第4話



 は? とわたしは瞬時に威圧を返した。

 こういう時、つまりふざけた事を言われた時はスピード感のある圧をかけるのが大事だとわたしは過去の経験から知っていた。

 お前は俺をなめているのか、というはっきりした問いかけで提示された格の差をきっちり詰めて逆転させる。

 でもそういう小手先の技術はもちろん西宮には通じなかった。

 

「こう……してさあ、親指と中指の爪、ぱちんってしたら三秒くらいだけ、時間戻るの。別にそんだけだし、そんだけだけどー」


 色の施されていないすっぴんの爪先――うちの学校は何故かネイルに関してだけはやたらとチェックが厳しいので必然的に平日はそうなる――を弄りながら西宮は呟く。

 いつものくだらない嘘がはじまったとわかりはしたのに、わたしはすぐにムキになった。


「時間戻せるならやりたい放題じゃん。何でも……お金稼ぐのとかもさ」

「と思うじゃんー? でも三秒ってさ、なんもできないよ。わたしも一応考えてさー、考えたんだけどー、パチとか意味ないし、競馬とかそういうのも、三秒戻ったところで、でしょ? 宝くじももう買った番号どうにもならないしー。三秒ってなんもできないし、ほんとなんにもできないんだよ」


 なにもできないと何度も繰り返しながら、西宮は見せつけるみたいに中指と親指の腹を擦り合わせた。たったそれだけの仕草で、わたしはあっけなく西宮のペースにはまる。

 なるほどこうして考えてる間にも三秒なんかすぐに通り過ぎていく。

 株、ギャンブル、銀行強盗。

 浅い知識で想像してみたけれどどれも三秒程度時間が戻ったところでメリットが生み出せるようなものじゃなかった。

 わたしは負けた気分になってポテトをつまんで敗北宣言のかわりにぶすくれた表情を晒した。

 ゆるゆると形を崩し始めたパフェの後ろで西宮が笑う。


「変なこと言っちゃったーって思ったときにぱちんってしても、なんか余計変なタイミングになるだけで言っちゃったことは変わんないし。もっとぱってできたら違うのかなー」

「いや、知らないけど」


 くの字になったポテトがお皿の上で互い違いに折り重なって情けない姿を見せている。

 残り四本。食べる早さを合わせてあげたいのに結局いつもこうなる。


「ね、ゆかりちゃんなら三秒でなにする?」

「なんにもできないんでしょ? 爪の手入れはするかな」

「あ、ひど。だってベースも塗っちゃダメとか無理じゃんねー」


 上っ面だけの会話をしながら、わたしは想像する。例えば、if、もしもの話。

 今の今、この瞬間、西宮に「好き」って言っちゃう自分とその時の西宮の表情を。

 三秒。好きを早口で言えば充分間に合う。

 わたしは西宮の顔を見たらすぐにぱちんと爪を鳴らす。爪を弾けばなにもかもなかったことになる。

 多分会話には変な間ができて、珍しく目を見つめ合わせるわたしを見て西宮が不思議そうな顔をして「なあに」って訊いてきてわたしは「なあにってなに」って無愛想に答えてからまた爪を弾いて「なんでもない」なんて答えて満足する。

 それは溶けかけのパフェと同じくらいどうしようもなく甘ったるい妄想だった。


「ゆかりちゃん、パフェ食べない? わたしおなかいっぱいになっちゃった」

「パフェならいくらでも食べれるって言ったくせに」

「ひどーい。だって飽きちゃったんだもん」


 わたしにはその無邪気さが「魔法なんてないよ」って言ってるように聴こえた。

 パフェは無限に食べれないし世界は一秒も戻らないし夏は暑いしファミレスは涼しいけど家には帰らなきゃいけないし西宮はおっさんに抱かれることができるからお金が貰える。

 どれもぜんぶ当たり前のことなのに並べられるだけで手軽に泣きたくなれた。芋ももう残り少ない。


 二年に上がった時点でなんかこのクラスすごい馬鹿がいるらしいよって噂があった西宮。最初のホームルームの自己紹介で「わたしー、うさぎが好きなんでなんかこう、ふわふわしていきたいでーす」と手を挙げて宣言してウケもせずコイツのことかって目でどん引かれまくっていて西宮。反射的に睨みつけたわたしを見て今と変わらない馬鹿みたいな笑顔を見せた西宮。パパたちになにされてもへらへら笑っていられるからそこそこのお金を稼げてだからふらっとファミレスに寄って割引クーポンなしでもパフェを注文できる西宮。


 わたしはせめてやさしい想像をする。西宮のこと好きって言う自分とありがとーってはにかむ西宮とその瞬間世界に弾け飛んでいく西宮のパパたちのことを。


 チョコアイスは安っぽいホイップクリームと混じってやけにくどいしその間も西宮が何度も爪を鳴らすから気が散って細長いスプーンを持つ手もはかどらないし胸が詰まって舌の付け根が冷たくなってパフェは全然減ってくれなくて気分はジェットコースターで喉の奥にチョコレートパフェの死体を滑り込ませながらわたしはわたしでファミレスのやけに明るい照明の下で泣きたい自分に腹を立てる。


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ゆかりちゃんが世界を三秒で変えられれば良かったけどね いりこんぶ @irikonbu

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