命拾い

百一 里優

いのちびろい


 おとりか何かにされたらしい。

 俺は古びたアメ車の大型セダンの運転席にひとり座っていた。


 乾いた広い空き地のような場所だった。

 さっと目を走らせても、周囲には何もなく、わずかに草のはえた地面が延々とつながっているだけだ。


 もはや何色かわからないほど色のせたボンネットの先には、少し離れて、暴力団の会長とおぼしき男がキャンピングチェアに座っている。

 きわめて短く刈り込まれた髪の両脇には剃り込みが入っている。

 その筋の方の典型的な髪型のひとつだ。

 顔の肌は浅黒くて、奇妙なほどつやがいい。鍛えているのでもなく、太っているのでもない、ブルドッグのような不思議に肉付きのいい顔だ。

 皮肉に満ちたふたつの目が、俺に向けられている。

 紋付の黒い羽織に、ストライプの入った白いはかま

 がっちりとした体躯たいくを思わせる背筋の伸びた姿は堂々としている。

 脇を二人の側近が固めている。

 向かって左は肉体派で、右は頭脳派という風情ふぜい


 和服の男は、手の中の回転式銃リボルバーを、もてあそんでいる。

 俺の方を見て、にやりとする。

 そして銃口を俺に向け、すぐに逸らす。

 その度に俺は、ドキッとして、ホッとする。

 一瞬、回転式弾倉の一つから向こうの空が見えた。たぶん、一発分だけ空なのだ。

 男が何か言っているが、どういうわけか、俺の耳にはまったく届かない。

「覚悟はできたか」とか、「貧乏くじを引いたな」とか、唇が動いているように見えたが、憶測に過ぎない。


 なぜ自分がここにいるのか、知らない。

 気がついたらこうなっていた。

 隣には刑事がいたはずなのだが、いなくなっていた。


 拳銃を向けられるなんて初めての経験だし、正直、実感はわかなかった。銃よりもむしろ、何を考えているのかわからないその男の雰囲気に、恐怖を感じた。


 男はさきほどよりも一層皮肉な表情で笑うと、銃口をぴたりと俺の顔に向けた。

 頭を撃ち抜くつもりなのだと思った。

 銃弾が頭を貫通するのはどういう感覚なのだろう。

 そして死ぬということは。

 この世に未練がないと言えば、嘘になる。まだ死にたくなかった。

 だが、不思議と俺は慌てふためかなかった。

 心臓は飛び跳ねたが、俺は男を見つめていた。

 もちろん睨みつけることなんかできない。ただ見るだけだ。

 まるで最後に、死というものを、しっかりと見届けようとするように。


 男の顔が真剣になったと同時に、銃口がわずかに揺れ、「パァーン!」という甲高い音がする。

 撃たれたと思ったのに、どこも痛くなかった。

 すぐ近くで、カンッ、という金属音がしたから、車のどこかに当たったのだろうか?

 狙い定めていたはずの銃身が微妙に動いたのは、わざと外したのかもしれない。

 男の視線は俺をとらえたままだったから、自分が撃たれたかと思ったのだ。サッカーとかのパスフェイントみたいなものか……。

 なんとも奇妙な感覚だった。

 どうやら弾は、車のフロントグリルかどこかに当たったらしい。車の先端からわずかに煙が上がっている。

 安堵すると同時に、恐怖は一気に高まった。

 恐ろしさから、思わず脚をシートの上に抱え上げた。いまさら遅いが、弾が突き抜けてくるような気がしたのだ。


 肉体派の側近は天を仰いで笑っている。

 頭脳派は何事もなかったようにピクリとも動かない。


 俺はまだ男を見続けていた。

 というより、目を逸らすことさえできなかった。

 ふっと男の手が動いたかと思ったら、次の弾が放たれた。

 右側のフェンダーミラーが吹き飛んだ。

 ビビっている間もなく、もう一発。

 銃はこっちを向いていたから、今度こそ駄目かと思ったら、弾はフロントウィンドウと屋根の継ぎ目に当たった。

 その周囲のガラスに少しだけ細かいヒビが入った。

 相当な腕のようだった。

 奴は俺を精神的になぶりながら殺すつもりらしい。


 いつの間にか、男の部下らしきチンピラたちが車を取り囲んでいた。

 何人かが拳銃を手にしており、興奮しながら口々に何か叫んでいる。

 たぶん、俺の頭から血が流れるのを早く見たいのだろう。

「俺が代わりにぶち込みましょうか!」とか言っているに違いない。

 すぐそこなのになぜか声は聞こえてこない。

 銃声や弾が車体に当たる音はしっかりと聞こえたから、耳がおかしいわけではないらしい。


 会長が不敵に笑う。

 銃を俺の方に向けて、顔はそっぽを向く。

 まさか、そのまま撃つのか、と思った。

 適当に撃たれたら、むしろ当たるかもしれない。

 銃口はゆらゆらと揺れている。

 指先に力の入るのが見える。

 やめてくれと思ったが、喉が渇いて、声は出ない。

 パンッと音が響く。

 痛くなかった。

 最初と同じような音がしたから、またグリルに当たったのだろう。

 六発拳銃なら、残りは一発のはずだった。

 そしてその一発が、俺の頭を貫くに違いない。

 きっちりと俺の眉間に照準を合わせている。

 銃は一ミリもぶれない。

 今度こそ終わりだろう。

 

 そんなときだった。

 車を囲んでいた部下どもが、波が引くように離れて行く。

 別の、地味なスーツを着た男の群れが、その隙間に入り込んでくる。

 いくつもの拳銃が会長に向けられている。

 一人がドアを開け、俺をかばううかのように前にかぶさってくる。

 そのまま車から引き出され、今度は後から来たスーツの男たちに囲まれる。

 どうやら、生きたまま助かったらしい。


 ふと顔を上げると、俺を見捨てた刑事が、何食わぬ顔をして、俺よりも安全そうなポジションにいる。

〝おい、お前のせいだぞ〟と言ったはずが、やっぱり声は出なかった。


 会長以下、組員たちは、刑事たちに連行されて行った。


 気がつくと、俺はひとり、そこに取り残されていた。

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命拾い 百一 里優 @Momoi_Riyu

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