無駄に高度な無駄な読み


「はぁ⋯⋯疲れたっす⋯⋯」


 そう呟いて、ニノンは自室のベッドへと倒れ込んだ。自室とは言っても、そこは『白の道標ホワイトロード』の店先に張られたテントの中である。しかし、テントの中は驚く程に広い。板張りの床には絨毯が敷かれ、革張りのソファや猫脚の丸テーブル、今ニノンがうつ伏せになっている大きなベッド、その他豪奢な家具諸々に観葉植物が備えられたテント内は、最早高級宿の一室と遜色ないだろう。天井は高く、壁はまるでお洒落なログハウスを思わせる。

 天井から下げられた大きなランタンが温かく照らすその室内は、『白の道標』の各部屋などよりもよほど豪華な部屋であった。


 当然ながら、ニノンの過ごしているテントは普通の物ではない。ミリスの持つ『神具』の内の一つ――『手軽な宿インスタントルーム』だ。普段は手のひらに乗るほど小さなそれは、投げると一人用テント程の大きさとなり、その内部は更に豪華な一室が広がる。


 既に定員オーバーだった『白の道標』に、ニノンの部屋は用意できなかった。そこで、ミリスは彼女にこれを与えたのだ。破格の待遇にニノンは当初は尻込みしたが、住めば都。結局は慣れである。ミリスにとって『神具』はいくら使い捨てようが構わないものだと知ってしまえば、遠慮はなくなった。もっとも、このあまりにも快適なテント生活も長くは続かないだろう。ミリス曰く、『手軽な宿』は直ぐにその効果を失い消失するらしい。とは言ってもそれは他の『神具』に比べれば、だが。実際既にこれはニノンに与えられた三つ目の『手軽な宿』だった。ミリスは後いくつか『手軽な宿』を保有しているが、このまま毎日使っていれば一年も保たないだろう。何故なら『手軽な宿』を使用しているのは、ニノンだけではないからだ。夜になると『白の道標』の店先に建つテントは二つ、お向かいさんはエイミーである。


 ミリスは豪胆な事に二人で一つではなく、ニノンとエイミーの二人にそれぞれ専用の『手軽な宿』を与えていた。最早ニノンには理解が及ばないが、何故かノイルが「気にしなくていいよ、そういう生き物だから」と言っていたため、この程度は彼女たちにとっては特別でもなければ懐が痛む事でもないのだろう。改めて冷静に考えてみると、とんでもない人たちと付き合っているが、ニノンももうその辺りの事は考えないようにしていた。


 とはいえ、『手軽な宿』に何時までも住み続ける事はできないが、その点も問題ない。現在、ミリスは『白の道標』に広大な地下施設を増設する計画を立て、既に準備を進めていた。近頃『六重奏セクステット』の皆が過ごす『私の箱庭マイガーデン』も、その力を失いつつあるらしい。これを機に、皆が過ごせる空間を用意するそうだ。水上都市という性質上、地下を造るのはかなりの費用と労力が必要であるはずだが、ミリスならば謎のコネと莫大な資金で片手間に済ませてしまうだろう。ノイルも「気にしなくていいよ、そういう生き物だから」と言っていた。地下ではなく素直に『白の道標』を増築すればいい話だが、どうやらミリスは頑として店の外観を変えたくはないらしい。ニノンからしてみれば謎の拘りだった。


 まあ⋯⋯目立つようになるのは嫌っすけどね。


 『白の道標』が大規模な建物になり、注目され仕事が増えるのもニノンとしては嬉しくない。故に、ミリスの拘りは理解できないとはいえありがたかった。


「さて⋯⋯」


 そのまましばらくの間うつ伏せになっていたニノンは、ぽつりと呟きゆっくりと身体を起こした。ベッドの上で一度伸びをして、身体を解す。いよいよ釣り大会は明日へと迫っていた。本日もニノンの元へは、王都の釣りポイント、テクニック、ルアー、ロッド、ライン、狙うべき時間帯――その他諸々の意見を聞きに、皆がひっきりなしに訪れていた。連日現れ、鬼気迫る表情でメモを取りながら、ニノンの話を聞く彼女たちに講義をするのは楽しくはあったが、流石に疲れるものである。しかし、ようやくその波も引き、ニノン相談室本日終了の看板を表に出したニノンは、ひっそりと明日のための最終確認を始める。ベッドから下り、近くの壁に飾られている釣り竿を手に取ってから再びベッドに腰を下ろす。


「悪いっすね⋯⋯」


 そして、にやりと口角を吊り上げ、グリップの底を捻って外した。釣り竿の中から一枚の紙――地図を取り出し広げる。彼女の持った王都の地図には、いくつもの印がつけられていた。


 確かにニノンはここ数日の間に穴場を彼女たちに教えはしていたが、本命は伝えていない。

 これはニノンが独自に調べ上げた、彼女だけのとっておきの釣りポイントの一覧であった。用心深く、万が一見られてもいいようにダミーの印もいくつもつけてある。その見分けは、ニノンにしかつかない。


 まあ、教えたポイントも嘘ではないっすよ。


 ニノンは彼女たちに決して嘘は吐いていない。教えた場所はいずれも良質なポイントだ。しかし秘密の場所は教えなかった。それだけの話である。何も悪い事はしていない。相談料は頂いたが、ニノンは何も悪くないのだ。


「ふむ⋯⋯」


 地図を眺めながら、ニノンは顎に手を当てて初手のポイントと、その後のルートを吟味する。ノイルとレットはもちろんだが、他にも警戒すべき相手は居た。まずはここ数日の間、唯一ニノンにアドバイスを求めに来なかったミーナ。彼女は師匠――ナクリにより、より的確な指導を受け、釣り大会に臨む筈だ。十中八九、ニノンが目をつけた程度のポイントなど、ナクリは当然把握している。釣りにおいて、競い合うのならばポイントが被るのは最悪と言ってもいい。


「⋯⋯ミーナさんは、まあいいっす」


 しかし、ニノンは考えた末そう結論した。相手も当然それは理解しているだろう。ならばミーナはその身体能力を活かし、開始位置からは遠いポイントをまず目指すと推測できた。近場を誰よりも早く取るのも悪くはないが、その間に、ニノンを始めとした熟練者に他のポイントを抑えられる事は避けるだろう。それに今回は勝負なのだ。本来マナーとしては良くないが、後入りも想定しておかなければならない。だとすれば、開始位置からは離れたポイントが最も邪魔が入らず独占しやすい。


「となると⋯⋯ここか、ここ」


 ニノンは地図につけた印に指を当てる。ミーナと初動のポイントが被る可能性は低いだろう。そして釣り場のバッティングが起きなければ、ミーナが自分に適うことはない。しかし彼女はそれで充分だ。ノイルを狙う女性陣の中でトップになれればそれでいいのだから。相手もニノンとは下手に争わないだろう。

 ニノンは一つ息を吐き、警戒対象からミーナを除外する。そして、再び地図に目を落とした。


 逆に、魔装や魔導具を使わなければ身体能力の低い者は、おそらくはボートでの移動を選ぶ。基本的に魔導具は使用禁止となっているが、運営の認可した物ならば使ってもいい。体力が劣る組は魔導具のボートが主な移動手段となる筈だ。となれば、メインの釣り場は都市から出た広大な湖。入り組んだ水路を馬鹿正直に辿るには、幾ら魔導具のボートでも時間を無駄にする。都市外の魚群を追うだろう。


「ふっ」


 ニノン口から思わず笑いが漏れた。


 わかっていないっすね。


 それではダメだ。狙うべきは普段釣りが禁止されている都市内の水路なのだから。


 釣り大会では、釣り上げた魚種とそのサイズによりポイントを獲得できる。希少な種なら高得点であり、釣りやすい魚は点数が低い。広大な湖で、大物かつ希少な種を狙うのは至難の業だ。それに、幾らアリアレイクが広いとはいえ、当日は多くの釣り人が湖に出る。ならば魚にかかるプレッシャーは平時とは比べ物にならないものになり、スレるのも早い。大物を狙えるポイントにも人が殺到するだろう。長年生きた魚は賢い。人の気配が濃厚であれば、中々ルアーにかかってはくれなくなる。餌釣りであれば話は変わるが、今回は餌の使用は禁止だ。都市外で大物を狙う難易度は計り知れないものになるだろう。

 となれば、湖に出た組は必然的に釣りやすい魚種を狙う事になる。確かに堅実にポイントを稼げ、順調ならば上位を狙えるが――それだけだ。ニノンのような『本物』には決して届かない。


 『本物』が狙うのは、普段釣りが禁止でプレッシャーがかかっておらず、かつ希少で大物が潜伏していそうなポイント。人通りが少なく、理想的なストラクチャーが存在する、都市内の水路。即ち、貴族区周辺の水路である。広い場所に大物が居るとは限らない。なんてことはない水路にも、希少な大物は潜んでいる。流石に貴族区には入れないが、水路での釣りが解禁されるこの日に、その周辺を狙わないのはあり得ないのだ。ニノンが目をつけたポイントも多くが貴族区周辺だ。まずここに自力で辿り着けない者は、『本物』にはなれない。


 しかし、『本物』ではなくとも、その領域に牙を届かせんとする存在をニノンは知っている。

 『精霊王』たるエルシャン・ファルシード、そしてエイミー・フリアン、ミリス・アルバルマの三名だ。


 エルシャンの場合は、事前に精霊による調査で何処に魚が居るのか把握している可能性がある。当日は精霊の力は奮えないが、事前調査は禁止されていないからだ。

 ニノンは眉根を寄せる。


「いや⋯⋯問題ないっすね」


 パーティーの際、ミリスは鬱陶しそうに精霊を振り払っていた。と言うことは、未だエルシャンは自身の立てた誓いとやらで、精霊に群がられている。精霊は気まぐれで面倒くさがりて適当だ。タダでマナを好きなだけ貰えるというのに、仕事はしないだろう。今、彼女の探査能力は著しく低下している。何より決定的なのは、ニノンにポイントのアドバイスを求めに来ていた点だ。高確率で、彼女は精霊による事前調査は行えていない。

 ニノンはエルシャンも警戒対象から外す。


 次はエイミーだ。

 彼女の場合は非常に危険である。

 何故ならば、エイミーはその魔装により、ノイルと結ばれる可能性を非常に高めているからだ。運は彼女に味方する。普通ならば運だけではニノン達には届かないが、それすら打ち破るビギナーズラックを見せるかもしれない。

 エイミーにおいて警戒するべきなのは、ニケルベンベを釣り上げてしまう可能性がある点だ。ニケルベンベはジョーカーのようなものであり、もし釣り上げればその時点で間違いなく優勝は決まる。

 そして、ニケルベンベを釣り上げて彼女が優勝しようものならば、ニノンは二度と立ち直れないだろう。


「⋯⋯怖いっすね」


 ニケルベンベは、本来なら夜中にしか釣れないとされている。しかしその理由には、ある仮説が存在した。

 それは、ニケルベンベは十中八九、眠らぬ回遊魚である、というものだ。おそらくは、日中は都市内の水路を泳いでいる。そして、日が落ちると湖へと戻るのだ。故に、普段ならば夜にしかチャンスは訪れない。これはナクリも提唱している有力な説だ。しかし、水路での釣りが解禁されるのであれば話は別である。

 とはいえ、ニノンではニケルベンベは狙えない。あまりにもリスクが高過ぎるからだ。ニケルベンベは回遊魚ではあるが、おそらくは決まったルートを泳いでいるわけではない。それならばもう少し目撃情報があってもいい。群れで行動せず、決まったルートを通らぬ回遊魚。それを釣り上げるのが如何に困難か。

 とはいえ、ノーヒントというわけでもない。王都の北門で、それらしきアタリがあったとの報告が多いように、おそらくは何かしらの法則性は存在している。それがただの個体差であれば白き靄の中を手探りで探るようなものだが。


 しかし、ニノンはその法則性を見抜けていない。水面での魚影の目撃もないとなると、水底ボトムにつく魚だという事は推測できる。だが、一見規則性のない回遊ルートを割り出すには圧倒的に情報が足りていなかった。できる事なら、この機会に検証を進めたいものだが、これまでナクリや生物学者でも特定できていない生態を、一日程度でどうにかできると思うほど、ニノンは愚かでもない。それに、歴史に残る第一回釣り大会で、不甲斐ない成績を残すなど一生の恥だ。

 ニケルベンベを狙うリスクの高さは、釣りに傾倒しているニノンだからこそよくわかっていた。まともな思考ができるのならば、狙うべきではない相手。しかし――エイミーは違う。


 彼女の場合は、狙わずとも水路で奇跡的に回遊しているニケルベンベと邂逅してしまう可能性がある。勝てばノイルに好きな事を要求できるという状況下において、エイミーの運は天井知らずだ。ほんの些細なきっかけさえあれば、天秤は彼女に傾く。


 だからこそ――


「勝負の世界は非情なんすよ」


 ニノンは事前にエイミーだけには偽りのポイントを伝えておいた。特別だと言って。手ごたえは上々であり、彼女はニケルベンベには辿り着けないだろう。罪悪感はある。釣りに対しても不誠実な行いだ。しかし、これまで全く釣りに興味のなかった者が、運のみでニケルベンベを釣る可能性があるなど、耐えられなかった。あれは真の釣り人であり、心の底から求めている者が釣り上げるべき魚である。相応しき実力を持つ、資格あるものだけが手にするべき栄光だ。

 運も実力の内など、クソ喰らえである。


 それに、これはノイルの心を守る事にも繋がる。自分より先にエイミーがニケルベンベを釣ったとなれば、彼の心も砕け散るだろう。つまりこれは、エイミーのためでもあり良き行いに他ならないのだ。


 ニノンは罪悪感で痛む胸を押さえて、ニヒルな笑みを浮かべた。


「私が泥を被るっすよ⋯⋯」


 そう言って、自分の心を騙す。自分勝手な行いを正当化する。これは、正義だ。


 しばらくの間瞳を閉じ、胸を抑えていたニノンは、ゆっくりと目を開けた。


 次の問題はミリスだ。

 彼女の場合は、あの眼が脅威。

 マナが視えるということは、すなわち魚の持つマナも視えるという事だろう。どこまで視えているのかは不明だが、偏光グラスなどよりも上のはずだ。魚が何処に居るか直接視えるのならば、それはもうあまりにもズルい。ズルいとしか言いようがない。水路をただ眺めているだけでも伝説のニケルベンベだって見つけられる。とにかくズルかった。


「私も欲しいっす⋯⋯」


 ニノンはまたニヒルな笑みを浮べてぽつりとそう漏らした。才能など欲した事はなかったが、ミリスが羨ましくて仕方ない。まあ、常に視えてしまうのならば、それはそれで興ざめでもあるのだが。

 ニノンは一つ息を吐く。


 しかし、とはいえミリスも大丈夫だろう。

 彼女は単純に釣りが下手である。しかも、頗る興味がない。以前ノイルにも聞いた事があるが、おそらく秒で投げ出すだろう。脅威だが、脅威にはなり得ない存在だ。実際、ノイルに断られたとぷりぷりしながらニノンにルアーとラインの結び方を訊きに来たが、一度やってもう飽きていた。その上、全くちゃんと結べていなかった。


「ふむ、結局あの二人っすねぇ」


 色々と警戒するべき相手を想定したが、やはり問題となるのはノイルとレットだろう。ノイルに関しては、ここ数日の間湖と一体化すると言ってアリアレイクに浸かり続ける精神修行を行っており、レットも同じ事をやっていた。意味があるのかと普通の人ならば思うだろうが、ニノン達の領域に達していれば、突飛な事とは感じない。むしろその高まった集中力に、畏怖を感じるほどだ。あの二人は、次元が違う。一般人では感じ取れぬオーラに、ニノンも当てられていた。しかしだ、女性陣の言っていた事がどうにも気になる。ノイルは実力を発揮できないとは、本当に一体どういう事だろうか。今や彼は、ニノンでも危険と思える領域に達しつつあるというのに。


「うーん⋯⋯」


 ニノンは考えてみるが、やはり彼女たちの予想が間違っているとしか思えなかった。そして、地図に目を落とし、改めて明日のためのルートを構築する。


「ノイルさん、レットさんと被るのだけはごめんっす」


 あの二人とバッティングしてしまえば――


「あ⋯⋯」


 そこまで考えて、はたとノイルが実力を発揮できない理由に思い至り、一旦地図を閉じる。


「ははぁ⋯⋯なるほどっすね⋯⋯」


 対消滅、つまりそういう事だろう。


「だったら、初手さえ間違えなければ余裕っす」


 ニノンはうんうんと頷き、笑みを浮かべて再度地図を開き直した。

 と、その瞬間涼やかなベルの音が部屋に鳴り響き、ニノンは慌てて秘密の地図を布団の下に隠す。これは、テントの入り口取り付けられている呼び鈴だ。


「だ、誰っすか? 今日はもう終わりっすよ!」


 やや上ずった声で、ニノンは問いかける。


「私、入っていい?」


 その遠慮がちな声に、ニノンはほっと息を吐き出した。ドキドキとなる心臓を落ち着かせてから、返事をする。


「いいっすよ、狩人さん」


「えへへ⋯⋯ありがとう」


 ふにゃっとした笑みを浮かべてテントの中に入って来たのは、薄紫の髪をポニーテールにした女性――狩人、またの名をシスフィである。

 彼女ならば何も問題ないと、ニノンは慌てて隠したせいで皺の寄ってしまった地図を取り出し、眉を顰める。


「ごめん、何かしてたの?」


「ああ、大丈夫っすよ、これくらい」


 申し訳なさそうに眉尻を下げた彼女に、ニノンはぱっと笑みを向ける。一度怯える小動物化した狩人の姿を見ているが故に、ニノンは彼女に特別優しかった。ニノンが隣をポンポンと叩くと、狩人は嬉しそうにそこに腰を下ろす。


「それで、何か用っすか?」


「うん、実はルアーの結び方がわからなくて⋯⋯私準備されてた道具でウキ釣りしかしたことなくて⋯⋯ちっちゃい池だったし⋯⋯魔法士にも訊いたんだけどでたらめばっかりで⋯⋯ノイルは邪魔しちゃ悪いし⋯⋯」


 何故選択肢がその二人なのか。

 ニノンは涙目になっている狩人を、生温かい笑顔で見つめる。

 ノイルはともかく、何故魔法士なのか。他にも選択肢は幾らでもあった筈だ。自分で調べるなり、他の『六重奏』のメンバーに訊ねるなりすれば良かったのに。数日間、そんな初歩の初歩で悩んでいたというのか。時々、ニノンは彼女の事が非常に心配になる。

 手のかかる子ほどかわいいというのは、こういう感情なのだろうか。それとも諦観なのだろうか。ニノンはとにかく、狩人を見ると優しい気持ちになれた。


「じゃあ教えるっすよ⋯⋯」


「やった!」


 ニノンがそう言うと、狩人は瞳を輝かせる。


 ふふ⋯⋯この人は大丈夫なんすかね⋯⋯ 。


 ノイルが特別狩人に優しいのも、必然なのだろう。


「ねえ、気になってたんだけどそれって何なの?」


 と、ニノンが優しく優しく微笑んでいると、狩人が彼女が手に持ったままだった秘密の地図を指差した。


「ああこれは、明日の釣りポイントに印をつけてるんすよ」


 そう言ってニノンは地図をひっくり返し、狩人に見せる。秘密の地図ではあるが、彼女ならば見られようが構わない。それに、ダミーの印を幾つもつけているのだ。ルアーの結び方すら知らない狩人は、見たところでニノンの真意には辿り着けないだろう。


「ふーん」


「参考にしていいっすよ」


「え! 本当!」


「もちろんっす」


 再び瞳を輝かせた狩人に、ニノンは地図を手渡した。そして、よくわかっていないながらも、それを食い入るように見つめる彼女の頭をそっと撫でる。それはまるで幼子に接するかのような態度でもあったが、狩人はニノンの手を払いのける事はなく、むしろ嬉しそうに脚をパタパタと揺らした。端から見れば、小柄なニノンが大人びた狩人の頭を撫でているのは、非常にちぐはぐな光景である。しかし、ニノンは何の違和感も抱かなかった。


 もう同じ過ちは繰り返さないっすよ。


 ニノンはかつての自身の失敗を思い出しながら、彼女の頭を撫で続ける。


「いいっすか、ラインはこうやってっすね――」


「うんうん」


「結んだままにして簡単に取り付けられる物もあって、それを使うべきルアーもあるんすけど、基本は変えるたびに結び直した方が――」


「なるほど!」


「んじゃ、次はキャストの基本を――」


「わかりやすい!」


「スキッピングっていう水切りみたいに落とすテクニックもあって、これは水面と水平にキャストして水面につく瞬間に竿先を上げて――」


「すごーい!!」


「意外と簡単で基本のテクニックっすから、覚えておくと狭いカバーを狙えて釣りの幅が――」


「ありがとうっ!」


 そして、懇切丁寧に優しく狩人に釣りの手解きをしていくのであった。

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