こちらの作品を読んで、私は初めてサンドアートを知りました。
下からライトアップした透明な板の上に砂を撒き、手や筆などを使って、砂を寄せたり広げたりしながら濃淡をつけて描き上げていく技法。
まるで砂遊びをするように、何度でも作り直し姿を変えることができる変幻自在なアート。
その一方で、そのままの形を保ち続けるのは難しい刹那のアートであり、光と影が織りなす幻想的な雰囲気をも湛えています。
描いては崩し、描いては崩し、主人公の手から生み出される武蔵野の自然は、鮮やかな映像のように私の胸に迫ってきました。
滾々と湧き出る水は、やがて勢いを増し形を変えて流れゆき、大地を形作っていきます。人間をも含めた多くの生命を育む川の流れ、季節の移ろい。
太古の昔、伝説の巨人がこの地を作り上げた姿を垣間見れたような感動です。
柔らかく語られる少年の頃の思い出は、ノスタルジックな記憶を呼び起こし、美しい筆致が誘うマイナスイオンは一服の清涼剤となって、みなさんの心を癒してくれることでしょう。
心地よい高揚感と清々しさ、どちらも実感してみてください。
子供のころに身近にあった自然、今は記憶の向こうに流れてしまったものが戻ってきました。
神秘的というよりも身近な森、川にはヤゴとかヤゴとか魚とかが住んでて、時間を忘れて遊んだ記憶。
大人になって、サラリーマンになって、コンクリートだらけの街で暮らすようになって。
特別な場所に行かなくてもそこらじゅうにあった自然の思い出。
この武蔵野の物語をよんで、不意にそんなことを思い出しました。
いつのまにかずいぶんと大きくなっていたのかな、なんて。
楽しい筆致で描かれる、当たり前で美しい自然の光景。
感情を静かに揺り動かしてゆく素晴らしい短編でした。
残暑の森に踏み入って、思いの外冷たい水に足を晒すと子供の頃の他愛ない記憶が過ぎって笑みが溢れ、記憶と少し違って感じると大人になった、時間が経過したことを実感してなんだか切なくなる。
そんなノスタルジー溢れる作品です。
どこか童心に還ったように夢中になってサンドアートに向き合う時間には、今もなお滾々と湧く水源と周辺の環境、そして水に弄ばれ時と共に変わりゆく地形への憧憬が込められているようにも思えました。
子供心に一番過ぎ去るのを名残惜しく感じていた記憶のある曖昧な夏の終わり。
大人になった今、感傷的な気持ちを洗い流して、ポジティブに次の季節へと足を踏み出していくような、パワフルな湧水に手を浸して力をもらったような、素敵な疑似体験をさせてもらいました。