第20話 最後に

 働きたいさ。働いてみたいとも。僕にできる労働があるならしていただろうさ。自分で得たお金で、自分の好きなものを買い、自分の家族と自分の時間を過ごせれば、それ以上のことはないだろう。些細な幸せこそ真の幸せだ。


 これまで将吾と過ごした時間が楽しかった一方で、将吾が僕の「目を覚まさせよう」としていた行動のひとつひとつが不快な記憶として蓄積されていたんだと思う。


 将吾の先の一言で、それらが一気にフラッシュバックしてきた。


 それはすごかった。情報の奔流だ。今までされた嫌なこと全てを思い出した。それらは本当に細々したものだったが、どれも彼の「競争原理主義」的な思想を反映しているもので、やっぱり彼は僕のことを下に見ていたのだ。


 そのことに気づいた瞬間、僕は彼に返事を送らず、その場で彼をブロックした。Twitterでも繋がっていたから彼をブロックして、一切の連絡をとれなくした。我ながらひどい扱いだと思う。十年来の「友」をたった一言で捨てたのだ。最低の人間だろう。生きている価値もないのかもしれない。


 でもとにかく辛かった。ずっと対等だと思っていた人が、ずっと僕の傍にいてくれたと思っていた人が、僕をただの弱者だと、捨てられるべき存在だと、そう思っていたことがとにかく辛かったし、許せなかった。


 これも記憶の隅にこびりついている会話だ。もちろん曖昧な記憶だが、出来る限り子細に再現する。


「自分の子供が変な奴とくっついたらゾッとすると思わないか?」これは将吾。

「変な奴って?」これは僕。

「チンピラとか、頭の悪い奴」

「人を測る尺度は色々あるだろ」

「そうだけど、社会的尺度が一番さ」

「社会的尺度って?」

「経済力とか、知能とか」

「そういうのに劣っても、生まれたからには立派な人間さ」

「働きアリの法則で一定数生まれるかもな(彼のこの例えは間違っているのだが)。僕は自分の子供には上澄みの二割と結ばれて欲しいと言っている」

「それは可能性を潰す」

「可能性? リスクだろ」


 今にして思えばこれは優生思想的で、選民思想的だ。歴史的に間違っていることが証明されているが、しかし彼は理系だし、歴史のことには疎く、日本が資本主義という理解もおそらく小学校くらいの知識で止まっていて、野球などのスポーツのおかげで「競争に勝てれば偉い」という考えが根っこの部分にある。だからこう考えてしまうのは仕方がない。仕方がないんだ。


 ただどう考えても僕とは相容れない考えだった。僕を否定する考えだった。僕を傷つける考えだった。彼はずっと僕を痛めつけていたのだ。そのことにこの間……本当にこの間……気づいた。小さな傷が一気に開いて、一気に血が溢れた。泣きそうだった。多分泣いていた。


 本当は、友達と絶交する時は「君のこういうところが嫌だから距離を置く」と宣言してからの方がいいのだろう。それが望ましい。それがきっと完璧さ。


 でもこれは一種の離婚みたいなものなんだ。「ゴールデンウィークに子供をディズニーに連れて行く」ことが理想の夫が、「そんな人でごった返す日に行ったら碌に遊べもしないし子供の世話も大変だ」と主張する妻を押し切ってディズニーに行き、案の定何一つ碌に遊べず、機嫌を悪くした上に「お前はいつも俺の言うことに反対する」と宣う。

 妻はこの一言がきっかけで離婚を決意し、夫をディズニーに置いたまま実家に行き、後は一方的に離婚届を送り付ける。


 これはそういう話なんだ。本当に、それだけ。



 最後まで付き合ってくれてありがとう。胸の内をすっかりしゃべるのってすっきりするな。君って本当に、聞き上手だよ。


 はじめに、これは「セックスについて話すようなものだ」と言った。だから僕は僕たちのセックスについて話した。不思議なもので、例えば初めてのセックスって……これは初体験という意味ではなく、その相手と初めての、という意味……ひとつになるまでは期待値がすごく高いが、ひとつになってみるとどっちかの理想が完璧に裏切られる。僕は裏切られた側だった。いや、僕がずっと裏切っていたのかもしれない。


 とにかく僕たちは一夜限りだった。十年と少しという一夜。夢みたいなものだ。朝起きたら隣にいない。置手紙もないしひどければ財布の中身を抜き取られている。それだけ。そんな話。


 僕の元には置手紙も当然ないし、心の財布の中は空っぽだ。また稼がないといけない。どうやって稼ぐのかは、これから決める。


 最後に。友達は財産だ。でもただの財産だ。あの世までは、持っていけない。死ぬ時はみんな一人だ。僕はただ、死ぬだけだ。

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二人の間をとって 飯田太朗 @taroIda

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