田舎の墓場で出会ったものは
烏川 ハル
田舎の墓場で出会ったものは
あの怪物に出会ったのは、まだ私が小さい頃だった。
私の家は先祖代々……というほど由緒ある家柄でもないが、父方の家系は、ずっと東京の都会暮らし。ただし母は信州の山奥の生まれであり、母方の親戚の大半はそちらに住んでいた。
母は毎年、夏になると私を連れて、1ヶ月くらい実家に帰省する。何もない田舎の生活というのは、都会っ子の私にとっては不便な点もあったが……。
自然の木々に囲まれた、緑豊かな土地で暮らす。それは新鮮であり、なんだか楽しかった。近くの山や森で遊ぶのはもちろん、家の庭がコンクリートではなく土の地面というだけでも珍しくて、公園の砂場気分で掘り返して遊んでしまい、信州の叔父さんにはよく笑われたものだ。
その信州の家にはクーラーがないのも、東京の家との違いだった。子供の私は「田舎だから文明が遅れている」なんて失礼な考えも頭に浮かべたが、昭和や大正の昔でもあるまいし、電化製品くらいは田舎にも普及していたはず。ただ単に、夏は涼しい土地柄であり、必要なかっただけではないだろうか。
縁側の障子戸を開けておけば、心地よい風が入ってくる。ただし、風と一緒に虫も入ってくるのが玉に瑕だ。
カブトムシやバッタならば嬉しい来客だが、そうした昆虫は、さすがに外へ遊びに行かなければ捕まえられなかった。勝手に家に入ってくる虫は、ほとんどが蚊。人間の血を吸う、嫌われ者だった。
もちろん、家の中には対策も用意してある。例えば、蚊取り線香だ。
あの独特の匂いを発する、緑色の渦巻き状の物体。漫画やアニメでは何度も見ていたけれど、実物を目にする機会は、信州の家で過ごす夏だけだった。東京の家では、電子蚊取り器を使っていたからだ。
蚊取り線香だけでなく、蚊帳も初体験だった。私と母が寝る小部屋をすっぽり覆うくらいの、かなり大きな蚊帳だ。
初めて見た時は、それが虫除けのための『蚊帳』とは認識できず「わあ! 王族か貴族みたい!」と叫んでしまったものだ。それこそ漫画やアニメで見たような、天蓋付きベッド――レースのカーテンが上から垂れているやつ――を連想したらしい。
このように、大袈裟に言うならば非現実感――異世界感――があって、夏を信州で過ごすのは、私としては完全な旅行気分だった。
だが母にしてみれば、旅行ではなく帰省。お盆の墓参りを兼ねたものだ。
だから、何度か墓場にも出かけて……。
たくさんの墓石が屹立した墓場。土地に困らない分、都会の墓場より少し広いけれど、基本的には同じだから、物珍しさはなかった。
私が物心ついた頃には既に母方の祖父母は死んでおり、子供の私にとって、お墓参りは特に面白いイベントでもなかった。
母方の祖先が弔われている墓も、たくさんある墓石の一つに過ぎない。黙って手を合わせていたり、墓石を掃除したり、そこで母が長い時間を過ごすのを、私は退屈に感じていた。
だから、母をそっと一人にして、私は広い墓場をぶらぶら歩き回り……。
それに遭遇したのだ。
最初に視界に入ってきたのは、細くしなやかな白い脚だった。
若い女の人が、墓場の奥で倒れていたのだ。
まだ性的な興奮を覚えるような年頃ではなかったが、美しいまでに白い生肌を見た瞬間、妙に感動してしまった。続いて「これは生気を感じられないほどの白さだ」という考えが頭に浮かび、「この女性はきっと死んでいるに違いない」と理解できた。
つま先から頭の方へと視線を向けていくと、おとなしい柄のワンピースや、細い腰のベルト、なめらかな胸の盛り上がりも見えてくる。そして再び肌色となる首筋、そこには小さな穴のような痕が並んでいた。細い筋になって血が流れているから、首を噛まれたのだろう。
さらに目を動かせば、整った顔立ちと艶やかな黒髪の向こう側。少しだけ離れたところに、一人の男が立っていた。
黒いスーツを着ているのは、墓場という場所を考え合わせれば、普通は喪服に見えるはず。でもこの男の場合、むしろ西洋的なパーティーのための夜会服のようだった。
だらしなく口を開いており、人間にしては鋭すぎる、牙みたいな前歯が覗いていた。それが赤く濡れているのだから、もう「私が女の血を吸いました」と告白しているようなものだった。
「ひっ!」
恐怖の声に続いて、私は叫んでしまう。
怪物だ!
ただし、ここは東京ではなく、信州の家の近くだ。そして信州の家は、蚊取り線香や蚊帳などのイメージが強かったので……。
「蚊だ! 蚊の化け物が現れた! 女の人の血を吸ってる!」
すると怪物は、私以上の大声で怒鳴った。
「馬鹿者め! 余は蚊ではない! 吸血鬼だ!」
(「田舎の墓場で出会ったものは」完)
田舎の墓場で出会ったものは 烏川 ハル @haru_karasugawa
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