第2話
四月の夜風はまだ冷たい。
上着を取り出すためクローゼットを開くと、小さく積み上げられた箱の上に、少し膨らんだ封筒があるのを見つけた。
中身を取り出して、ベッドの上に広げる。それは、高校へ入学してから一年間分の写真だった。
どの写真を見ても、私の隣には、目尻に皺を寄せ、優しく笑う雄達先輩が写っていた。
中学生時代、私には同じ楽器の先輩がいなかった。
トロンボーンなんて触ったこともなかったから、本来誰かに教えてもらうことは全て自分で調べ、見様見真似で覚えた。
別に苦ではなかった。むしろ、「独りで大変だね。」と、声をかけてくる他の部員に、どこか優越感さえ抱いていた。
ただ、同じ楽器でしか味わえない独特な楽しさや、辛い困難を、誰とも共有できずに淡々とこなしていく日々は、ほんの少しだけ寂しかった。
中学で「一人でも充分うまく吹ける」と変に自信をつけた私は、高校に入ると、すぐにそのレベルの差に打ちのめされた。
まるで、これまで自分がしてきたことの全てを否定された気分だった。
「人間、落ちるときは真っ逆さまだ。」
生まれつきの人見知りで、周囲に対して不愛想だった私は、その時の負のオーラも相まって、入部当時の三年生に目をつけられるようになってしまった。
楽器も人間関係も、上手くいかない事ばかりの毎日は、入学して間もなかった私にとって、肉体的にも、精神的にも苦しかった。
そんな私の前に現れたのは、高校に入って初めてできた、同じ楽器の先輩だった。
その日は寒の戻りというやつで、冷たい風の中、三年生に押し付けられた朝のカギ当番を遂行するため、私は音楽室に向かっていた。
扉の前に到着すると、トロンボーンケースを背負った先輩が先に来て、座り込んでいた。
「おはようございます。」
ぼそりと口にした挨拶は、ちゃんと先輩に届いたかどうかすら、怪しかった。
「おはよーさん、こんな寒いのに朝早くから偉いね。」
先輩は気にも留めずに立ち上がると、私から鍵を受け取った。
「矢ノ島皐月ちゃん、だっけ?」
夜の間にこもった空気を追い出すように、窓を開ける。
「鍵、寒い中お待たせしてすみませんでした。」
「いいよ。別にどうせ、君の仕事じゃないんでしょ。」
特に返事はしなかった。
「先輩達、楽器は実力あってかっこいいのに、頭はよくないからなぁ。」
先輩は、目尻に皺を寄せて優しく笑った。
「でもね、いいことを教えてあげよう。」
ひんやりと鋭い風が、横を通り過ぎた。
「自分が変わらないと、周りは変わってくれないんだよ。」
先輩はそれだけ言うと、ケースを楽器棚に置き、音楽室を出て行った。
私は考えた。
どうして、私は他の人に受け入れてもらえないのだろうか。
そもそも、今の私は相手にとってどんな存在なのだろうか。
「技術がない。
態度が悪い。
雰囲気が暗い。
いつも独りでいる。」
なるほど、答えはすぐにわかった。
感傷に浸っている暇はなかった。一刻も早くこの状態から抜け出さなければ、と思った。
「だけど、どうすればいいだろう。」
以前の私だったなら、また一人でどうにかしようと、惨めなプライドを掲げ続けたのだろうか。
でも、今は違う。もう、独りぼっちのトロンボーンではないのだ。
それから私は、雄達先輩の後ろをついて歩いた。
見様見真似で学ぶのは得意だった。
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