第9話

それからまた、春がやって来た。

 私はいつもより早起きして、家を出た。

 制服は着ない。学校は一か月前に辞めてしまった。あの人の居ない場所なんて、自分にとって何の意味もなかったからだ。

両親に勘当されそうになったので、しばらく祖父母の家で過ごすことになった。朝は、まだ慣れていない町を散歩がてら探検するのが日課になっていた。


少し遠回りをして公園に到着すると、誰かがベンチに座っているのが見えた。

かすかに見えた横顔は、私がいつも隣で見ていた人にとても良く似ている。

確信はできなかったが、祖父母の家の住所から考えれば、ありえない話ではなかった。

話しかけようか悩んでいるうちに、その人が立ちあがった。

私は焦って声を上げた。

「先輩、」

 聞こえなかったのか、その人が立ち止まることはなかった。

「雄達先輩!」

 私はもう一度叫んだ。

やっと見つけた大切な人を、もう二度と逃がしたくなかった。

長い脚が、動きを止める。

大きな体が、ゆっくりとこちらに傾いた。


 その時、ふいに肩をつかまれ後ろを振り返った。

「誰に向かって叫んでるのサ。」

 そこには、目尻に皺を寄せて優しく笑う、雄達先輩がいた。

「え、なんで二人も。」

 先輩の存在を焦がれるあまり、幻が見えてしまっているのかと思った。

「あの人と俺、そんなに似てるかな。」

 軽く頭を小突かれて、これが現実であることを理解した。

「久しぶり。」

 いつもと変わらない様子で、先輩が話す。

「さっきもそこの交差点ですれ違ったんだけど、本人かどうか確信できなくて、そのままついてきちゃった。」

 私が先輩と見間違えた男の人は、もうどこかへ立ち去っていた。

「どうしてさっちゃんがここにいるの?」

 先輩は私の手をつかんで歩き出した。

「どうしてですかね。」

 青い空に、真っ白な雲が浮かび、真っ赤な太陽の光を受けた桜が、桃色に光った。

 空っぽのはずの私の体から、沢山のモノがあふれ出して、なんだかワケが分からなくなってきた。

『ちちんぷいぷい。』


 いつの間にか、私たちはもう一度魔法にかけられていた。

 独りぼっちでは意味がない。

 一緒に魔法をかけられてくれる人が隣にいるからこそ、この世界は眩しいくらいの輝きで溢れるのだ。

 もう何も怖くなかった。

将来のご飯も、厳しい現実も、周囲からの目も、自分の弱さから逃げ出したあの日も、後悔の押し寄せる夜も。

「一体、何を畏れていたんだろう。」

これまで必死に戦ってきた全てのモノたちが、とても小さく思えた。

もう私たちには「互いの存在」以外に失って困るものがなかった。

私は二度と離さないように、先輩の手を強く握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る