なんでも屋の店員ですが、正直もう辞めたいっす

高葉

仁義なき釣り大会

大喧嘩

 「それ」が始まったのは、何故だったのだろうか。


 親友同士の何気ない談笑だった。いつも通り、普段通り、彼らは食事をしながら親しげに気のおけない会話をしていた。

 しかしいつからか空気は重く張り詰め、二人は互いへと鋭く細めた瞳を向け合っていた。


 今の二人は相手へと激しい敵意と怒りを抱き、およそ親友と呼ぶべき相手にかけるべきではない言葉を掛け合っている。声音は冷たく刺々しく、平時からは到底考えられない程に険悪な空気を醸し出している。彼らが向き合い腰を下ろしたテーブルには、誰も近づこうとはしない。二人へと、集まった者たちはそれぞれの想いを抱きながら視線を向けているが、誰も声をかけようとはしなかった。


「だからよ⋯⋯」


 二人の内の一人、逆だった鈍色の髪の男が、ダークブラウンの瞳を細めながら口を開く。幼さを感じさせる美少年のような面貌は、平時は可愛らしくもあるのだろう。しかし、今は一切その面影を感じられない程に険しく歪められていた。グラスを丸テーブルに置いた彼は、自身の正面に座っている男を睨みつける。


「無理だっつってんだろ」


 そして、ぶっきらぼうで明らかな苛立ちを隠さない口調で、相手に言葉をぶつけた。丸テーブルを挟んで彼の前に座っている黒髪黒眼の男が、呆れたように一つ息を吐く。整ったその顔は、女性的とまでいかないがどちらかと言えば優しげな印象を受けるものだ。普段は常時締りのないやる気なさ気な表情の彼は、しかし今は鋭い目つきで眉間に皺を寄せている。あまり見られない珍しいその引き締まった顔は、彼がどれ程本気なのかを如実に物語っていた。


「自信過剰にも程があるでしょ」


 更に、あくまでも言葉自体は柔らかなものだが、普段なら絶対にしないような見下すような口調でそう言った後、男は腕を組んで小バカにするかのように小さく鼻から息を吐き出した。


 それによりピリと空気はますます張り詰め、彼らとは別のテーブルについている蜂蜜色の髪の小柄な女性――ニノン・ロマリィは目を細める。くぴりとワインを一口飲み、テーブルの中央に設けられた網の中で、炭火が立てるパチパチという音を聞きながらグラスを置いた。


「僕に確実に勝てるなんて、よくそんな思い上がりができるよね」


「はあ? そっちこそ調子に乗ってんだろ」


「どこが?」


「まず勝負になると思ってるとこがだよ」


「まあ確かにならないね。僕の方がレット君より圧倒的に上だし」


 おっとぉ⋯⋯言うっすね⋯⋯。


 ニノンは煽るような黒髪の男の発言に驚く。そんな事を言うような人だとは思っていなかった。まあ、今回は理由が理由だけにしかたないのかもしれない。


 逆だった鈍色の髪の男――レット・クライスターは更に気分を害したように、頬杖をつくとテーブルを指でトントンと何度も叩く。


「⋯⋯ちっ⋯⋯喧嘩売ってんのかノイルん」


 そして、不快げに舌打ちをして、吐き捨てるように黒髪の男――ノイル・アーレンスにそう言った。


「事実を言っただけだけど?」


 ノイルは腕を組んだまま椅子の背もたれに深くよりかかり、そう返す。


「救いようのねぇ馬鹿だなおい。レベルの差もわからねぇような奴だとは思ってなかったぜ」


「自分に言ってる?」


「⋯⋯マジでわからせてやらねぇとダメみたいだな」


「それはこっちの台詞だ」


「泣いても知らねぇぞ」


「泣くのはそっちだ」


「女共に囲まれてロクに時間も取れてねぇ奴が吠えてんじゃねぇぞ」


「その分僕は一回一回を大切にして心から向き合ってる。レット君と違ってね。ていうかそこはつかないでよほんと」


「⋯⋯俺は向き合ってねぇってか?」


「少なくとも僕よりはね。何時でも行けるからってへらへらやってるだけだ」


「あ? 何時もへらへらしてんのはてめぇだろうが。舐めてんじゃねぇぞ」


「僕は生まれてこの方、一度も釣り・・を舐めたことはない」


「⋯⋯上等だ。釣り大会・・・・でどっちが上かはっきりさせようじゃねぇか」


「⋯⋯師匠の次に釣りが上手いのは僕だ」


 静かに火花を散らし合う親友同士のやり取りを見やり、ニノンは天井を見上げ、一つ息を吐いた。


 しかししょうもない争いっすね⋯⋯。


 ニノンも既にこの二人との付き合いは一年近くになるが、これまで一度も喧嘩をしている所など見た事がない。いや、おそらくは友人となってから本気で喧嘩した事などなかったのだろう。タイプが違うようで驚く程に気が合う二人は、時にお互いがお互いを見捨てたりしながらも、常に仲は良かった。遠慮など一切ない正真正銘の親友で、それは端から見ていてもよくわかる事だ。


 だというのに、今二人は非常にしょうもない理由で大喧嘩している。殴り合いにこそ発展はしていないが、ここまで険悪な空気となったのは初めての事だろう。

 近々王都で行われる釣り大会、そこでどちらが二位になるかという話で揉めているのだ。


 最初は新たな王都の催しについて、二人とも非常に機嫌良さげに和気藹々と語り合っていたはずだ。しかし、気づけばいつの間にか喧嘩を始めていた。どちらのどんな発言がきっかけとなったのかはわからないが、二人とも相手よりも自分の方が釣りの腕前は上だと思っていたらしい。あのプライドなどないと度々公言しているノイルでさえ、謎のプライドにより相手に対する怒りを募らせている。


 しかしそれも仕方のない事なのかもしれない。二人は釣りを心の底から愛している。そして、同性の親友同士だからこそ起きてしまった小競り合いなのだろう。師匠――ナクリ・キャラットには敵わない事を前提としている時点で、そのしょうもないプライドに果たして意味があるのかは大いに疑問だが、譲れないものがあるのだ。

 未だ続いている二人の言い合いを聞きながら、本当にしょうもないとニノンは思う。


 師匠の次に上手いのは私っすよ。まったく⋯⋯。


 彼女もまた、謎のプライドを持っていた。


 しかしニノンは下手に喧嘩に加わるような事はしない。面倒であるし、自分の方が二人より上手いことは間違いないからだ。故に、ニノンはあえてそれを主張する事もなく、大人な態度を取る。結果は当日になればはっきりする。腕前は口先で主張せず、釣果で示す。それこそが釣り人としてあるべき姿だ。二人ともよく理解できている筈なのに、相手への対抗意識でそんな基礎の基礎を忘れてしまっている。


 未熟っすね⋯⋯本物を、魅せてあげるっすよ。


 そして彼女もまた、自覚がないだけで彼らと同類であった。


 ニノンは無駄な争いだと、一度ニヒルな笑みを浮かべたあと、顔を戻す。


「あれ、止めなくていいんすか?」


 そして、二人を指さしながら周囲の者たちに訊ねた。彼らから少し離れたテーブルには、毎度お馴染みのメンバーが集まっている。

 今日はノイルの生還一周年を祝うパーティーの日だった。『海底都市ディプシー』の一件により延期となっていたが、無事にそれも片付き改めて開催されたのだ。

 世界一周の旅に出てしまった馬車――リティとテセア・アーレンスは居ないが、他の者は皆が参加していた。


 普段ならば、多くの者がノイルに関する事ならば制止も聞かずに首をめり込ませる勢いで突っ込む筈だが、今は不思議な事に皆が静かに各々食事を取っていた。レットの発言も本来ならば粛清の対象になりかねないものだ。だというのに、誰も動く気配がない。ニノンは、それが少し不気味であった。


「――いいですか? ニノンさん」


「あ、はいっす」


 貸し切りとなっている『炭火亭』、そこに集った者の内の一人、空色の髪の美女――フィオナ・メーベルが瞳を閉じてワインを一口飲むと、口を開く。ニノンはその優美な仕草に、思わず姿勢を正して正面の彼女を見た。フィオナはコトリとグラスをテーブルに置くと、目を開けてニノンへと艶やかに微笑む。

 これで頭がおかしくなければ、とニノンは思った。


 もうニノンも初心者ではない。『白の道標ホワイトロード』――ノイルの周りの女性が、失礼ながら変人だらけだということは重々承知している。十中八九、これ程優雅な空気を醸し出しながらも、よくわからない事を言い出すだろう。


「先輩にとって、釣りとは神聖なものなんです」


「そっすか」


「釣りに関する事は謂わば聖域であり、先輩が望まない限りは下手に口出しするべきではありません」


「そっすか」


「まあ確かに、あのゴミの先輩への発言には思うところしかありませんし個人的な感情で言えば、今すぐ消し去りたいところですが」


「そっすよね」


「先輩は言っています。誰も手を出すなと。口には出さずとも、語っています」


「へぇ」


「ならば私がやる事は、先輩があのゴミにその素晴らしい実力を見せつけたあとの、ゴミ掃除です。現段階では、余計な事をするのは先輩のためにはなりませんから」


「勉強になるっす」


 人間とは、絶対に慣れないと思っていた事にも、いずれは適応してしまう生き物である。だからニノンは特にツッコむ事はしなかった。もう、この程度のフィオナのノイル学ならば驚く程の事でもない。


 フィオナはニノンの反応に満足そうに頷くと、レットと言い合っているノイルに蕩けるような表情を向けた。そして、染めた頬に両手を当て、うっとりとした口調で呟く。


「それに、見てください。あんな先輩の姿は貴重です。しかも天然ものですよ! 見ようと思って見られるものではありません。ああ⋯⋯冷たい瞳が素敵です⋯⋯ね?」


「⋯⋯⋯⋯」


 しかし、流石にそれには同意できなかった。確かにノイルが本気で親しい者に怒っているのは珍しいのだろう。普段は何をしてもあそこまでは怒らない。基本的にプライドがないというのは嘘ではないからだ。


 フィオナの言っていることは、今のノイルが素敵だという点を除けばまあ理解はできる。ニノンとしても、釣りに関する事に下心ありきで首を突っ込まれるのは嫌だ。本気で興味があるかないかなど、ニノンやノイル、レットの領域に達していれば直ぐにわかる。だからこそ、このノイルに異常な執着と好意を持つ女性たちは、釣りを利用して距離を縮めようとはしないのだ。


 彼と接近する上でそれは最も有効な手段でありながら、自身の浅はかさを露呈し拭えぬ不評を買いかねない扱い困難な諸刃の剣である。自然な流れで時折付き添う程度が最も賢いやり方だろう。彼女たちはもはや純粋に釣りを好きになる事は不可能だ。どうしたってノイルという存在が不純な動機となる。そしてノイルはそれを確実に見抜く。好きな相手の好きな事だから好きになった、という理由で喜ぶタイプでもない。純粋で深すぎる好意が皮肉な事に不純物となり、彼女たちは釣りという効果的な手段を用いる事ができないのだ。


 この人たち、物凄く賢いのにアホなんすよね⋯⋯。


 ニノンはとうとう鼻血を流し始めたフィオナを見て、そんな失礼な事を思い、ワインをもう一口くぴり、と飲むのだった。

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