罪悪感の果てに

ぷれぷれ

罪悪感の果てに

 今、どれくらい時間が経っただろうか。もう手足の感覚さえもない。声を出そうにも出ない。のども完全に枯渇している。呼吸できる事自体が奇跡だ。助けてほしい。そんな願望を持ってから10日が過ぎた。水は雨水を飲んで補給したがとてつもなく不味かった。助けて、痛い、怖い。いろんな感情が飛び交う。しかしそんな感情さえも壊すくらいの静寂。瓦礫に埋もれた私の体。何も見えない暗黒の空間。精神崩壊寸前の私。体に打ち付けられる瓦礫の数々。

 その時、


「エリ――ッ!!」


 はっきりと私の名が聞こえた。だけど声が出ない。出そうにも出せない。出たい、助けて、と


「お――いっ!!」


その声掛けは虚しくも、エリー耳には聞こえても声に出す力はない状態だった。


「クソっ! 反応がない!」


 いるんだ! ここに! そう思っても聞こえるはずがない。願望を嘆いているとふと時計が目に入ってきた。エリーと刻印されている亡き祖母がくれた物。時計を見ると3時を指していた。


 時計? ……アラーム機能! アラームであれば外部に存在が伝わるはず!    アラームを10秒に設定して祈った。


 最大音量に設定した腕時計が耳をつんざいた。その音はしっかりと空気に波を任せsos信号を発した。その音はかすれながらも瓦礫の隙間から救援者に届いた。


「いたぞ! 要救助者だ! 瓦礫をどかせ! 死ぬ気でどかせ!」


「うおおおおおお!」


 暗黒で静寂であった恐ろしい空間を鮮やかな光が希望の色にした。





                 ◯





「いや―、驚きましたよ。この世界にこんなに高い建造物があるなんて。世界はひろいですねぇ」少女は軽い口調でボソッとつぶやいた。


 生まれて初めてビルを見る私は少々腰を抜かしましたね。しかも、なんかかっこいい。まあ、そのビルに今日は用事があってきたわけなんですが。にしてもこの国は人が多いですね。私の故郷の何倍でしょうか。そんなどうでもいい考えを巡らせていると、目的のビルに到着しました。ビルが多すぎて6回間違えたことは秘密でお願いします。てか秘密にしやがってください。


 てこづらせやがって。なんでこんな中心部にあるんですかね。くそったれですね。


「お、お待ちしておりましたアムネシア様」


 おぼつかない言葉遣いで私が入とすぐに話しかけてきました。かわえええ。


「どうも、アムネシアです。私に依頼があるとのことで来たのですが」さっきまでの軽い口調とは打って変わり、他人バージョンの話し方へと切り替えた。


「ま、まずは社長室までお越しください」


 おや、話がさえぎられましたぞよ。後でおしおきしておかなくては。……冗談です。というか最初から社長室に連れて行かれるなんて、私はこの後殺されるのでしょうか。殺られる前に先手必勝ということで殺っておきましょう。……もちろん冗談です。


 そういえば、社長室へ向かう途中にエレベーターというものがありました。人を乗せて自動で上や下へ運んでくれるものです。ぶったまげました。こんなものがこの世界にあったなんて。魔法でもない。いやー、進化というものはすごいですねー 


 アムネシアは初めて見る技術の結晶体に好奇心を向けながらエリーのあとはついていきそんなこんなで社長室のドアの前に連れていかれた。


「こ、ここが社長室です」


「どうもありがとうございます」


「あ、いえ」


 初心でめちゃくちゃかわいいいい。ふぉおおおお! 


 アムネシアは心の声が漏れ出まいと我慢していたが、どうしても口元の形は治らずにやにやしながら社長室に入るという偉業を達成したが、アムネシアは気合と根性で舌をガリッ! と咬み、痛みで口元を平常へと直したが、口元から血が漏れ出した。


 部屋に入ると偉そうにふんぞり返っている、如何にも重役と思わしき失礼なくそったれじじいが座っていました。その周りには秘書と思わしき男性が一人。部屋の内装はめちゃくちゃ豪華、というわけではなく普通の部屋って感じでした。応接用のソファーのような椅子が計4つあり、至って普通の時計や机や仕事道具やパソコン等が置かれていて、自分だけ贅沢をしているというわけではない部屋造りでした。というか、こいつはしゃちょーとか言うやつですか。


「やあ、よくきてくれたね。私がヒューリカンパニーの社長だ」アムネシアの創造とは裏腹にその声は実にやさしい感じであった。近所の飴ちゃんをくれるおじいちゃんといった声質であった。


 あ、やっぱり


「言わずと知れた超大企業だ。早速だが本題に入らせてもらう。君の魔法を使ってわが社の計10台あるエレベータの速度を上げてほしいのだ。社員から苦情が多くてな」


 苦情が多くなるまでほっといたんですか……… というか自分で超大企業って言うんですか。というかそんな企業私知りませんでしたよ。やべぇやつですね。ん? お前が世間知らずなだけ、だって? く◯ばれ。


 アムネシアはなぜか聞こえるはずのない作者の声が聞こえてしまっていた。おぉ、怖すぎワロタ。


「わかりました。具体的なスピードはどうします?」さっきまでの心の声は何処へやら。何事もなかったかのように話を進めるアムネシア。


「そうだな、1階から10階まで4秒以内に着かせてほしい。そして、乗っている社員に負荷がかからないようにして欲しい。できるか?」


「えぇ、もちろん」できますか? でしょうにこのくそやろう。


「ですが、作業には少々時間がかかりますのでエレベーターを使用禁止にしてもらいますね」というか10台ってバカみたいに多いですね。完全に終わるまでに丸一日かかりますよ。ふぁっ◯ゅー!


「わかった。それじゃあ終わったら報告してくれ。報酬はその時払うから」


 もちろん私が報酬なしの仕事を請け負うわけがありません。ちなみに報酬額は驚異の3000万円。いやーふとっぱらですねぇ、社長さん大好き。


 腹黒ウルトラアメイジング手のひらクルクル返しことアムネシアは、ちょっと頭がおかしいようだ。


「あと、エリー君を同行してもらえるかな?」


「エリ―?」誰ですかそいつ。


「あぁ、すまないよ。言ってなかったね。君をここまで案内してくれたその女性だよ」


 ………ふぉおおおお!!!!! 人生の祝福!! 五感の保養!! いやっほおおおおおお!!


 アムネシアは心の声を声には出さなかったもののこの場にいる全員の前で部屋に入るときよりもニヤニヤしてしまったが、全員見てみぬふりをしてやり過ごした。それはもちろん作者である私も例外ではない。




                 ◯



                       

 応接室をあとにした私(私たち)はエレベーターホールに向かいました。その間エリーさんと会話していろいろとわかったことがあります。彼女はエレベーター会社の役員で一定期間この会社の管理員として派遣された人らしいです。ならば同行した理由もわかります。私はとても幸せです。そのほかにも、昔この辺では国自体が滅びそうになったレベルの大地震が起こったらしいです。暗黒時代とも称されたらしいですね。建物のほとんどが原形を留めない程に崩壊したらしいです。当時の建築レベルが低かったのもありますが。今ではそれを糧に建築レベルを莫大にあげ現在の建造物は当時の地震に耐えるくらいまで上がったらしいです。ですがこんな穏やかな国に大地震があったなんて思えないほど復興していますね。人間とはしぶと…んっん! 頑丈なものですね。それはそうと、エリーさん、やけに自身のことは詳しく言っていましたね。なにかわけでもあるのでしょうか。ちなみにエリーさんって魔法に興味があるらしいです。使えませんが。……どうでもいいですね。この会社で数日滞在する予定だったので、エレベーターホールまでの途中に売店で大量の飲食物を買い漁りました。レパートリーが豊富でグフフものですねぇ。しかもこの会社、ゲストルームとして宿泊設備も整っているらしいですよ。さいこ―


「エリーさんと会話していると楽しくなってきちゃいますね。こんな感覚久しぶりです」


「いえそんな、私なんて全然。アムネシア様の人間性が良いから、わたしも楽しくなってきちゃうだけです」


 謙遜しちゃってますね。かわいらしいいいい。


「それは、ありがたいですね。あと、様付けは堅苦しいでしょう? 普通に呼んでいいですよ」


「いえ、社長から丁重に扱えとのご命令が出ているので」


「様よりも普通のほうが私にとって丁重扱いですよ」


少しの間をおいた後エリーは

「……それでは、アムネシアさんでよろしいでしょうか」と言った。


 私は満面の笑みで答えました。「えぇ」


 そんなこんなでエレベーターホールに到着。使用禁止の看板・テープはエリーさんがやってくれました。さすが私の嫁。私の計画はこうです。まず、エレベータで最上階までいって魔法をエレベーターそのものにかけます。速度上昇の魔法ですね。地上から最上階までの速度が上がるようにセットします。そのあとは微調整です。そして負荷がかからないようにするためにするのが難所ですが、まあ重力の源であるダークマター濃度を薄くすればいいですね。あぁー魔法って便利。


 さぁ行きましょう。まずエレベーターの構造を見せて貰いました。…わーお。とても美しい機械仕掛けですね。蒸気機関で動いていて、一見複雑に見えますが一つずつ丁寧に砕けば理解できる内容ですね。ピストンの動きが流麗で一切の誤差が無し。シリンダーとの擦れも一切無し。エネルギー変換効率を最大限まで高めた装置になっていますね。匠が為せる業。今の技術も素晴らしいですが、匠の技術というのも素晴らしいですね。さて、このバカベーターに乗って一度最上階まで行きましょう。さて、エレベーターとやらの中身はどんな風なのでしょう。


 ……え、廃墟? えぇ……なにこれ。エレベーターホールまではめちゃくちゃきれいだったのに、バカベーターに入った瞬間世界変わりましたわ。なにこれ。きったね。なんで壁紙が剥がれているんですかね。というか草生えてるんですけど。


 誰か種でも撒きました? 土がなくても育つ植物はありますけどなんでエレベーターで人工栽培されてるんですかねえ。このバカベーターはいつに作られたんですか。まあ蒸気機関が使われている辺りから少なくとも100年程度前の代物でしょう。というかこんなゴミだったら魔法で速度を上げるよりかは新しいエレベーターを設置したほうが良いかと思いますが私の報酬がお空に羽ばたいてしまうため何も言いません。


 とりあえずエレベーターで最上階まで行こうとしましたが、遅すぎるんですよね。1階上昇するのに15秒程度かかるんですよこのポンコツくそったれバカベーター。しかもこのビル最上階が30階なんですよ。単純計算で435秒つまり7分半くらいかかることなりますね。というか今の魔力量、結構減っていますね。頂上に着いたら少し休憩を取らないといけませんね。一度消えてしまった魔力は復活するのに2週間程度かかりますからね。


 ちょうどエリーさんと会話しながら7階あたりを過ぎたときです。激しい揺れに襲われました。エレベーターが停止しエレベーター内の電気がチカチカしています。立っていられないほどです。というか座ってもいられないほどです。落ちてしまう! そう思いましたがエレベーターという物はなかなかに頑丈で、ロープを固定して動かなくするらしいので落ちないらしいです。


 外ではいろいろな音が聞こえます。なんの音かは不明ですが物が壊れたり落ちたりしていることは明確にわかりました。こんな揺れが3分くらい続きました。泣きそうになりました。そして完全に電気が消えて暗闇に包まれていきました。暗黒と言わんばかりに、静かに。





                 ◯    






 

 揺れがやっとおさまりました。が、何も見えません。このままでは危険ですので、魔法で小さいですが光を出しました。


「エリーさん大丈夫ですか!?」


 ですがエリーさんの反応はなく顔が青ざめていました


「まただ… もう嫌だ! あんな恐怖、二度と味わいたくない! うぅ…」


 彼女は涙を流しており混乱したかの如く俯いており、焦点が合わずどこに目を合わしているか自分でもわからない状態であった。異様に視界が狭くなり何もかも見えなくなっていた。


 泣いていました。反応にかなり困りました。普段ならば頭とち狂ったですか? とでも思うでしょう。ですが今そんな余裕は私にはありません。自分も恐怖に洗脳されかけていましたから。


「落ち着いてください! 今は暗くありません! 安心してください」


 アムネシアは重い口と乱れた心臓を無理やり元に戻し、小さく口を開けて大きな声で言った。


「違うの! 昔の地震でもこんなに揺れなかったの! だから!!! 本当にこの国が壊滅するかもしれないの! 今はエレベータ内よ! 助けが来るのに1週間以上は絶対かかるわ!」


 アムネシアの必死の慰めは今のエリスには雀の涙で、己の本性を隠すことなく、この世を生きる人すべてが掛けている己の鎖をすべて解き放ち大きく声を上げた。


「そんな、大袈裟ですよ。確かに揺れは大きかったですけど。壊滅するほどでは」


「大げさではないわ!10年前はまだ座っていられたわ。でも今回は座ってもいられなかった! もうだめよ! 生存率さえ……」


 アムネシアの発言を途中で遮り今この絶望的な状況を必死にアムネシアに伝えていたが、そのエリスの必死の発言をアムネシアは遮り、今度は強い力を持った言葉で己を鼓舞しすべての恐怖を消し去りながら命令した。


「落ち着いて。大声を出せば水分も体から奪われ、腹もすく。助かりたかったら言うことを聞け」


 ……こんな口調は初めてしました。しかし私もあせっていました。エレベーターホールまでの道のりで買った飲食物があるといえども助けに1週間以上となれば話は別です。精神面・体力面・清潔面。すべてに置いて不十分です。


「……」エリーは黙りこんだ。


「ごめんなさい。でも、今は耐えて。一緒にここを出ましょう」


「うぅ」


 双方ともに先刻の地震でかなりの精神的ダメージを負っていました。私にとって地震は初めて経験するものでした。私の故郷は地盤安定しているので一度も地震が起こった事がありません。故にそれが今の私にとって仇となり地震発生時に適切な対応が取れませんでした。本来ならば地震が発生したての時に全部の階を押して逃げる準備をするのが正しかったのですが。まさに後悔先に立たずですね。今気づいたのですが、エレベータは止まっていました。ドアも開きません。でも、大丈夫!


 アムネシアは最初は混乱していたものの、先ほどの強い命令口調はエリスを制御しただけではなく自分自身の制御にも役立っていたが故、頭が正常になっていった。少し考えるとアムネシアは魔法使い。


 魔法とはこの世の万物に干渉する権能。天性の異能。その能力を使えば完全に閉ざされた空間からの脱出は簡単なもの。そのことにアムネシアは気づくと今までの不安の感情が安心へと一気に変わっていき脱力した。その後魔法を使いエリスを脇に抱えながら飛び一帯を吹き飛ばそうとした瞬間。



「…えっ!?」


明かりが消えた!? まさか、今ので、魔力を使い切ってしまった?


「……どうしたんですか、アムネシアさん。明かりが消えましたが。私の懐中電灯で代替しますね」


 そう言うとエリスは常時装備している点検用の長持ち式の懐中電灯を取り出した。 

「いやっ、何も」


「そうですか。それはそうと汗だくですよ、アムネシアさん。大丈夫ですか?」


 言われて初めて気づきました。ですが熱いというわけではありません。むしろ寒いです。なんで汗をかいてるかというと ……魔法が使えません。かなりやばいです。脱出できない。


 彼女の安心の感情は一気に変わった。不安ではなくさらに悪い絶望へと。アムネシアは自分が魔法が使えなくなってしまったことを言えずにいて絶望の裏に責任逃避の思いもあった。しかし、そのことよりも魔法が使えなくなったショックはあまりにもでかすぎた。全身から嫌な汗が吹き出し、徐々に青ざめていった。


「服脱いでください」


 急に発言したと思ったら何を言ってるんですかこの子。女同士とはいえ赤の他人の前で裸になるなんて。


 エリスは少し考えた後、今さっきまで恐怖のあまり泣いていたとは思えないほど普通の態度で接してきたがその声は泣いていた影響が少なからず及ぼした。アムネシアの表情と異常なほどの急な汗に察したのか、声はどことなく優しく感じられた。声は主を失うと静寂なエレベーターの中に消えていった。


「いや、裸になれなんて…」


「何言ってるんですか、このままでは風邪をひいてしまいますよ。こんな劣悪な環境で風邪なんてひいちゃったら助かる物も助かりませんよ。さぁ、早く脱いでください。助かりたかったら言うことを聞けといったのはアムネシアさんですよ」


 半ば強制的に服を脱がされ汗を拭かれました。自分の発言をちょっと後悔しています。嘘です激しく後悔しています。その後服が乾くまではエリーさんの上着を着て過ごしました。双方とも体格が小さかったのでちょうどいいサイズ感でした。ですが、季節が秋というのもあってかなり寒く感じられました。


「今日ってそんなに暑かったですか? 今、秋の終盤ですよ」


 エリーはアムネシアに含みのある言い方で質問した。普段のアムネシアであれば彼女の言葉の真意に気づいたかもしれないが、今のアムネシアはちょっとしたパニック状態。考える力は残っていなかった。


 反応に困りました。人生最大級に。魔法が使えないなんて口が裂けても言えないし裂けなくとも言えません。仕方ありませんこうなったら最終手段です。


「魔法使いは、常に体の中で魔力生成のための分裂反応が発生してるからかな」


 もちろん嘘です。


「……嘘。本当は魔法が使えないからですよね。知っています。魔法使いは魔力が消えると大量に発汗するのを。あなたほどの魔法使いであれば高度魔法を扱う分運動量なども普通の魔法使いとは桁違い」


 エリスは少しためらった後、アムネシアの目をもう一度見直し、強めの言葉で言った。


「知っていましたか」


 アムネシアは少しの間俯き、エリーの質問に答えた。


「魔法が使えなくなったことを伝えるのが怖かったんですか。それとも私を失望させたくなかったからですか?」


 後者に的中。賢いですね。おそらく魔力が使えなくなったのは、今回かけた魔法が大掛かりであったから、予想以上に魔力を使ってしまい限界ぎりぎりまで気づかなかった。


「ええ、エリーさんに希望を持ってほしかったんです。ごめんなさい」


 素直に謝りました。素直に謝ったのは人生で初めてです。


「そんなことしなくてもアムネシアさんが隣にいてくれるだけで私は希望を持てます。私は人と会話するのが得意ではありませんがアムネシアさんとだと素直に話せます。人生でこんなに話せたことは一度もありません! アムネシアさんを信頼してるから希望があるんですよ」


 綺麗事ですね。ですが、どこかにそれを否定する自分がいる。双極化していますね。しかし、少なくともエリーさんは信用してもよい。そう思いました。







                ◯








 4日が過ぎました。節約しながら飲食しメンタルブレイクが起こらないようにエリーさんと会話したり、体力を温存するために休憩をしたりして過ごしました。ですが、一向に助けは来ませんでした。今、外の世界がどんな風になっているか全くわからない状態でした。エレベーターの外から聞こえる音は瓦礫などが崩れる音が度々起こり、その音が起こるたび、このエレベーターもいつかは落ちてしまうのかもしれないという不可抗力な恐怖心に苛まれていました。


 エレベーター内も決して広いとは言えず私とエリーさんの身長が低いから体を伸ばして寝られるものの、未知と無力な空間に閉じ込められるのは私が想像していたのよりも辛く、怖いものでした。未知の恐怖と無力の恐怖が合わさった恐怖とはそれに立ち向かう意思さえ折るだけでは飽き足らず、ぐちゃぐちゃにしていきました。


 私もそうでした。ですが、エリーさんのおかげでしょうか。生きる活力は少しばかりありました。しかし活路を見出そうとしても、時間と共にどんどんその道は霞んでいき、最期には見えなくなっていることが多々ありました。助けを何度呼んでも、返ってくるのは静寂と暗闇のみ。助かるかどうかもわからず、生きて帰れない方の確立が高い。今現在、死因がどんなものであっても、誰も疑わない。死でさえ救済と感じてしまうほどに追い込まれてしまう精神。


 でもそんな中、心のどこかに「生きて帰りたい。死にたくない」と、矛盾を抱えて生きてしまう。死に様こそ生き様という言葉は今この状況において、最も割に合わない言葉でしょう。そんな中でもエリーさんは決して諦めませんでした。


 華奢な体からは想像もつかないほどの屈強な精神力。どれだけ打ちのめされようとも前を向き、希望を捨てない心。私にはそんなものはなく、自分の本音は私だけでもここから生きて脱出すればいいと思ってしまうのに、彼女は一緒に生きて脱出しようと、やさしく強く励ましてくれた。魔女である私は一般人を守ってあげる立場であるのに。逆に守られている。魔法を使えなくても彼女は私なんかよりも全然……


 災害発生から5日。アムネシアは精神が壊れるギリギリの所で彷徨っていた。いつ精神が壊れてもおかしくない状況。今この状況に置いて彼女たちは常に死と隣り合わせだった。


 確かに普通に生きていても死とは隣り合わせだが、それを実感することは殆ど無い。しかし、いざ死が隣りにいるということが実感できるようになると、常に神経が張り詰められ疲弊してしまい壊れてしまいそうだった。アムネシアとエリーは、悲しくなるほどに忍耐が強かったのだ。











 地震発生6日目


「エリーさん。そろそろ起きましょう。今が朝かどうかもわかりませんが、寝すぎは体に毒ですよ」


「…………」


 アムネシアの声かけにエリーは反応を示さず横になっているままだった。


「…不安ですか? ここから出られるかどうか。大丈夫ですよ! 実際、不安の約80%は起こらず、16%程度は対策でどうにかなりますよ。今までの行動も、脱出に対しての対策も十分ですよ」



 …そう言いましたが、一番不安なのは私。今でも震えが止まらなくなることが少なくない。その起こりうる4%の不安が、私を押しつぶしてしまいそうでした。懐中電灯の光のおかげで少しは軽減されていますが、そろそろそれも限界のはず。


 もし切れればまた暗黒の世界に。目をつぶると広がる暗黒も普段の生活に置いてはリラックスになるものですが、今この状況で目を深くつぶると、次また目を開けられるかどうかわからない恐怖が常に付きまとっている。拭い切れない常時の恐怖。ストレスも限界突破してる。


 でも、エリーさんは今までに私の前で恐怖を示したことは地震発生時のみ。今までの自分の驕りを思い知らされました。天才、そうもてはやされてきた今までの18年の人生で、私は何を得たのでしょうか…… そういえばエリーさんの反応がありませんね。どうしたんでしょう。


「エリーさん」


「………」


 無視? というわけではないみたいですね。体はぴくっ、と動いています。大丈夫でしょうか。


「エリーさ、っ!!!!」


 アムネシアがエリーを起こそうと体を触ろうとした瞬間。エリーのあまりの体温の高さに驚き退いた。


 熱い。睡眠時だからという程度の体温ではありません。熱があるときの体温です。しかも、触れた瞬間に後ずさるほどの高熱。やばい。


「エリーさんっ!!!」


 エリーさんから声の反応は無く、手がゆっくり上がり◯の手の形を作った手が上がりましたが、あの体温で大丈夫なはずがありません。今この空間で熱があるとなると、死に関わる。…ここで対処するしかない。まずは病気の特定から。


 アムネシアが深く深呼吸した後、自分の着ていたエリーさんから借りた服を脱ぎエリーに布団のように被せ、触診を始めた。


「エリーさん失礼します。それとこれ、私の服です。今から診断を始めます」


 上半身および下半身に触れると頭部より熱い。発疹などはなく体温上昇により体が赤くなっているだけ。


「エリーさん。今から質問することにハンドシグナルで返してください。yesの場合は親指を上げnoの場合は何もしないでください」


 私の応答にエリーさんは私が握っている手の中でエリーさんの親指が反応した。


「よし、それでは質問します。倦怠感はありますか」


yes


「のどに痛みはありますか」


yes


「頭痛はありますか」


yes


「体に痛みはありますか」



 皮膚に異常もなし。痛みもなし。あるのは倦怠感と頭痛のみ。風邪の症状だけど、風邪でこの高熱はおかしい。脈拍も低い。熱があると脈拍は通常上がるけれど40度を超えると脈拍が落ちる。少なくとも40度以上の熱がある。まずい。


「エリーさん。口を大きく開けてくれますか」


 エリーが口をゆっくり力を込めて開けてそれをアムネシアは懐中電灯を用いて診断したが特に異常なことはなかった。


 おかしい。のどが腫れていない。現段階でわかる症状は風邪だが幾つかのの矛盾点があります。外側からだと見えないほど深いところに患部があるのでしょうか?



 アムネシアは医療機器の一切ないこの空間で、自分の持っている知識を半ば当てずっぽう状態でエリーに質問を繰り返した。


「呼吸は苦しいですか」


yes


 そういえばさっきからエリーさんの呼吸、喘息と同じような呼吸……


 少しの時間を置いて再度質問をした。


「声は出せますか。出せたら、 あー と言ってください」


「あ―……ゴホッ! ゴホッ!!」


 ふくみ声。何かを口に含んでいるときに出る声と同じ。これである程度まで病気が絞れたけど、決定的な症状がまだない。唾も出したままになっている。喉の痛みのせいで飲み込めない。虱潰しに考えうる病気を診ていくしかありませんね。だけど、一番怪しいのは……


「少しのどの部分を触りますね」


 のどを触っていると、ちょうど舌骨、故に顎と首の境目あたりにアムネシアの手が触れると、エリーが急に苦しみだし、痛みに悶えてた。


 やっぱり。一番最悪の事態です。できればこうなってほしくなかった。覚悟はしていたけど目の前にするとやっぱり焦っちゃうんだな。


急性喉頭蓋炎。普通の風邪と似ているから判別がつかなかった。喉の奥に気管をふさぐほどの大きな腫れ。3度まで進行すると……窒息死。治療方法は薬物治療だけど、ここまで重篤化したら、のどを切開するしか………… 寝ていると窒息してしまう。しかも進行度はおそらく2度、いつ3度になってもおかしくない。


「エリーさん。とりあえず寝ていると体に悪いので上体を起こしてください。大丈夫です! ただのかぜ……」


 アムネシアはこの後の言葉を口から出すのをためらった。アムネシアの視線は完全に迷走しており言葉に詰まるというよりは、なにかに口元を塞がれているような感覚であった。


 私はまたエリーさんの信頼を裏切ってしまうのか。あの時エリーさんを信じると決めたはず。エリーさんも私を信じているはず。なのに、私は……


 アムネシアは何かを決心したと思うと、エリーのことを再度見つめ直して言った。


「エリーさん。今から言うことを落ち着いて聞いてください。エリーさんの病名は急性喉頭蓋炎だと思います。………現在の状況で可能な治療は…………ありません。そして、……エリーさんのよ……よ……」


 アムネシアが言うのをためらっていたその時、エリーがアムネシアの手を優しく握った。手を少しでもずらせば、落ちてしまいそうな程弱い力であったが、強くもあった。涙目で今にも泣きそうなアムネシアの手を、しっかりと、優しく、一度深く瞬きをしてしまうと二度と開くことの無いようなで目でアムネシアのことをしっかりと見つめていた。アムネシアは今一度心を落ち着けるため深呼吸をし、乱れた心拍をもとに戻し決意を決めた声で話した。


「エリ―さんの余命は不確定ですけど、おそらくですがあと、1日。……窒息で。今の進行度は2度だと思います。でも、急速に進行する病気……です。今3度になってもおかしくない。もし、3度にまで進行すると……」


 エリーはこのことを聞いても動揺はせず、アムネシアの手を握ったままでいたが、彼女の頬から涙が零れ落ちた。エリーは静かに泣いていた。アムネシアは涙腺が崩壊し、彼女に抱きついた。本来は距離をとるべきであり、普段の彼女であればすぐさま離れているがどうしてか、今の彼女は優しく、誰かに慰めてもらいたい気持ちであった。ゆっくりと、静かに零れる落ちゆく涙を受け止める器は今、アムネシアしかいない。彼女が今できる最善の行動を。生き残るために。


「…………」


 アムネシアは静かに体をもとに戻し、エリーの涙を拭った。その涙がこぼれ落ちることの無いように、絶望の涙を流さないように、決意を示した。


「誰かっ! 誰かいませんかっ! ここにいますッ!!! だれか――! ………くそっ!」


 アムネシアが完全に閉じきったドアを必死に開けようとした。アムネシアの手がドアの開閉方向に外れ、ドアが開いたと思うと、血と爪が飛散しただけでありドアは閉じたままであった。アムネシアの指が赤く染まっていた。アムネシアは自分の爪が剥がれ落ちようとも痛みに耐え、諦めずドアを開けようとした。


 アムネシアの体力は残りわずかであったが、エリーのために必死に声を張り、扉を開けようとしたが、返ってくるのは、静寂と無垢な鮮血ばかり。しかしアムネシアは諦めること無く声を出しドアを開けようとした。いるはずのない誰かに気づいてもらえるように、エリーを生かすために。今彼女ができることを必死に。応急処置も何もできないが故の行動。


「………」


 その時エリーがアムネシアの服を、弱った力を振り絞って掴み必死に訴えた。もう大丈夫だと。生きる可能性を失わせてはダメだと。


「……エリーさん………」


 頼りなく、残量があと僅かの懐中電灯の淡い光が零れ落ちる涙を反射させていた。涙ぐむアムネシアにエリーは笑顔で応えた。エリーはアムネシアをギュッと抱きしめ子守のようにやさしく背中を単調なリズムで優しく叩き始めた。服の中ではアムネシアが声を殺し泣いていたが、「ヒック!」と、どうしても防げない声が漏れ出ていた。その時エリーがアムネシアを離した。


「ア……アム…ネシア…さん」


!?


「ダメ……ダメです。声を出したら余計、悪化しちゃいます……エリーさん」


 気道の大部分が炎症により塞がれていて呼吸することもままならないのに、途切れ途切れになりながらも、エリーは力強く、痛みを我慢したような、今にも消えてしまうそうで掠れた小さな必死の声が聞こえてくる。よく耳を澄まさないと聞こえないような声であったが何故か、エリーの声は十分にアムネシアには響いていた。


「ううん。いい……の。話せる……うちに話しちゃう……から。お願い」


「………はい」


 涙ぐむアムネシアを見てエリーは少しホッとしたような感じがした。抵抗がありながらもエリー自身の話を聞いてくれることに。辺りもエリーの話を聞き魅入るかのようにより静寂さを増していた。


「泣か……ないで。人はいつか死ぬもの。……早いか、遅いかだけ。……パパに伝えてほしいの…… ありがとう 愛しているよって」


「何を…言ってるの? ダメだよ! 諦めないで!」


 エリーは少しの笑みを浮かべ話し始めた。


「それと、……こ……れ」


 アムネシアの手に、かろうじて、ぬくもりを感じるつめたい時計が弱った力でゆっくりと置かれた。エリーと英語表記で刻印された大切な宝物を。


「これって……」


「私の宝物。おばあちゃんが……くれ……たものなの。私が……10年前…の地震も…この時計のアラーム機能……のおかげ……で助かったのゴホッ! 声が出なかった……から。この時計も、きっと……アムネ…シアさんの助けにな……るはず」


「そんな…そんな、大事な物もらえませんッ!」


「い…いの。そんな…大声を出しちゃったら……体力が…無くなっちゃうよ。私ならもう、大丈夫。ゴホッ! ……命の唄は……生きて……いる人にしか……唄えないよ。それを一生懸命……唄える人はどんな……ことがこの先あって……も大丈夫」


「いや、やめて……エリーさん。諦めないで……」


 エリーは最期に微笑んだと思うと目をゆっくりと閉じ、最後の力で笑顔に、そして優しく慰めるような声で言った。






      「アムネシアさん。大好きだよ。   ”生きて”  」




と小さく言った。


「エリー……さん? エリーさん。エリーさん!!! 死なないで! いや、生かせてみせる!!!」


 アムネシアは必死に人工呼吸を開始し喉の気道を確保しようとしたが現在の状況では蘇生するのには絶望的な状況であった。2度、3度の段階で気道を確保するには喉を切開する他ない。すべてが無駄と暗じているかの如く暗闇はアムネシアを嘲笑った。再び目に光を灯すことのない者を抱きしめながら。


「……うああああああああ」




 無機質なエレベーターの中でアムネシアの泣き声が響いていた。残酷な位に、ずっと、ずっと、ずっと……


 その言葉がエリーさんと会話した最期の言葉であり、遺言でした。




                 〇



 その後アムネシアはエリーを助けられなかった罪悪感に浸っていた。そのまま時は無情に流れていき手足の感覚は空気さえも感じられないほどに消え、声を発することもできず目も虚ろな状態で光がなく、ほとんど死体のような状態で横たわっていた。エリーの遺体は死後硬直により固くなっていた。腐敗臭などもしていたはずだがアムネシアには何も感じることができなかった。時には死神さえアムネシアを迎えに来たかもしれない。いつしかアムネシアが見た活路も霞み、極限状態の死に際の目では、見える物も見えなくなっていた。それが如何なる大天才であっても。所詮は人間。それ以上でもそれ以下でもなかった。


 あぁ、私の人生もここまで……かな。もう、なんにも見えない、分からない。私の体がどうなっているのかも、なんにも。助けてほしいなんて贅沢は言わないから、どうか、どうか、……もう楽にしてください。神様…… 


「いっ……れか……い……か」


 微かに人の声が聞こえてきた。私ももうだめか。あと少しでそっちに行けるよ。エリーさん。寂しい思いは私にとって重すぎたよ。あぁ、やっと、楽になれる………













「お――い!!!! だれかいるか―――!! お――い!!」


「!?」


 アムネシアの死に際の目が一気に開く。死に際の頭が最後の力を振り絞った。アムネシアはその声に反応しようとしたが体は動かず声も出すことができなかった。頭では動けと命令しているのに体が動かないことに普段は苛立ちを覚えるがそんな余裕はなかった。


 動け! 動けっ!!! ……くそっ! ここにいる! 助けて!!!!


 アムネシアは声を出しているつもりではあったが完全に枯渇した喉では声を出すことはできず救助隊はアムネシアに気づくのは難しかった。しかし、今アムネシアが音を出すことさえできれば今までみたいに返ってくるのは静寂と闇ではなく希望である。


 ……なにか! なにか無いの!? 


 突然アムネシアの網膜に走馬灯の光が差し込む。その時、アムネシアの脳裏にエリーの姿が映される。


 ……これは……走馬灯? エリー……さん? でも、どうして…………わたしも、お迎えってことなの。


 アムネシアはうれしくも落胆した感情に陥ったがそれを気にすることなく、エリーは一点をずっと見つめていた。アムネシアの目を存在しないが如く目を合わせなかった。エリーの表情はアムネシアが見たことも無い程、真剣な表情であった。


 なにを……見ているの? その目の先に……なにがある……… 時計? 

 

 アムネシアはエリーの指さす方へと目を向けると時計が最後の気力で動かしている目に目に映った。その時稲妻の如くアムネシアの頭に考えが浮かんだ。


 ……思い出した! ……くそっ! 動け! 私の手!! この手が使えなくなっても良い!! 動けっ!!! アラームの音さえ出せれば気づいてもらえる!


 アムネシアが最後の力を振り絞って手を動かそうとしているが動かないでいたその時、エリーはアムネシアの手を持ちゆっくり時計のダイヤル部分に誘導した。状況を希望の方へと傾けるために。傾けば、すべてが上手くいくと願い。アムネシアは弱った最期の力でダイヤルを少し回した後ボタンを押し強く願った。


 お願い。気づいてっ!!!!

 

 時計は刻一刻と希望の時間を刻みカウントが0になると、無機質にも思われるかもしれないが今の彼女には祝福の音にも聞こえる音があたりを光で満たし、今までの状況が一気に覆った


 お願いっ!!!


「!!! 音がするぞッ!! 総員耳を澄ませ! …………」


 救助隊員の一人がアムネシアの最後の音に気付き隊員全員に命令を下した。


「どこなんだ……… 籠もったような音………」


 救助隊員はエレベーターの方を指さし大声で言った。


「!! エレベーターだ!!!」


 救助隊はアムネシアがエレベーター内にいることに気づき外側からドアをカッターで切断し、一個上の階に止まったままのエレベーターを見つけた。


「いたぞ!! 7階のエレベーターホールだ!! 急げ!! お前ら二人はここに残ってエレベーターが落ちないように下から補強しろ!」


「了解!」


 隊員たちは急いで唯一無事であった避難階段を使い7階へ移動し、エレベータの前へとたどり着いた。その後カッターでドアを慎重に開けた。


「エレベータが崩れたら終わりだぞ! 慎重にやれ!」


「大丈夫ですか!!」


 光が暗黒を破壊し、すべてをやさしく包み込んだ。それと同時にエリーの姿が光のように消えていった。エリーは満面の笑みをアムネシアを見ていた。その表情は、どこか遥か彼方の未来を見据える笑顔であった。エリーが光となり消える前にアムネシアにのみ聞こえる声で言った。「さようなら」アムネシアには、はっきりと聞こえた。






                 〇






 その後私は救助隊に救助され病院に搬送されました。目が覚めた時には病室のベットにいました。白い天井があの時は地獄かと思いました。私が死期直前に見た走馬灯。一説によると人が走馬灯を見る理由はその危機的状況を打破する方法を探すためであるらしいです。走馬灯に助けられ……いや、エリーさんに助けられたと言ったほうが正しいですね。


 アムネシアは傷だらけであったため、体中に包帯がまかれていた。体重も激減しており、やつれた姿で病院のベッドで横たわっていた。重度の栄養失調、水分不足、傷口からの細菌感染、内臓へのダメージ、心理的ダメージ。彼女の腕は赤子の腕みたく細くなっていた。それは他の部位でも同じ。


 彼女が緊急搬送されてきたときはかなりの危篤状態で、生死をさまよっていたが奇跡的な回復を遂げて今の彼女がある。身体の疲弊がすさまじく、今では自分の体を支えられないほど弱っており起き上がることさえできなかった。彼女の視界は暗く狭かった。窓から差し込む光でさえ彼女にとってはまだ眩しすぎた。医学的にも、心理的に見ても。


 彼女の心にはずっと鎖がかかっていた。自分のせいでエリーが死んだのではないか。でも、本当は生きているのではないか。そんな小さな希望がアムネシアを絶望の底に落とした。目が覚めてすぐ救助隊の人間が一人、彼女の元にやってきた。名はミイル。


 彼は人手が足りない中、率先して生存者がいる可能性が高い救助困難区域で救助するのは超がつくほど危険なため後回しにされていたアムネシアたちの下に、自分たちの部下を率いて率先してやって来てくれた、いわゆる英雄と言う者だった。


「救助隊の第一隊長、ミイルです。今回、救助が遅れてしまい大変に申し訳ございませんでした!」


 男は深々と頭を下げ誠心誠意こもった声でアムネシアに謝罪した。


 自虐しないでください。あなたがいなければ死んでいた。謝罪よりもエリーさんのほうが気になりました。


 アムネシアはかすれ、途切れ途切れになった小さな声で、ミイルに問いかけた。


「あの、私のすぐそばに……いた女性は」


「……すみません。容態は親族にしか伝えてはならない規則ですので」


 暗く、苦く、悲しい表情をして、苦しそうに言った。救世主も悪魔の言葉は使わなければいけない時もある。


「……」


 アムネシアは声を上げて泣きたかった。が、小さくなりすぎた声帯は泣き声を出すことさえ許してくれず、彼女はただ涙を静かに流すことしかできなかった。弱り切った力では、涙を拭うことさえできないことが、彼女をより深い悲しみへと追いやった。悲しみと絶望と後悔に満ちている涙だった。


 何回目だろうこんなに泣く自分を見るのは。


「…サバイバーズ・ギルトをご存じでしょうか。震災で大切な人が亡くなったというのに自分が助かってしまったことに対し罪悪感を感じたりすることです」


「……」


「あなたとエリーさんは、この大災害の中2週間という長丁場を耐えてきました。決して己を罰する必要などありません。責めなくてよいのです。少し厳しい言い方になってしまいますが、生存者として、明日への一歩を踏み出す義務があります。どうか、生き残ったことを誇ってください。そして、私達を頼ってください。相談事でも雑談でも、なにかあれば、遠慮なく私に連絡を下さい。どんな時でもお相手します。電話番号を書いておきますので。では、失礼します」





                 〇





 意識が回復してから4日が過ぎ、その間アムネシアは順調に回復していったが、心は一向に回復しなかった。起き上がることができるまで回復したが、食事は一切取れなかった。罪悪感のあまり自分がのうのうと、満足の行く食事をしてしまって良いのかという罪悪感が体の拒絶反応を誘発し、体がどんどんやせ細っていった。


 アムネシアはベッドの上でずっとエリーから託された腕時計を見ていた。そこになにか希望を見いだせないかと、逃げるように現実から目を逸らしていた。罪悪感のあまり自分が壊れないように。夜になると月明かりが灯火の消えたアムネシアの目と病室を静かに照らしていた。暗闇を照らしてくれる優しい光でさえアムネシアの目に灯火を灯すこともなければ慰めもきかなかった。そして無意識にも隣を向いてしまうことが多くあった。エレベーターの中でずっと隣にいて、生死を共にした人が急に死んでしまった。今でも隣にいるのではないかと頭の中では亡くなってしまったことは分かっているのに本当は生存して、隣のベッドで寝ているのではないかと無意識にも隣を向いてしまうのだった。


 アムネシアは一人、静かに毎晩泣いていた。消えてしまいたいと思う、自分を守るために。誰にも助けをすがること無く、孤独に。しかし、そんな絶望と孤独にどれだけ苛まれようとも、決して自殺をしようとはしなかった。罪滅ぼしの為であると同時に、エリーとの約束を果たすためでもあった。1ヶ月が経過し、病院から退院する事ができたアムネシアを待っていたのは、あまりにも酷い被害の光景であった。


 口から出てしまいそうな嗚咽さえ飲み込んで、グッと堪えた。1ヶ月経過してもなお、災害発生時の光景とほぼ変わらない様であった。それほど被害が大きかったことの証である。


 アムネシアが入院している間、ヒューリカンパニーの社長が直々に偉そうなオーラを醸し出すこと無く、本気の謝罪と共に深々と頭を下げ慰謝料を渡しに来たが、普段であればそのお金で豪遊していたアムネシアはそのお金の重みと共に全てを震災復興資金にした。数え切れないほどあったビルや、人々の往来が激したかった風景は面影がなく、ただ瓦礫の山があるのみ。


 鉄筋さえも折れて倒れてしまっていた。今回の被害で魔法を使える者や救急隊、特殊部隊、軍隊を他の国からも呼んで被害者を捜索したが未だ、全体の約10%しか捜索が終えていない。災害から1ヶ月経ったが今でも行方不明者は20万人以上。


 死者はわかっているだけでも3万人は超えてる。アムネシアは腕に巻かれている包帯の上につけてあるエリーと刻印された、少しばかり色褪せた白色の時計をしばらく見つめた後、災害現場へと赴いた。これ以上同じ思いをする人を減らすべく、魔女としての使命を果たすべく。明日への一歩を、強く踏み出すために。




                 ◯




 アムネシアは国の滞在ビザが切れるギリギリまで救助活動をしていた。国を出ていく際、ミイルにお礼を言おうとしたが、どこを探しても彼の姿はなかった。アムネシアは忙しいのだと割り切り、国に一礼した後エリーの実家へと向かった。エリーがくれた時計をせめて安寧の地となる、両親に返すためであった。実家の所在地と連絡はミイルが事前に教えていた。


 アムネシアは国を出た後、箒に乗り、エリーの眠るべき場所へと赴いた。途中、久しぶりの魔法に慣れず意識が朦朧とすることがありそのたびに地上に降り休憩を取った。そのためか、あたりはすっかり暗くなり途中の宿で一晩を明かした。


 その間にもアムネシアの視界はだんだん暗くなっていき自分自身のが何者なのかさえ見失い始めていた。しかし、エリーの為に生きる。この事だけは何があっても忘れずにいた。エリーのことさえ覚えていれば真の意味での死ぬとはならないと信じて。朝になりアムネシアは再び箒に乗り昨日の遅れを取り戻すかのように早足で行った。


 数時間飛行した後エリーの故郷が見えてきてアムネシアは地上に降り地図を頼りにエリーの実家を探したが、いざ家の前に立つと今までの混乱が一気に押し戻してきてどうすればいいのかわからなくなってしまった。


 エリーさんの実家に着きましたがどんな感じで入れば良いのでしょう……泣きながら? 弔いの言葉をかけながら?



 家の前で決心がつかずうろちょろしていると、家の中から40代後半の男性が出てきてアムネシアのことを家の中に招き入れてくれた。招き入れられた部屋は和室であり、優しい雰囲気を醸し出していたと同時に、どこか寂しげな様子であった。エリーの父はアムネシアを机の前に座らせ、そしてエリーの父が口を開き。


「よく来てくれたね。アムネシアさん」


「……あの、その、……エリーさんを助けられなくて本当にすみませんでした!」


「……」


 言うことが定まらない私をエリーさんのお父さんは待ってくれました。優しく、粘り強く。決して表情を強張らせること無く。私はエリーさんの腕時計を机に置いて話した。


「エリーさんがいなかったら私はおそらく、死んでいました」


 私はエリーさんのお父さんに事のすべてを漏らさず話しました。事件のすべてを、エリーさんが私を助けてくれたこと、希望をくれたこと、応急処置が不可能であったこと、エレベーターに閉じ込められる恐怖、エリーの最期の言葉、全てを。そしてエリーのお父さんが口を開き、


「そうか……エリーは優しい子だからね。自己犠牲の精神だったかもしれない。だけど、最期までエリーと話し、励ましてくれたことを心の底から感謝する。ありがとう」


 優しい声で決して責めることなくエリーの父はアムネシアに言った。


「……私は入院中エリーさんの尊い命を無駄にしないために、何が最もエリーさんのためか考え続けてきたんです。でも、一向に考えがまとまらないんです。今でも生きる理由さえ見つからずにさまよっているんです」


 少しの静寂が支配した後エリーさんのお父さんはゆっくり口を開き


「此処から先は私の憶測を含んでしまうが、許してくれ。それだけの絶望感なら、悪い言い方だが、自殺への願望を抱いてしまうのが人間というものだ。だが、君はエリーが最期に言った言葉を守り、決して自害しようとしなかった。もし、その気持ちがあったのならば、今ここで、私の目の前に座ってはいないはずだ。約束を守っているということは、君にもまだ生きる理由というのが、あるのではないか。そのことを守ることが、エリーに対しての最大の敬意であり、君の生きる理由ではないだろうか」



エリーの父はアムネシアの目をまっすぐ見て表情を和らげながら話した。


「でも………目標が一切無いんです。結局私は何をしたいのか。最終目的地が全然見当たらない……」


 徐々に落ち込んでいくアムネシアにエリーの父は己の人生を元に、アドバイスをするかのように話し始めた。


「君もエリーみたいに優しいのだな。ゆっくり探せばいい。生き急ぐ必要はない。一番恐ろしいのは、生き急ぎ、死に際に後悔することだ。そんなことをしては、エリーに説教されてしまうな。最後の最期まで生き延びて、笑ってエリーに再会できるのが一番であろう………私もそろそろ前を向かなくてはな」


 そう呟いたエリーの父の目には、涙が浮かんでいた。遠くから見てもわかるほどに。恩人の前では泣かないと決心していた父ではあったが、愛娘を亡くしたショックは計り知れないものだった。しかしその涙は決して、怒りと悲しみの涙ではなく、アムネシアによる慈愛がもたらした涙であった。






                 〇







 私はエリーさんの実家を後にしました。


「来てくれてありがとう。また、いつでも来ていいからね。そうすればエリーも喜ぶだろう」


「ありがとうございます。でも、いいんですか? エリーさんの腕時計をもらってしまって」


「ああ、そうしたほうがエリーも喜ぶだろう」


「……ありがとうございます」


 アムネシアはこらえきれなくなった涙を流しながら答えた。


 私は様々な人に助けられて今ここにいる。私は魔女としての使命を果たせなかった。人を死なせてしまった。ですが、悔やんでいる時間はありません。悔やんでばかりいると、お父さんの言う通り、エリーさんに怒られてしまいます。魔女の使命を果たせなかったのであれば今後は二度と失敗しない。


 死なせない。私に様々な人がしてくれたことを、今度は私が命を賭けて遂行する番です。そして私は最期の最期まで、全身全霊で生き抜き天寿を全うします。エリーさんに怒られないように。今度エリーさんに会う時には、私の人生を賭けた冒険譚を目一杯聞かせる事にします。


 エリーの実家に着く前の、暗く視野が狭くなった景色が嘘のように消え、アムネシアは確かめるように目を擦った後、空を見上げた。雲一つなく澄み渡った青に塗られた空を見て、アムネシアは涙が出そうになった。しかし、この涙は今までのような絶望の涙では無い。

 そして、罪悪感の果てにアムネシアは右腕につけた白く色あせた腕時計を握りしめながら誓った。







              ”「私は生きる」”








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罪悪感の果てに ぷれぷれ @playfulcloudy

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