lonesome

 啄むような日差しの中で、少し色素の薄い髪に光の粒を絡ませて、彼女が立っている。



 私は一瞬ハッとして、すぐに今は彼女以外が立っている方が珍しいのだと気づく。それでも、少し背中と膝を曲げて押したら崩れそうな頼りない立ち姿がひどく本物の彼女らしかった。


「友だちか?」

 私の隣のもうひとりの彼女、彼女の姿をした兄が聞く。

「わかんねえよな」

 苦笑してアスファルトに放った煙草を靴先で消す仕草はどれほど姿が同じでも彼女と全くの別物だ。



 私はサンダルの底から乾いた草が足を刺すのを感じながら土手を登って彼女の前に立った。

「皆原さん……?」

 彼女の視線が真っ直ぐに向けられた、昨日と変わらない自分の顔を隠そうとして、隠すべきなのかわからず頭を振っただけになる。


 長い沈黙の後、彼女が眩しさに耐えるように目を細めた。

「やっぱりわかるんだ」

 唇から小さな歯が覗く。

 目の前の彼女が本物かを考える前に、思考は単純に小さな歯から漏れる言葉の真意の方へ逸れていく。



 私と彼女はまるで何の変哲も無い下校途中の同級生のように河川敷を並んで歩いた。

 何の変哲もない下校すら一緒にしたこともないというのに。

「何でこんなことになっちゃったんだろう……」

 少し低い声で彼女が呟く。髪が顎を縁取るように降りた横顔はパソコン室で見つめたあの横顔だ。

「本当にね。何て言うか、大変なことになっちゃったね。夢の中みたいっていうか信じられないっていうか……」

 こんな状況でも当たり障りのない言葉しか出てこないのもいつも通りだ。



 無数の子どもが手鏡で光を反射してるような川から目を逸らし、私は歩調を彼女に合わせる。

「変なこと聞くけど、本当の皆原さんなんだよね」

 彼女は小さく、でもしっかりと頷いた。


「でも、何となく気づいてくれるんじゃないかって思ってた」

 眠たそうな瞼がかすかに持ち上がって私を見る。

「いつも私のこと見てたでしょ」

 心臓を素手で掴まれたと思った。

 何かを含んだ笑みで私を見つめる彼女の姿はパソコン室からもSNSからも得たことのない情報で、脳の芯が焼けそうになる。

「私も」

 何が、と口に出していた。

「一緒だね」

 全人類が皆原さんになることより、今のひとことの方が私にとってずっと有り得ないことだと思った。



 河川敷を通り過ぎて、私たちは平たい団地が陰を落とす裏道に入る。

 川の底の苔の匂いとシャンプーやソースの混じった生活の匂いが漂う日陰で、私はしきりに言葉を探す。

「見てたって、いつからというか、どこまで気づいてたの」

 うーん、と彼女が首を傾げる。何もかも知らない仕草だ。本物の皆原さんを探すという考えはとうに消えて、親しければこんな仕草もするんだと納得している自分がいた。

「どこまでだと思う?」

 頭は忙しなく動いているのに何ひとつ気の利いた言葉が出なかった。



 彼女が足を止めて頭上を仰ぐ。

 私も視線をあげると、空中に突き出した階段があった。

「何だろ、あれ」

 彼女が呟いた。

 ある日突然、全人類が同じ姿になるような超自然的な現象ではない。単に裏路地に密集した建物のひとつが取り壊されて、もうひとつの建物に隣接していた非常階段だけが残されただけの無用の長物だった。

 赤茶けた塗装が錆びでさらに濃くなった非常階段は雨にも日差しにも負けずに元の持ち主の帰りを待つ、哀れな従者のようにも思えた。

「危ないから早く取り壊せばいいのにね」


 そう言った彼女の声と同じ声が脳裏に蘇った。

 トマソン。


 例のパソコン室でwebサイトを自作する授業の最中だったと思う。

 全員がフリー素材でサイトの背景を検索する中、私は風景画を探していた。

 傘の写真ばかり撮るとうの昔に写真家ソール・ライターが好きな彼女の目に留まるように、寒々しい雨の風景をクリックしていたとき、たまたま表示されたのがちょうど今のような、空中に浮かぶ古い階段だった。


 何これと呟いた私に皆原さんの微かな声が答えた。

 トマソン。

 驚いた私に、彼女は期待されて入団したのにあまり役に立たなかった野球選手の名前からとって、こういう不要な建造物のことをトマソンと言うのだと皆原さんは教えてくれた。

「寂しいけど何がいいね」

 そのときだけ私は気の利いたことを言えたのだと、彼女の小さな首肯で思ったのを覚えている。

 その後すぐに同級生に衒学をした気恥ずかしさで顔を背けた彼女の横顔と、同じ横顔が目の前にある。



「違う」

 私は一歩後ずさった。立ち姿もそっくりだけれど。いたずらっぽい笑い方が本物かどうかわかるほど彼女を知らないけれど。

 邪魔くさそうにトマソンを見上げる彼女は皆原さんではない。

「ごめん、何か違うかな」

 踵を返して元来た道へ戻ろうとした私の腕を白い指が掴む。

「何が?」

 指の細さに似合わない力と目の奥の光が神経を刺す。違う。



 私は彼女を振り払って駆け出した。

 夏の暑い空気と草の匂いが喉に雪崩れ込んで、私は河川敷で足を止めた。

 全身から吹き出す汗と息苦しさが不快だった。


 皆原さんの姿をした彼女を私は知らない。

 けれど、彼女は私を知っていた。

 この非対称性は私と皆原さんそのままだ。


 本物の皆原さんを見つけて私はどうしたかったのだろう。

 私は裏返りそうな喉でえづいた。

 唾液と汗が熱されたアスファルトに落ちて、線香花火をバケツに放り込んだときの音がした。

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コピーアンドペースト全人類皆原さん 木古おうみ @kipplemaker

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