ダーティープレイ


 王都の北側、採掘者街から貴族区に繋がるアーチ橋の下を狙い、ミーナは眉間に皺を寄せ鋭い瞳を向ける。ここはノイルとレット、両者が最初に狙ったポイントと酷似した環境であり、釣り大会の開始地点からは距離のある場所であった。実父であるナクリからのアドバイスを受けた間違いなく絶好の釣り場である。普段は滅多に頼ってくれない娘に、秘蔵のポイント、そこで使うべきタックル、釣り方まで、ナクリは喜々とした様子で全てを教えてくれた。


 故にこの釣り大会に於いて、ミーナはニノンとナクリはともかく、他の誰にも負ける気など微塵もなかったのだ。

 元々ミーナはナクリの子だというだけあり、釣りの技術に関しては決して素人とは言えない。幼い頃からナクリに釣りを教わっていた。もっとも、ミーナ自身は釣りにそこまでの楽しさを見い出せず、完全に娘と共に釣りをしたいというナクリの望みに付き合わされていただけであったが、物覚えの良い彼女は流石に父親には到底及ばないものの、釣りの技術だけは直ぐに習得した。

 実家を出てからノイルに出逢うまで一切釣りはやっていなかったが、幼い頃の経験はまだ身体が覚えている。


 ミーナには、絶対の自信があったのだ。

 この釣り大会で他より抜け出し、その権利を使いノイルとデートをして、最後まで行くという自信が。


 しかし――


「っ⋯⋯」


 ミーナは僅かな声を漏らし歯を噛み締め、釣り竿を振る。狙いは当然橋の下。だが、彼女のキャストしたソフトルアーは突如、局所的に吹いた突風により見当違いの方向に吹き飛ばされ着水した。


「――今日は風が強いね」


 その凛とした声に、ミーナは急いでルアーを回収しながら振り返り、わざとらしく髪を抑えている人物を睨みつける。


「あんた⋯⋯正々堂々って言葉を知らないわけ⋯⋯!」


 そして、怒りに満ちた静かな声を涼し気な顔をした黄白色の髪の美女――エルシャン・ファルシードにぶつけた。

 明らかにミーナの妨害の為だけに動いているエルシャンは、芝居がかった仕草で肩を竦める。煽るようなその態度が更にミーナを苛つかせた。


「もちろん知っているさ。ただボクから言わせてもらえば、そんなものに拘り目的を果たせないというのは愚かという他ない」


「ただっ! ただっ! 卑怯なだけでしょうがッ!」


「そういう見方もできるね」


「そういう見方しかできないのよ!」


 ミーナが歯を剥き出しにしてそう言うと、エルシャンは呆れたようにゆっくりと首を横に振って、これまた馬鹿にするかのように息を吐き出した。

 二人の喧嘩は多くの採掘者マイナーが距離をおいて物珍しそうに見物していた。


「まったく⋯⋯キミはいつもそうやってボクのやることなすことに難癖をつけるね」


「難癖!? これが難癖!?」


 とうとうミーナが憤慨する。しかしエルシャンは堂々と腕を組んで頷いた。


「ああ、だってそうだろう?」


「何がよッ!」


「そもそもボクは別に何もしていない。今のはただ、運悪く突風が吹いただけじゃないか」


「この⋯⋯! バレバレどころの話じゃないのに⋯⋯! この⋯⋯!」


「疑うのはよしてくれないかな? あまり気分のいいものじゃない」


「何で被害者面できるわけ!? あんたは加害者でしょうが!」


「証拠は?」


「この⋯⋯!」


 ミーナは問われ、足を鳴らし拳を握りしめたが、言い返す事はできなかった。確かに証拠は何もない。エルシャンが犯人なのは間違いないが、というより釣りの道具すら持たず全身にマナボトルを身に着けたアホな姿の彼女以外に犯人はあり得ないが、証拠はなかった。風が吹いただけだと言われてしまえばそれまでだ。ミリスのようにマナを視る事ができれば精霊の仕業なのは一目瞭然だが、ミーナに彼女のような眼はない。


 更に表情を険しくし怒りに震えるミーナを見て、エルシャンはまた馬鹿にするように息を吐き、片手を上げた。


「何の根拠もなく人を疑うのは良くない。人間性に少々問題があるね。やはり、泥棒猫だからかな?」


 ぷちり、と、ミーナの中で何かが切れる音がした。

 顔を俯かせ、彼女は暗い声を発する。


「⋯⋯ノイルに言ってやるわ」


「構わないよ。ボクは何もしていないからね」


「⋯⋯だいたい、あんた、あたしにまとわりついてたら自分の釣りができないじゃない。馬鹿じゃないの」


「キミが気にする必要はない」


 ああ⋯⋯そう⋯⋯何か手は打ってるわけね⋯⋯。


「ほんと、見下げ果てた根性ね。腐って悪臭が漂ってるわ」


「ここにきて誹謗中傷かい? どちらの性根が腐ってるのかな」


 ミーナはもはや何を言っても無駄だと顔を上げた。エルシャンは変わらずミーナを見下すように得意気な笑みを浮かべている。しかし、その頬には一筋の汗が流れ落ちていた。

 当然だろう。今エルシャンは四六時中精霊達にまとわりつかれ、好き勝手にマナを食べられている状態だ。自身の中に宿した精霊の力を奮うにもかなりの無理をしているはず。涼し気な顔をしているが、尋常ではない程にその身には負荷が生じているのだろう。


 上等よ⋯⋯。


 そんな状態で何処まで自分について来られるつもりかは知らないが、そっちがその気ならこちらは妨害の手を振り切るまで。エルシャンが倒れるまで、移動し続ける。

 元々広大な森に住む森人族は、素の身体能力も高い。一度は本気ではなかったとはいえミリスの蹴りを精霊の力を借りず躱した事も知っている。ただし今の弱体化した状態で、獣人族の血を引く自分に敵うと思うなど、愚かにも程があるのだ。


 ミーナは釣り道具をまとめ素早く地を蹴った。エルシャンがそれにすかさず追随する。


 見物人の採掘者やじうまたちが歓声を上げていた。







 釣り大会もいよいよ佳境となった頃、ニノンはまた一匹水路から巨大魚を釣り上げていた。


「やったっす! これはティランミルアっすよ!」


「うわ、これタモで大丈夫?」


「いや、破られるかもしれないっすから、グリップで!」


「わかった!」


「歯と鱗が鋭いっすから、気をつけてくださいっす!」


「怖いけど任せて!」


 狩人と一緒に。

 彼女たちは、釣り大会を非常に満喫していた。


 ニノンが充分に巨大魚を寄せた所を、狩人がフィッシュグリップでランディングする。陸に上がった魚を前に二人は大はしゃぎしながら両手を打ち合わせた。


「すごいねニノン!」


「いやー、狩人さんもお見事っす!」


「えへへー」


 そのままにこやかに二人は声を揃えて笑い合う。狩人を止めるという大役を自ら買って出たニノンであったが、気がつけば二人仲良く釣りを楽しんでいた。当然成績はニノンが上であるが、彼女はもはやまったく狩人を止めてはいない。互いに恨みっこなし、諍いもなしで同じポイントで釣りをし続けているだけであった。


「でも、やっぱりニノンには敵わないなぁ」


「いやいや狩人さんもすごいセンスっすよぉ。始めたてでこれなんすから」


 釣れた魚のサイズを測りながら、二人は和やかに会話を交わす。


「それにまだ少し時間はあるっすからね。もう一、二匹釣れるっすよ」


「うん! 最後まで楽しもう!」


 計測を終えた魚をリリースしながら、ニノンが笑みを向けると、狩人が片手を元気よく上げて頷いた。そのまま二人はもう一度軽く片手を合わせ、移動するために荷物をまとめる。


「ん⋯⋯?」


 その際、ニノンは一瞬何かを忘れているような気がして手を止めた。


「ニノン! 早くー!」


 しかし、いち早く荷物をもって歩き出した狩人に手を振りながらそう言われ、気のせいかと自身も荷物を手に立ち上がる。


「今いくっすよー!」


 そして、笑みを浮かべながら機嫌よく狩人に返事をするのだった。







 夕陽に照らされ煌めくアリアレイクを、ソフィ・シャルミルは釣り糸を垂らしながら魔導具のボートに乗って静かに移動していた。

 すいーっと音も波も立てず、滑るように動くソフィの操るボートは、同じく一艇のボートに近づく。そこで真剣な表情を浮かべ、両手で釣り竿を握っている人物にソフィは邪魔にならない程度の声量で声をかけた。


「釣れますか?」


「⋯⋯⋯⋯また来たんですか」


 赤茶色のややクセのある髪に、キャスケット帽を被った女性――エイミー・フリアンはちらとだけソフィに視線を向けそう呟く。


「お邪魔でしょうか」


「邪魔じゃないですけど⋯⋯自分の釣りはいいんですか?」


「問題ありません。沖から泳がせてきましたので」


 ソフィが糸の伸びる釣り竿を軽く持ち上げて答えると、エイミーは再びそれをちらと見て直ぐに視線を自身の釣り糸の先に戻した。


「釣れますか?」


「⋯⋯⋯⋯まだです」


 再びソフィが釣り竿を置きながら訊ねると、エイミーはぽそりと答えを返す。そして、視線を鋭くしたまま言葉を続けた。


「でも、確実に居るんです。アタリは来てます。全部逃しちゃってますけど⋯⋯あれを釣り上げられれば私の勝ちは揺るぎません」


「そうですか」


 ソフィはじっと彼女を見つめながらこくりと頷く。エイミーは未だ一匹も魚を釣り上げていないようだが、どうやら狙いはしっかりと定めているようであった。


「やっぱりここは穴場ですよ。もう何度も強烈なアタリがありますから」


「そうですか」


 ソフィはもう一度こくりと頷き、辺りを見回す。ここは、陸から王都へと続く大橋の内の一つ、その袂であった。湖畔にほど近いここは、急激に水深が増す落ち込みとなっており、確かに平時であれば良いポイントなのだろう。釣り雑誌にも載っているし、ニノンからもエイミーはそういった情報を得ている筈だ。


 しかしソフィは知っていた。


 西の大橋の袂はつい先日補修工事を終えたばかりだという事を。


 執筆作業で部屋に籠もることも多いエイミーは知らなかったようだが、ソフィは知っていた。


 王都の東に位置する『白の道標ホワイトロード』からは逆の位置にあり、そうでなくとも都市から出る用事でもなければ気づかなかったかもしれないが、ソフィは知っていた。


 まだこの辺りには工事の影響で魚が戻っていないだろう事を、ソフィは知っていた。


 だからこそ、平時ならば有名なこのポイントには人が集まっていないのだ。最初はそれなりに居た釣り人も、早々にやはり釣れないと判断したのだろう。今ではエイミーだけがぽつんとそこに残り粘り続けていた。


 彼女だけに度々訪れている強烈なアタリに、全てを懸けていた。


 しかしソフィは知っていた。


 そのアタリの正体をソフィは知っていた。


 釣り上げた所で何の意味もない事を、ソフィは知っていた。


「皆さん諦めるのが早過ぎます。確かに難敵ですけどここには確実に――居ます」


「そうですか」


 しかしソフィはお口にチャックしていた。だから一発逆転を確信しているエイミーにこくりと頷くだけだった。


 そのまま二人はしばしの間無言で過ごし、ソフィの泳がせ釣りの竿がグンとしなる。非常に落ち着いた様子でソフィは釣り竿を手に取った。


「大漁だぜぇ」


「⋯⋯⋯⋯」


 何処かから取り出した草を咥え、リールを巻き始めたソフィをエイミーが無言で一瞥し、ツッコミを放棄して直ぐに顔を戻す。


「ソフィちゃんは⋯⋯何で今日は私の所にちょくちょく来るんですか」


 そして、ふとそんな事を大物と格闘中のソフィに訊ねた。

 ソフィは巧みに釣り竿を操りかかった魚を捌きながらも、すっと真顔になって彼女に答える。


「一番いい瞬間が観られそうですので」


「へぇ⋯⋯私に期待するなんて何か意外ですけど⋯⋯それ、間違ってなかったですよ⋯⋯!」


 ソフィの言葉を聞いたエイミーは、一度目を見開くと勝ち気な笑みを浮かべた。見れば、彼女の竿先はピクピクと動いている。ラインが走り、エイミーも動いた。


「ひゃー! やっときたー! うわっとと⋯⋯!」


 歓声を上げたエイミーは、次の瞬間には竿ごと湖に引き込まれそうになり、慌てたように表情を引き締め直す。


「ふんぬぬぬぬぬぬ⋯⋯!」


 まるで湖の主を思わせるかのような苛烈な引きと、エイミーは顔を真っ赤にしながら格闘する。その様子を、ソフィは実に冷静にリールを巻きながらじっと見つめていた。


「勝つのはぁ⋯⋯! 私なんですぅ⋯⋯!」


 散々振り回され、汗を流し息を切らしながらも、エイミーは万感の想いを込めたような声を発し執念の果てに――遂に、それを釣り上げた。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「あ、どうも」


 ぺこりと頭を下げた自身の糸の先を掴む人物を見て、達成感と興奮に満ちた様な顔をしていたエイミーの表情が消える。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」


 やがて、放心したように開いたエイミーの口からはそんな小さな声が漏れた。


「こんにちは、レレフラ様」


「こんにちはソフィ。その節はお世話になりました。あ、ちょっと失礼します」


 ソフィにも挨拶を返しながら、エイミーの釣り上げた海人族の女性――レレフラ・ミューイは糸から手を離し、湖に入り直すと水面からひょっこりと顔だけを出す。


「ふぅ⋯⋯楽しんでいただけましたか?」


 そしてエイミーに向き直った。


「⋯⋯⋯⋯え? ⋯⋯え? もし、かして⋯⋯今までの⋯⋯全部⋯⋯」


 何拍か遅れて、エイミーはぽつぽつと未だ放心し切った様子でレレフラにそう訊ねる


「はい、私です」


「⋯⋯え⋯⋯は⋯⋯なん、で⋯⋯?」


「皆様に海底都市にお越しいただいた際に、お願いされていたものですから」


「⋯⋯⋯⋯は⋯⋯なに、を⋯⋯」


「近々釣り大会なるものが開催されるので、その際にはエイミーさんの相手をして楽しませて上げてほしいと」


「⋯⋯は⋯⋯?」


「あまり釣りがお得意ではないから、と」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯だれ、に⋯⋯」


「えっと、エルさんにノエルさんにアリスさん、それからそれからフィ――」


 そこで、ハッとしたようにレレフラは目を開いて口を両手で押さえた。


「いけないいけないこれは内緒でした。ご友人たちのご厚意を察して上げてください」


 うっかりしていたとばかりにコツンと頭を叩いたレレフラを見て、エイミーは実に見事に膝から崩れ落ちる。その瞬間と絶望に染まった顔を、ソフィがカシャリとカメラに納めた。


 その音にピクリと反応したエイミーは、非常にゆっくりと、片手には自身の身の丈程もある大魚を、もう片手にはカメラを構えているソフィへと感情の抜け落ちたような顔を向ける。

 二人の様子にレレフラが不思議そうに首を傾げた。


 しばしの間三人の間に静寂が訪れ――


「あんまりじゃないですかぁああああああああああああ!!」


 エイミーは涙を流しながらそう叫んだ。

 瞬間、ソフィはシャッターを切る。


「今の間、表情、声量⋯⋯やはり、エイミー様は非常に優れたリアクション芸をお持ちですね。参考になります」


「もうッ! もうッ! もおおおおおおおおおおおッ!!」


 どこか満足げに頷くソフィに、エイミーは更に声を上げわっと顔を伏せて蹲った。


「あのー⋯⋯私何かやっちゃいました?」


「お気になさらずに。歓喜の叫びですので」


「そんなわけないじゃないですかぁッ! もおおおおおおおおおおおッ!!」


 そして、レレフラが困惑したような表情を浮かべ、ソフィのシャッター音が響き、エイミーは叫びながらバンバンとボートに拳を打ち付けるのだった。

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