輝く細長い魚。ヘビに似ているが、魚体の中央は太くヒレが存在する。


 アリアサーペントフィッシュ⋯⋯!


 アリアレイクの固有種だ。

 まぐれで釣れるような魚ではなく、その鋭い歯は読み違えれば簡単にラインを断つ。しかも、かなりのサイズ。

 いきなりの超高得点だ。


 『本物』っすか⋯⋯。


 ニノンは、畏怖と共に口の端を釣り上げた。


「暴れないでねー動かないでねー」


 狩人はアリアサーペントフィッシュを抑え、サイズの証明となるメジャーと共に写真に納めて満足そうに頷いた。


「うん、これでよし。ごめんね、痛かった? もう何もしないからね。バイバイ」


 そして、あっさりとアリアサーペントフィッシュをリリースして手を振る。


「とりあえず、こうなったら私は狩人ちゃんの精神を今からボコボコにします。ノエルさん、手伝ってください」


「時間を無駄にできないね。すぐ終わらせよう」


「いや何言ってんすか」


 ニノンははっと我に返り、動き出そうとした二人を何とか両手で止めた。


「離してニノンちゃん」


「釣り人にとって手は大事だよね? 私もそんな事したくはないから」


「じゃあやらなきゃいいっすよね!? ノイルさんに言うっすよ!」


 ニノンが必死に最終手段を使うと、二人はぴたりと動きを止めて彼女へと笑顔を向けた。目は笑っていなかった。


「へえ⋯⋯ニノンちゃん。それは脅し?」


「今脅されてるのは明らかにこっちっすよね」


「記憶も消さなきゃいけなくなるよ?」


「ねえ! 脅されてるのこっちっすよね!? ていうかもってなんすか!? もって! 他に何が消えるんすか!?」


 恐怖を覚えながらもニノンが二人を止めていると、狩人がニノン達の方に気づいた。一度瞳を輝かせ、魔法士とノエルの存在に気づいたのかあからさまに眉を顰める。


 ニノンは、相変わらず二人を両手で抑えながら、狩人に笑いかけた。


「み、見てたっすよ。凄いっすね」


「あ、うん! ニノンのおかげだよ!」


 嬉しそうに笑った狩人に、ニノンも再度笑みを返しながら、抑えている二人に小声で囁きかける。


「お二人にはいくつか釣りポイント教えるんで、そっちに行ってほしいっす」


「狩人ちゃんは?」


「どうするの?」


 すかさず小声で返され、ニノンは冷や汗を流しながらもニヤリと笑う。


「私を信じてくださいっす。真っ当に勝負して、抑え込んで見せるっすよ」


 狩人の圧倒的ポテンシャルを目撃して、ニノンの闘志には火が灯っていた。


「私も、やる時はやる女なんすよ」


 不思議そうな顔で小首を傾げ、こちらを見ている狩人に対抗意識を燃やしながら、ニノンは魔法士とノエルにそう言うのだった。

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