万能感の挫き

魔法というのは本質的に万能感の象徴として描かれます、なぜならば超自然的な事象として描かれるためです。
しかし、その魔法という超自然的現象をもってしても、地震という日本における自然的災害の象徴には屈する物である、これは自我と他として寓意であるともとれます(他は単なる物質として捉えるのではなくむしろ自我の鏡像として捉えるものであると、なぜならまた私という存在は他という存在との分裂として理解されたす(その典型例が言語です、言語とは模倣によって覚えるもですから))。
また、死とは連続にたいしての切断として脱数理的な、うーんある種の根元的な意味を帯びます数理的とは再現可能という意味でお願いします。
また、罪悪感とは人間本来の感情でありむしろ現代では(いや、あるいは私が)希薄なものです。そこに他者という大概にして万能感を覆すモノ(結果として万能感は覆されている)と罪悪感とは自らの万能感を恥じる心すなわち無力感として現れている。
罪悪感とは何か?それすなわち無力感として現れていると感ずるものなのでしょう、と考えさせられるものであります。

追記。貨幣=喜び=交換可能(最初に金で雇われたゆえに)と死=悲しみ=交換不可能の対比ありますね。喜びは共有したく、悲しみは一人で浸りたい。人の性。
原子論(すなわち現代科学文明)を唱えた者が笑う哲学者として、流体論(すなわち詩学的世界観)唱えた哲学者が泣く哲学者として伝えられ
たのも、偶然ではないのかもしれません。

エンドに関してはバットというより自己犠牲の人間の善性を描いていますからニュートラルですね。

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