番外編(最終回後のネタバレあり注意)

番外編1 クリスマスは大切な人と過ごしたい

 俺、里中さとなか 健司けんじは、とても焦っていた。こんなに焦ったのはいつ以来だろうかってくらい焦っていた。秋に誕生日を迎え、三十七歳になってしまった。いい歳して落ち着きがないとも思うが、とにかく焦っていた。


 今日はあれだ。いわゆるクリスマスイブ。皆さんお馴染み、なぜか日本では恋人同士がイチャイチャする日になっているやつだ。そして根っからの日本国民である俺も、恋人同士でイチャイチャしようと思っていた。

 そう、思っていたのだ。


 狭い賃貸アパートでは、愛しい恋人兼婚約者兼副業の助手兼お隣さんが、俺の事を待っている。「サプライズです」と言って教えてくれなかったが、きっと美味しい料理を作ってくれていることだろう。そんな幸せを味わうはずだったのだが、今は一人で繁華街の上空にいる。


 それもこれも、俺の副業が原因だ。定時で退社した直後、副業用の携帯電話に連絡があった。黒影くろかげに取り憑かれていると思われる男が暴れているらしい。徒歩で向かうには時間がかかりすぎる場所だった。

 緊急事態ということで、強引に魔法使用の承諾をとり、俺は街を見下ろしている。暗さで高所恐怖症が紛れるのが、数少ない救いだ。


 黒影は、人の心の隙間に入り込み異常行動を引き起こす。クリスマスなんてイベントは、黒影の被害者を作るだけだ。なんなら、去年までの俺はそっち側だった。

 しかし今年は、変に浮かれてしまっている自分がいる。さっさと終わらせて帰りたい。


「あれか」


 度がキツめのメガネ越しに、人だかりが見えた。その真ん中にはドーナツのように穴があいている。さらに穴の中心には、ひとつの人影。

 何か棒のような物を振り回しているようだ。こいつは、ちょっと面倒だ。目撃者が多すぎる。

 とはいえ、無視するという選択肢はない。黒影を祓うのが俺たち魔法使いの仕事だ。それに、取り憑かれた人を救うのは、俺たち魔法使いの使命だ。師匠から散々言われていたし、俺個人もそう思っている。

 仕方ない。行くか。


「お、ケンじゃないか」

「うおっ!」


 腹を括って降下しようとした時、不意にあだ名で呼ばれた。ここは繁華街の遥か上空で、誰もいるはずがない。あまりにも驚いて、思わず声をあげてしまった。

 俺の隣には、レディーススーツの上にコートを羽織った女性がいた。マフラーに隠れて顔の下半分は見えないが、かなりの美形だ。


「そんなに驚かなくてもいいのにー」

「なんだ、師匠か」

「なんだってなんだよ」


 この人は俺の師匠。異常なまでの体内魔力で自分の姿形や、肉体の年齢までも変化させるとんでもない人だ。文献によると、百年以上前から存在しているらしい。ただし、年齢について触れてはいけない。怒るから。

 この前までは十歳くらいの美幼女だったが、今は二十代半ばのOL風の姿をしている。言葉遣いまで変わっていて、妙なこだわりを感じてしまう。それでも、魔力の多さで誰だかわかってしまうあたりが恐ろしい。


「里中さん、こんばんはー」

「お前も来てたのか」


 続いて挨拶してきたのは、瀬戸せと 由佳ゆか。師匠の二番弟子だ。俺の妹弟子とも言える。なんか嫌だけど。

 こいつも師匠と似たような格好をしている。確か、今の見た目は瀬戸のリクエストだったか。とことん弟子に甘いお方と、ワガママ放題の弟子だ。


「今日はクリスマスイブだろう。帰らなくていいのか?」

「それが、副業でして」

「ああ、あれか」

「はい」


 師匠は人だかりを指差した。


「里中さん、家に待たせてるんですか?」

「仕事帰りの依頼でな。早く帰りたい」

「うわー、イブに仕事なんて、振られちゃいますよ」

「うるせぇ」


 瀬戸がニヤニヤ笑う。街の光がむき出しのおでこに反射して輝いていた。なんか腹が立つ。


「わかったよケン。お前が振られるのは見てられないからな、後は任せろ。協会の連中にも、私から言っておいてやるよ」

「そうですよ、私と師匠、わーたーしーと師匠にお任せです」

「師匠……あと瀬戸も」


 師匠ならば、あんな黒影は一瞬で祓ってしまえるだろう。ついでに瀬戸には、きっと勉強にもなる。


「ありがとうございます」

「うんうん、仲良くしてくれよ」

「ちゃんとしてないと私が頂いちゃいますよ。助手として」


 師匠に感謝を告げ、俺は自宅のアパートへと向かった。魔法の使い損ではあるけど、そんなのは些細なことだ。


「ただいま」


 いつの間にか、ドアを開ける際には自然にこの言葉が出るようになっていた。彼女の部屋は隣だけど、お付き合いを始めた頃に合鍵を渡してある。


「あ、おかえりなさい!」


 食事のいい匂いと共に、少し張りのある明るい声。山崎やまざき 明莉あかりが、俺を歓迎してくれた。ひとつに括った長い黒髪が揺れる。大学一年の彼女からは、若々しい溌剌はつらつさが溢れている。

 今でもこんなに年の差があっていいのかと疑問に思うことがある。しかし、そんなことが些細に思えるほど、俺は明莉が好きだった。そして、明莉も俺を好いてくれている。

 そんな恋人が、薄い黄色のエプロンを着けたまま玄関までやってきた。狭い通路と一体になったキッチンには、料理の形跡が見える。


「早かったんですね。てっきり遅くなるかと。でも嬉しいです」


 明莉の声は弾んでいる。副業のために遅くなると連絡したときは『大丈夫ですよ』と元気に振舞ってくれたが、内心はさみしかったのだろう。明莉には申し訳ないけど、それはそれで嬉しい気持ちになってしまうものだ。


「それが、偶然師匠と瀬戸に会ってね」

「え……あっちゃー」


 俺のコートを受け取った明莉が、額に手を当てた。


「あっちゃー?」

「あ、いやいやいや、それはですね」


 空いた左手をバタバタさせ、慌てた様子だ。


「ん?」


 明莉の向こう、大して広くないリビングのテーブルには、所狭しと料理が並んでいた。いつも作ってくれる和食ではなく、洋食中心のメニューだった。それにしても、二人で食べるにしては量が多い。

 なるほど、察しがついた。確かに、本来は家族と過ごす日だ。イチャイチャはその後すればいい。


「そういう事か」

「あー、もう、サプライズだったのに」


 明莉はがっかりと項垂れた。その姿が可愛くて、滑らかな髪を撫でる。


「いや、嬉しいよ」

「もぅ」


 俺はその心遣いが嬉しかった。


 程なくして、ゲストの二人が到着する。家族ではないけど、家族みたいな存在の人とその弟子。諸事情あってなかなか会えなかったが、明莉が気を利かせて呼んでくれたのだろう。


「ケン、アカリ、来たぞ」

「明莉ちゃん、お久しぶりー。あと里中さんはさっきぶり」


 今年のクリスマスイブは、賑やかになりそうだ。


「あの、健司さん、健司さん」

「ん?」

「パーティ終わったら、少しだけでいいので、二人きりになりましょうね」


 俺の恋人兼婚約者兼副業の助手兼お隣さんは、頬を赤らめて囁いた。

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おじさん魔法使いと押しかけ女子大生 ~彼は恋を思い出し、彼女は再び恋をする~ 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho

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