8月32日

きと

8月32日

 8月31日。

 それは、夏休みの終わりとして有名な日である。

 多くの子供たちにとって来てほしくない日。

 そんな日の空の下をとある少年が、アイスを食べながら歩いていた。

 本当は友達と最後に思い切り遊びたいと思い、プールに行きたかった。

 だが、

『悪い! 宿題終わってないから無理!』

 とことごとく断られてしまった。

「ったく、宿題は早めに終わらせておけよなー……」

 誰に聞かれることもないひとり言をつぶやきながら、少年は適当に歩く。

 友達の宿題を手伝っても良かったかもしれないが、あいにく少年も勉強は好きではない。

 友達のうらみ節が聞こえてきそうだが、もとはと言えばギリギリまでやらなかった方が悪い。

 それに、こうして友達が必死になっている中、自分は悠々ゆうゆうとアイスを食べてのんびりしているのは、なんだか優越感ゆうえつかんがあっていい。

 まるで月曜日に有給休暇を取った会社員のような気分になっていた少年は、ピタリと足を止めた。

 少年の視線の先には、こけむした石の階段。

 さらに視線を斜め上に上げれば、ひっそりとたたずむ鳥居。

「……神社、か?」

 この町に十数年間住んでいるが、こんなところに神社があるのは、初めて知った。

 見た目がなんだか古そうな神社。なんだか冒険心をくすぐられる。

 それに、ちょうどアイスも食べ終わった。

「よし」

 特にやることもなくなった少年は、好奇心にられて神社に入ってみることにした。

 階段を上り、鳥居をくぐり、境内けいだいへと足を踏み入れる。

 そこは、全体的に古びていて、神秘的な雰囲気を感じる場所だった。

 といっても、賽銭箱さいせんばこと本殿があるだけの、特に面白みがある場所ではなかった。

「ま、こんなもんか。つまんねぇーなぁ」

 当然ながら、少年としては修学旅行で連れていかれた歴史的建造物のように、興味をそそられる場所ではなかった。

 すぐに帰ろうとした少年だったが、ふと賽銭箱が目に留まる。

 ――せっかくだし、お参りしていくか。

 少年は、財布を取り出して、賽銭箱にお金を入れようとした。

 そこで、少年の脳裏にある考えがよぎった。

 ――こんなボロい神社に、お金入れるのはもったいないな。

 少年は、口にくわえていたアイスの棒を手に取り、そのまま賽銭箱に放り投げた。

「夏休みが終わりませんようにー」

 適当に言い放ち、礼などもすることもなく、少年は神社をあとにした。


 翌日。

 少年は、特に変わりなく目を覚ます。

 今日から学校。

 また勉強の日々が始まると思うと、少し憂鬱ゆううつになる。だが、文句を言って変わるものでもないので、大きくあくびをしてから、ベッドを出る。

 友達は無事に宿題を終えたのか、少し気にしながら二階の自室から一階の居間へと向かう。

 居間には、母親がいた。

「おはよう、お母さん」

 いつものように挨拶あいさつをすると、母親はおどろいたような顔をする。

「ん? どうかした?」

「どうかした、はこっちのセリフよ。休みの日なのに起きるの早いじゃない」

「はぁ? 今日は9月1日だから、学校始まる日だろ?」

 そう返すと、母親は首をかしげて言う。

「何言ってるの。今日は8月32日でしょう? まだ夏休みじゃない」

 ……まだそんな年じゃないのに、もうボケてしまったのか。

 少年は、あきれつつ母親の勘違いを正そうと、カレンダーに目をやる。

 まだ、8月31日が書かれている月のページから破られていないようだった。

 仕方なく少年は、カレンダーを破る。


 そこには、9月ではなく、8月32日から62日までが書かれたカレンダーが現れた。


「…………は?」

 呆然ぼうぜんとする少年だったが、背後から肩を叩かれてはっとする。

 振り返ると、母親が不思議そうにしていた。

「何ほうけているのか知らないけど、朝ごはん準備したから。食べちゃいな」

 いわれるがまま、テーブルにつき、食事をとる。

 テレビでは、朝のニュースが流れている。

 だが、今の少年には、テレビに気にする余裕はない。

 あのカレンダー。自分が寝ている間に、わざわざ作ったのか?

 いや、そんなことをする人間は家族に居ない。

 様々な考えが頭をよぎる。

 そんな中で、気にしていなかったテレビから、天気予報を伝えるキャスターの声が聞こえてくる。

「それでは、今日8月32日のお天気を見ていきましょう!」

 家族によるいたずら。

 そんな考えが吹き飛ぶ言葉だった。

 少年は、あわてて自室に戻る。

 母親が何か言っていたが、今は無視する。

 携帯電話を手に取り、友達に電話する。

 誰でもよかった。誰かが、今日は9月1日だと言ってくれれば。

 だが、そんな望みもむなしく、連絡を取る人全員が口をそろえて言う。

『何言ってるんだ? 今日は8月32日だぞ?』

 訳が分からなかった。

 混乱する少年は、気づけば家を飛び出していた。

 スーパーに張っているチラシにも。コンビニに置いてある新聞にも。

 8月32日。その文字が刻まれていた。

 何が起きているんだ?

 分からない。何もかもが、分からない。

 少年は、フラフラと放心状態で街を歩く。

 そこに、

「あの、どうかしたのですか?」

 少年が顔を向けると、そこには赤い着物を着た女性がいた。

 少年は、泣きそうになりながら、

「みんな、おかしいんです! 今日は9月1日なのに、みんな8月32日だって! なんで、なんでこんな……!」

 そんな少年を見て、女性はクスクスと笑った。

 ――ああ、この女性もダメなのか。

 そう、少年が失望する中で、女性は冷たく言い放つ。


「だって、これは君が望んだことだろう?」


「…………………………………………え?」

「夏休みが終わりませんように。そう願ったのは、君だろう? だから終わらないようにしたんだよ。感謝して欲しいものだがな」

 女性はそれだけ言うと、去ってしまった。

 呆然とする少年は、膝から崩れ落ちる。

 そして、思う。

 ――もう、いいか。

 終わらない夏に、少年はおぼれていく。もう二度と、戻れないところまで深く。

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8月32日 きと @kito72

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