エピローグ


「うわぁ⋯⋯」


 釣り大会の終了時刻となり、王都の南大橋、その袂の平原に戻ってきたニノンと狩人は、同じ様な表情で目を細めてそう声を漏らした。


 釣り大会参加者の集合場所であり開始地点であったそこには、多くの釣り人たちが集まっている。辺りは既に落ちかけた夕陽に照らされており薄暗くなりつつある中、一層暗い空気を放つ一角が存在していた。


 集った釣り人たちはそのあまりの空気の悪さに近寄ろうとしないため、人だかりの中にぽっかりと開けたような空間ができている。皆がその空間――そこに集まっている者たちから目を逸らしていた。


 何故かお互いに傷だらけになって暗い表情をしているノエルと魔法士。

 何故か魂の抜けた様な表情で立ち尽くしているシアラ。

 何故かびしょ濡れかつボロボロで睨み合っているフィオナとアリス。

 何故か達成感に満ちた顔で気を失いソフィに支えられているエルシャンと、彼女に憎悪のこもった様な瞳を向けているミーナ。

 そして、蹲り涙を流しているエイミーと、その背を擦っている何故ここに居るのかわからないレレフラ。


 釣りやってて何がどうなったらそうなるんすか⋯⋯。


 ニノンには最早彼女たちの状態が全く理解できなかった。


 エイミーだけはおそらくニノンも含めた皆の策謀にまんまんとハメられてしまったが故に、ああなっているのだろうが、それ以外は何があったのか知りたくもなかった。


 ニノンと狩人は一度顔を見合わせ、そっと彼女たちの居る方向から顔を逸らす。お互いに言葉は交わさなかったが、あの空間にだけは近づきたくないという気持ちは当然一緒だった。


「あ」


 と、地獄から逸らした視線の先――大橋を渡ってくる二つの人影を見て、狩人が小さく声を上げる。ニノンも目を細めてみると、それは例のあの二人だった。


 ⋯⋯こっちも何があったんすか⋯⋯。


 非常に上機嫌な様子で肩を組み合い、非常に良い笑顔でこちらに向かってきているのは、大喧嘩をしていたはずのノイルとレットだ。

 まだ遠い位置に二人は居るが、それでも死ぬほど楽しそうに話しながら歩いているのがわかる。

 ニノンは二人がぶつかり合ってまともに結果を残せないだろうとは予測していたが、以前よりも明らかに絆が深まっているのは予想外でしかない。あの謎のしょうもないプライドは一体何処に消え去ったというのか。あれだけいがみ合っていたのに、そのあまりにも良い笑顔は何だというのか。

 ニノンにはもうあの二人がアホに見えて仕方がなかった。


「仲直りしてよかったねー」


 二人を見てただ純粋に嬉しそうな狩人に一度視線を向け、ニノンはふっとニヒルな笑みを浮かべる。


 私の心が汚れてるんすかね⋯⋯これ⋯⋯。


 きっとそうなのだろう。

 何せ自分は汚属性だ。

 だからあの二人がアホに見えてしまったのだ。


 ニノンはそう反省し、ニヒルな笑みを浮かべたまま二人を待った。隣で微笑みながらぴょんぴょんと跳ね、手を振っている狩人の眩しさからは視線を逸らし続けていた。


「よお! ニノ!」


「狩人ちゃんも!」


 ニノンと狩人の前まで悠々と歩いてきた二人は、ぐっと同時に親指を立てて笑う。ニノンは、変わらずニヒルな笑みを二人に向けていた。


「お疲れ!」


「あ、はいっす」


 声を揃えた二人に、ニノンは生暖かい瞳を向けながら頷く。


「うん、お疲れ様! どうだった?」


 純粋な狩人が二人の謎のテンションに合わせ、自身も親指を立てながら訊ねる。すると、二人はにやっと同時に笑い、一度顔を見合わせると再び親指を同時に立てた。


 おかしいっすね⋯⋯私もテンションは高いはずなのに⋯⋯。


 ついていけないニノンは、ニヒルな笑みを固定したまま三人の話を聞く。


「最高だった(ぜ)!!」


 おかしいっすね⋯⋯私も最高だったはずなのに⋯⋯。


 ニノンは二人とは別の位置に立っている気しかしてこなかった。背後から漂ってくるプレッシャーに、何故この二人――というよりノイルは気づかないのだろうか。ちょっと奥を見てみれば、そこには地獄が覗いているというのに。ニノンは背中が痛いのに。


「いやーマジでバンバン珍しい魚も釣れてよぉ!」


「しかもサイズがまた! これがね!」


「毎日水路での釣り解禁してい欲しいぜ!」


「いやいやそれだとここまでの釣果もなくなるでしょ!」


「そりゃそうか!」


「まあでも!」


「やっぱり毎日やりたい(てぇ)!」


 声を揃えてノイルとレットは拳をぶつけ合う。


「ジレンマってやつだね!」


「困ったもんだよなぁ!」


 そして、異様なテンションのままに声を揃えて笑いあった。レットはともかく、ノイルのテンションがここまで高いのを見たのは初めてかもしれないとニノンは思った。

 狩人も二人の話を聞きながら実に楽しそうに笑っている。彼女は楽しそうな空気なら何でもいいのだろう。


 ちらりとニノンは背後を確認する。ソフィと気絶しているエルシャンを除いた例の人たち全員が、こちらを暗い表情でじっと見ていた。


 陰と陽が過ぎる。


 ニノンはそう思いながら急いで視線を戻す。

 何故これを三人は感じないのか。とくに狩人は先程直接あの光景を目にしたというのに。


 悪目立ちしないために近づいては来ないが、負のオーラは最早ニノンを呑み込まんとする勢いだった。


 訊くべきなのか。

 訊いていいのか。


 ――ノイルの釣果を。


 ニノンは背後のプレッシャーに潰されそうになりながら、それだけを考えていた。


 二人一緒に戻ってきた時点で、正直ノイルの釣果には全く期待できない。もしも彼の成績が彼女たち全員に勝っていたのならば、むしろ問題は解決するだろう。争いはしたが、結局誰一人として彼に及ばなかったのならば、誰も得はせずまだ丸く収まる可能性はある。しかし、最早ニノンはこの二人に微塵も期待はできなかった。


 しかしどちらにせよ、直ぐに結果は出る。

 大々的に発表される前に訊き出しておくべきか否か。


 どちらが正解なのかニノンにはわからなかった。


「――得点は?」


 と、ニノンが悩みに悩んでいると、ノイルとレットの背後から正にその質問が投げかけられ、彼女は目を見開きごくりと生唾を飲み込んだ。見れば、二人の背後にはいつの間にやらナクリが立っていた。


 ニノンの全身に緊張が奔り抜ける。


「おう、師匠!」


「お疲れ様です!」


「うむ」


 振り向いた二人は、相変わらず親指を立てた。


「して、得点は?」


 一つ頷いたナクリは、再度その問いを投げかける。チリチリと、ニノンは背に鋭い痛みを感じていた。やはりこちらの会話は聞いているようだ。それなりに距離は離れているというのに。


「いやーそれがよ師匠」


「いやもうほんとかつてない程の釣果だったんですけど」


「全部二人で釣ったからよぉ」


「得点はゼロなんですよね」


「アッハッハッハッ!」


 互いの肩をバンバンと叩きながら笑い合うノイルとレットの二人を見て、ニノンは目を閉じた。


「まあでも最高でしたよ!」


「ああ! もう順位とかどうでもいいよなぁ!」


「僕たちは気づいたんですよ」


「この釣り大会、心から楽しんだやつは全員優勝だってな!」


「まったくその通り!」


 ニノンは、目を閉じたまま天を見上げる。


 バカ野郎っす。

 このバカ野郎っす。

 もうみーんな、バカ野郎っす。


 ニノンはもうどうにでもなれと、そう思いながら瞼の裏に夕陽を感じていた。


「フ⋯⋯確かにな」


 ナクリが満足げに笑む。

 ノイルとレットも笑い合う。


 そんな中、狩人がぽつりと呟いた。


「え、ノイル⋯⋯じゃあ約束はどうするの?」


 皆の笑みが、一瞬で消えた。


 しばしの間を置いて、ずしゃりと、誰かが膝から崩れ落ちる音を聞きながら、顔を上げたままだったニノンは目を開け、小さく小さく息を吐き出す。


 ああ、楽しかったすねぇ⋯⋯。


 そして茜色に染まった空を眺めながら、釣り大会の思い出を噛みしめるのだった。







「てれってれーてれってれー」


 『白の道標』の店内に、平坦なソフィの声が響き渡る。釣り大会お疲れ会の会場と化し、飾り付けられ様々な料理が並べられた店内の空気はしかし冷めきっており、仮設された小さなお立ち台の上に立つ彼女へと送られる拍手は、一部の者のみのパラパラとしたものだった。


 集った者たち殆どの表情は険しく暗い。


 胃の中にまるで大きな石を落とされたかのような重圧と緊張感を感じながら、ニノンは部屋の隅に膝を抱えて座っていた。


 隣には同じように膝を抱えて座るレット、更に隣には観葉植物の側に座るノイルが居る。彼は、燃え尽きたように真っ白になっていた。

 真っ先に逃げ出そうとしたレットの服の裾を、虚ろな瞳でニノンはぎゅっと握り締めている。


 一人だけ逃げようなんて、そうはいかないっすよ⋯⋯。


「へへ⋯⋯」


 薄い笑みを、ニノンとレットは同時に浮かべた。


「ほら、どうじゃノイル? 元気が出るじゃろう?」


 そんな二人の隣では、魂の抜け落ちたかのようなノイルの前にしゃがみ込んだミリスが、ニコニコしながら彼の口に禍々しい料理を押し込んでオーバーキルしていた。


「結果発表ー」


 ソフィが何処までも平坦な声で、皆にそう告げる。同時に最早誰のものかわからない舌打ちが店内には響き渡った。


「さーて笑いたい気分の人は居るかなー?」


「笑いの剣と盾、爆笑戦士の登場だ!」


 と、その時勢いよく扉を開けて、ピエロのような格好をしたキルギスと守護者が店内に飛び込んできた。笑いとは程遠い考え得る中でも最悪のタイミングである。


 当然ながら誰一人として彼らには目を向ける事すらしなかった。


 二人に付き合わされていたはずのクライスとガルフは居ない。わざわざ地獄に飛び込んでくる気などさらさらないのだろう。今頃『獅子の寝床』で平穏な時間を過ごしている筈だ。


「仁義なき乙女たちの釣り大会、優勝者はー」


 ソフィすらも二人をスルーして言葉を続け、ぐっと両拳を肩の上に持ち上げる。


「ソフィ・シャルミルー」


 そして変わらず平坦な声で、ニカッといい笑みを浮かべてそう言い放つ。


 結局のところ、最も成績の良かった者はソフィであった。公式の結果としては当然ながらナクリが一位でニノンが二位だったが、どちらも仁義なき乙女たちの釣り大会とやらには参加していない。故に公式の結果でも三位につけた彼女の優勝である。とんだ茶番であった。


「ワーワーキャーキャーパチパチパチー」


 ソフィの何処までも平坦な声と、まばらな拍手が店内には響き渡る。空気は冷めきっていた。


「こんなの⋯⋯無効よ⋯⋯」


「いや、それはできぬぞ。お主たちは『契約書』にサインしたじゃろう。ルールを破ればただでは済まぬ」


 ミーナが暗い表情でぽつりとそう声を漏らすと、相変わらずノイルをオーバーキルしながらミリスがそう言った。ミーナを含めた殆どの仁義なき乙女たちの釣り大会参加者が表情を更に歪める。


 そんな中、壁に背を預けて瞳を閉じて微笑んでいたエルシャンが、目を開け拍手をしながらソフィに歩み寄った。


 ああ⋯⋯最初からこれが狙いだったんすか⋯⋯。


 ニノンはその美しい笑みを見ながら、全てを察した。確かにソフィが勝利してもエルシャンにとっては勝利のようなものだ。事前に打ち合わせしていたのかは不明だが、していなくともソフィならば彼女の為に動いても何の不思議もない。


「素晴らしいよソフィ⋯⋯! 流石はボクらの子だ」


 ソフィの前に歩み寄ったエルシャンはそう言って、期待するかの様な瞳を彼女に向けた。


 再び幾重もの舌打ちが店内には響き渡る。


 結局は手段を選ばず卑怯の限りを尽くした者が最後には勝つのだ。それが世の常なのだ。

 ニノンはそう思いながら何時でも逃げ出せるように腰を上げた。


「⋯⋯⋯⋯申し訳ございません、マスター。実はこの機に試してみたい事が」


 ⋯⋯ん?


 しかしニノンの予想とは違い、しばしの間じっとエルシャンを見つめていたソフィは、そう言って頭を下げる。エルシャンもぱちくりと瞳を瞬かせた。


 何やら誰も見ていないのに芸を続けているキルギスと守護者以外の全員が、ソフィに驚いたような瞳を向ける。


 彼女は頭を上げると、ごそごそと懐から長方形のシールを取り出した。

 そして、自身の左胸の辺りにぺたりと貼り付ける。


 そこには、『反抗期』と書かれていた。


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯。


 ニノンは彼女の奇行に目を細める。

 何もかもが予想外過ぎて理解が追いつかなかった。


「⋯⋯っ⋯⋯そうか」


 何がっすか。


 しかしエルシャンはそれで全てを察したのか悔しげに、それでいて仕方ないとばかり顔を歪める。


「申し訳ございません」


「いや⋯⋯反抗期なら⋯⋯くっ⋯⋯仕方ないさ⋯⋯」


 アホっすか?


「それは、ソフィの成長の証だからね⋯⋯」


 ねぇ、アホっすか?


 二人の謎のやり取りを見ながら、ニノンはそう思うしかなかった。


「それに、考え直してみればやはり強制的にノイルに言う事を聞かせても意味はないね。欲望は満たされるが、それだけだ。ありがとうソフィ。君のおかげで自身の醜さに気づけたよ」


 なんで卑怯の限りを尽くした人がそんな良い笑顔できるんすか?

 なんで美談みたいにできるんすか?

 なんでいい話みたいになってるんすか?


 ねえ、なんすかこれ。


「いえ、ソフィは反抗期なだけですので」


 どこがっすか?


 愛らしく微笑んだソフィを見ながら、ニノンはそう思うしかなかった。


 気がつけば、冷え切り緊迫していた店内の空気は霧散している。皆も今の謎の二人のやり取りを見て、しかし安心したのだろう。表情に柔らかさが生まれていた。


 ノイルに至っては、まるで女神に祈るかの様にミリスに禍々しい料理を口に押し込まれながらも、涙を流しソフィに向かって両手を組んでいる。


 ニノンは、深々と息を吐きながらレットの服の裾を離した。


 結局のところ、全ては本当に茶番だったのだ。

 ソフィは最初からそのつもりだったのだろう。

 誰も勝たないように、穏便に済ませられるように、ノイルのやらかしも、どうせ無事には終わらない争いも、全部彼女はフォローしてみせた。

 今はテセアがいない分、彼女は頑張ったのだろう。


 敵わないっすねぇ⋯⋯。


 ニノンは彼女に多大な感謝を抱きながら、安心した心地で笑みを浮かべて瞳を閉じ壁に背を預けた。

 

「ねぇ、ニノン」


「あ、はいっす」


 しかし名を呼ばれ、直ぐに身を起こして姿勢を正す。見ればいつの間にかニノンの前にはニコニコと笑みを浮かべたノエルと魔法士が居た。


 嫌な予感にニノンは頬を引きつらせる。


 ちらりと隣を見れば、レットは既にそこに居なかった。


 しくじったっす⋯⋯。


「⋯⋯な、なんすか⋯⋯?」


 ニノンは安心してレットの服の裾から手を離した事を後悔しながら、ニコニコとしている二人に恐る恐るそう訊ねる。


「んー、まあ結果的には大丈夫だったから別にいいんだけどね」


 ノエルが可愛らしい笑みのままそう言うと、魔法士が一枚の紙をニノンの前に差し出した。


 あ⋯⋯。


「何で狩人ちゃんが四位なのかな?」


 そして、だらだらと汗を流すニノンに小首を傾げる。ニノンは生きた心地がしなかった。魔法士がニノンに見せつけたそれは、釣り大会の順位表であった。


「ニノン、言ったよね? シスフィの事は任せてって」


「はいっす⋯⋯」


「じゃあ何で狩人ちゃんの成績がいいの?」


「はいっす⋯⋯」


 ニコニコ笑顔のノエルと魔法士に、ニノンは俯いてそう言うしかない。忘れて一緒に釣りを楽しんだなど、とても言えるわけがなかった。


「はいじゃなくてね」


「あ、はいっす⋯⋯」


「何で?」


「それはっすね⋯⋯」


「やる時はやるんじゃなかったの?」


「はいっす⋯⋯」


「もしこれで狩人ちゃんが勝ってたらどうしてたの?」


「⋯⋯はいっす⋯⋯」


「はい、じゃなくてね」


「⋯⋯⋯⋯」


「どうしてたの?」


「はいっすぅ⋯⋯」


 二人に責められながら、ニノンは助けを求めてちらりと隣を見る。しかし、未だノイルは禍々しい料理を食べながらソフィへと感謝の祈りを捧げていた。


 その姿を見ながら、ニノンは何もかもを諦めてニヒルな笑みを浮かべる。


 そしてまた、彼女もこう思うしかないのだ。


 ――なんでも屋の店員ですが、正直もう辞めたいっす、と。







 その後ソフィは、仁義なき乙女たちの釣り大会優勝の権利を使いノイルと一日王都巡りを楽しみ、エルシャンは釣りは正々堂々やるようにとノイルに叱られたという。




――――――――――――――――――――

如何でしょうか?

仁義なき釣り大会編はこれで終わりになります。


少しでも面白いと思って頂けたなら、コメント、☆、応援など頂ければ幸いです。


次回は『ノイルの居ない日』or『温泉に行こう!』編を予定しております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なんでも屋の店員ですが、正直もう辞めたいっす 高葉 @kamikire

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ