手紙

 拝啓 篠崎千鶴様


 なんて、改まっていうとおかしいですね。だいたい千鶴に手紙を書くなんて、小学生のときに遊びでやって以来じゃないでしょうか。千鶴が一人暮らしを始めてからも、電話やメールはやりとりしていたけど、手紙なんか一度も送ったことはありませんでしたね。

 で、どうでしょう? この手紙、いつ読んでいるでしょうか。千鶴は大事なことを先送りするようになったから、たぶん一日くらいは放っておいたんじゃないかと思います。封筒にあるとおり、この手紙の最後の方にとても大事なことを書いておきました。妹の最後の頼みだと思って、きちんと読んでくださいね。


 さて、まずは思い出話からさせてください。

 千鶴と私は物心ついた頃から一緒でしたね。双子で顔がそっくりだからという理由で、同じ幼稚園、同じ学校にずっと通っていたのに、一度も同じクラスになったことがありませんでした。当時の私はそれがとても不満だったものです。だって、千鶴のことが世界で一番大好きでしたから。

 引っ込み思案で人見知りの私には親しい友達がなかなかできず、いつも千鶴の後ろに隠れていたものです。千鶴にとっては、手のかかる厄介な妹だったかもしれません。でも、私に向かってはいやな顔ひとつ見せたことがありませんでしたね。

 千鶴は見た目こそそっくりでしたが、性格は私と違って活発で、ひとりでどんどん歩いて行ってしまうような子でした。千鶴ひとりが遠方の大学に通うことが決まったとき、私は小さい子供みたいにごねて、家族みんなを困らせましたね。私、本当にあなたと離れるのが嫌だったのです。あなたがいない場所でどうやってやっていけばいいのか、ちっともわからなかったのです。

 案の定私は、地元の大学に進みはしたけれど、親しい友達もできず、浮いた話のひとつもありませんでした。そういえばもういい年になるけれど、一度も男性とお付き合いすることがなかったのです。父さんと母さんには心配をかけてしまいました。

 あの頃はしょっちゅう千鶴に連絡していましたね。千鶴もよく付き合ってくれました。あなたに会うためなら、苦手な人混みの都会に行くことも苦にはなりませんでした。千鶴と一緒にいるだけで、本当に楽しかった。


 こんな私ですから、千鶴が結婚したときも本当は嫌だったのです。よその人にあなたを盗られてしまうような気がしてしまって。

 でも清水さんは結婚相手として、申し分のない男性でしたよね? 礼儀正しくて、気が利いて優しくて、仕事もちゃんとしていたし、同年代の中ではかなり年収の高い方でしたよね。ご実家もきちんとしたご家庭で、非の打ちどころのない相手だと、父さんと母さんが喜んでいました。それに、これで孫の顔が見られると言って安心もしていました。

 私もずいぶん大人になっていましたから、もう表立ってごねるなんてことはしませんでした。やっぱり千鶴はすごいな、とも思いました。遠くの大学に行って、そこで就職して、こんな素敵な男性を見つけて結婚するなんて、私には到底できないことです。大人になっても私たちの見た目は相変わらずそっくりでしたが、それ以外のことは似ても似つかない――なんて、卑屈になったことも度々でした。

 千鶴と違って、私はずっと実家暮らしで、ひとりでよその土地に行くなんて思いもよりません。父さんのコネで入った地元の会社に就職したものの、相変わらず友人ひとり、恋人ひとりできるわけでもありません。外見は同じでも中身は大違いです。

 千鶴が家を出てから、私には幼い頃の思い出が何よりの宝物でした。母さんが作ってくれたクッキーを分けっこして食べたこと、いじめっ子から守ってもらったこと、一緒に岐阜の祖父母の家まで電車に乗っていったこと……アルバムを眺めながら当時のことを思い出しているときが一番幸せでした。

 ところがその宝物をめちゃくちゃにしてしまったのは、誰であろう、千鶴その人だったのです。


 千鶴が突然離婚して実家に戻ってきたときは、本当に驚きました。おまけに離婚の原因というのが、あなたの不倫とお金の使い込みだというのですから、驚きすぎて声も出ないほどでした。

 まるで悪い夢を見ているみたいでした。父さんたちと清水さんが話をしている間、ふてくされたように黙っている千鶴の顔は、見たことがないほど幼稚でした。あんな顔は、私たちが本当の子供の時ですら見たことがありませんでした。千鶴はいつの間にこんな顔をするようになったんだろう、とショックを受けました。

 清水さんはわざわざ弁護士の方を連れてきていていましたね。私はそれで、何かのっぴきならないことがあったのだと悟りました。

「一生に一度の運命の恋」って、あのとき千鶴が言っていたのでしたっけ。それってずいぶん人を変えてしまうものなんだなって思いました。

 その運命の恋というもののために、生涯の伴侶と誓った人を傷つけて、両親を泣かせて、家計どころか勤め先のお金まで使い込み、大変な借金を背負い込むなんて……昔の千鶴ならきっと、そんなのバカのやることだ、と言って笑い飛ばしたはずなのに。おまけにその「運命の人」とやらは、とっくに千鶴を見限って逃げ出していたそうではないですか。

 私の知る限り、それまでの千鶴の人生には挫折というものがありませんでした。だから本当に心が折れたとき、あなたがどうなるのか誰も知らなかった。たぶん、あなた自身も知らなかったのでしょう。

 千鶴は実家の、昔使っていた部屋に引きこもるようになりましたね。結婚生活も仕事も失って、返さなければならない借金があるのに働こうともせず、ただ部屋に籠っているだけ。食事も部屋に運んでもらって、出てくるのはトイレとお風呂くらい。

 あなたがそうやっている間、私たちがどうしていたか知っていますか? この家だけはなんとか差し押さえを免れたけれど、父さんと母さんは老後の蓄えをほとんど失ってしまいました。青い顔をしながら、それでも清水さんや皆さんにつぐないをしなければならないと言って、懸命に働いていました。私も家にお金を入れ、家事を分担して、できることは協力しました。

 それでも千鶴はずっと引きこもって、何もしようとしませんでしたね。私はもう昔の千鶴、憧れだった双子の姉はいなくなってしまったのだと思いました。あの頃のあなたの思い出を大事に大事にしていたのに、それをあなた自身に否定されてしまった。

 私の宝物は踏みつけられてぼろぼろになってしまったのです。それが私にとってどれほどの痛手だったか、あなたにわかりますか?

 心労が祟ったのでしょう、離婚から三年も経たないうちに、父さんと母さんは相次いで亡くなりました。なんとか葬儀には引っ張り出したけれど、そのときも千鶴は何もしなかった。ただ式の間座っていて、終わるとさっさと帰ってしまいましたね。喪主も諸々の手続きも何もかも私にやらせて、あなたは部屋で何をしていたのでしょうか。

 結局私には、ごめんなさいも、お疲れ様の一言もなかった。それだけ千鶴の絶望が深かったのかもしれないけれど、こんなことになったのは、元はといえば不倫相手に入れ込んだ千鶴のせいではありませんか。

 年月ばかりが過ぎていきました。その間千鶴にご飯を食べさせて、借金を返していたのは私です。自分のことなんか何もせずに、もう何も考えずに、ただ何の希望も見いだせなくなって、惰性のままにそうやっていたのです。

 私がよすがにしていたものを、千鶴が全部壊してしまったのだから。

 だから、これからその責任をとってほしいのです。


 私、先月仕事を辞めました。あなたのお世話ももうやめます。困ると言われてももうお引き受けできません。

 だって、私はもう死ぬのですから。千鶴が延々ここまで読んできてくれた手紙は、私の遺書だったのです。

 実は一年くらい前から体調が悪くて、病院で検査をしてもらったりしていたのです。そしたら胃癌ですって。五年後の生存率は三十パーセントくらいなんですって。三か所くらいで診てもらってもそうなんですから、そういうことなんでしょうね。

 もう私、あんまり過ぎて診察室で笑ってしまいました。何にもなかった。結婚もしなかった。親友もいなかった。ただ子供時代の幸せな思い出があっただけ。それもめちゃくちゃになってしまって、本当に何にも残らなかった。

 お世話をしてくれる人がいなくなって、千鶴は今どんな気持ち? お金なんか大して残っていません。この古い家だって差し押さえられないとも限らないでしょう。親戚はもうよっぽど遠縁しか残っていないし、ご近所さんだって大方入れ替わってしまって、もう誰もあなたを助けてくれないのです。

 今、どんな顔をしてこの手紙を読んでいますか? せめてあの世から笑ってやるくらいのことは許されるでしょうね。私、千鶴にまったく恨みがないと言ったら大嘘ですから。

 母さんがやったように、リビングの梁に紐をかけて首を吊っている私を見つけたとき、千鶴は子供のように泣くでしょうか? 生きているときには聞けなかった「ごめんなさい」を聞かせてもらえるでしょうか? そのときのあなたと、もうお話しできないことが残念です。


 だから、ここから先をきちんと読んでください。本当に大切なことが書いてあるのです。


 私、千鶴の保険証を使って病院に行きました。病院には、篠崎千鶴のカルテが残っています。賢かった千鶴なら、もうわかってくれたでしょうか。

 私が死んだら、死んだのはあなた、篠崎千鶴だということにしてほしいのです。自分の愚行のためにいろんなものを失って、家族に迷惑をかけて、借金も作って、おまけに癌まで発症してしまった。自殺の原因としては十分でしょう。

 篠崎千鶴は死んだことにして、これからあなたは篠崎千春として生きていくのです。通帳とか保険関係の書類なんかは、ちゃんとわかるように整理して、電話台の引き出しに入れておきました。

 とんでもないことを言っていると思うでしょうけど、私たちは顔も似ているし、他人とのお付き合いもほとんどありません。やってやれないことはないと思うのです。相続には限定承認というものがあるから、うまくいけばこの家を残して、借金だけを放棄することもできるかもしれません。

 それともこんなこと、やっぱり私の浅知恵なのでしょうか? でも千鶴は、本当は私よりもずっと賢いひとなのだから、私の無茶ぶりを受けて、きっとうまくやってくれるんじゃないかと思うのです。

 どうか部屋を出て、これから新しい人生を始めてください。そしてできることなら、もう一度幸せになってください。それだけの力があるのだと、それに値する人間なのだということを示してください。

 それだけが、私たちの思い出が嘘っぱちではなく、本当はやっぱり美しかったのだと証明するための、唯一の方法だと思うのです。

 千鶴、母さんのクッキーおいしかったね。毎年行った海水浴、本当に楽しかった。いっぱい助けてくれてありがとう。

 色々あったけれど、私はやっぱり千鶴のことが大好きです。


 では、さようなら。


 篠崎千春

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あなたを死なせるための手紙 尾八原ジュージ @zi-yon

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