わたし人魚!~魔女に人間の下半身(♂)をもらいました~

梨鳥 ふるり

わたし人魚!~魔女に人間の下半身(♂)をもらいました~

 人魚のルゥルゥは、人間の男が魔女にジャーマンスープレックスをかけられている現場に遭遇そうぐうした。

 ここが砂浜じゃなくて岩場だったら、男は多分死んでいただろう。

 技をキメた魔女は、仰向けに倒れた男の側にある岩によじ登っている。

 満ち潮になると海から半分だけ頭を出すこの岩は、ルゥルゥがいつも座って歌を歌うお気に入りの岩だ。しかし、今は潮が引いて大岩として存在している。

 魔女の次の技はダイビング・ボディ・プレスに違いなかった。

 

 ―――魔女が魔法を使わないなんて……よっぽど拳でらしめたいんだわ。あの男の人、どうして魔女をあんなに怒らせてしまったのかしら?


 ルゥルゥはもっとよく見ようと、上半身を砂浜に乗りだした。

 魔女は華麗なボディ・プレスをキメると、噴水みたいに汚いのを吐き出した男の首を絞めて、怒鳴りつけている。

 

「オマ、コノ、クソ!!」


 魔女は同じカタコトを繰り返していた。

 人は怒り過ぎると、言葉が上手く出なくなるのだろう。

 パアンと男の頬が張られ、男の顔がルゥルゥの方へ向いた。

 かなりの美男子だ。


―――あんなに素敵な人を、いたぶるなんて……やっぱり魔女って怖いのね。


「もう許してくれ!」

「黙れ!! 我が純潔じゅんけつうばっておいて、浮気ばっかり!!」


 ルゥルゥは「なんだ痴話ちわ喧嘩か」と、ホッとした。

 それならきっとその内、仲直りするだろう。そう思って、人間の恋人達はどんな風に仲直りするのだろう、とドキドキして見守った。


―――きっと甘い感じになるのだわ。キスするかしら? うふふ……。


「馬まで妊娠させやがって!」

「違う! 俺は馬となんか……!!」

「じゃああの雌馬のお腹の子は何!?」

「し、知らないよ!」


 酷い痴話喧嘩だった。甘くならないかもしれない。

 キーッと、魔女がキャメル・クラッチをキメる。


「最近あの馬にばかり乗っていたの知ってるんだから! どうするのよ、ケンタウロス生まれちゃうじゃない!」

「ダイジョブ、ダイジョウブだから! お腹の子は馬の子に決まってる!」


 砂をバンバン叩いて、男が魔女を宥めている。魔女も男を憎みきれないのか、それとも馬に男を寝取られた現実を受け止めきれないのか、少し絆された表情になった。しかし、キッとして言った。


「じゃあ、もしもケンタウロスが生まれたらアンタの下半身を海に捨ててやるから!」


 それを聞いて、ルゥルゥは身を乗り出し魔女へ呼びかけた。


「あのう、今の本当ですか!?」

「あぁん? なによ人魚じゃない。まさかアンタ、あんな子供みたいな人魚まで……!?」

「ああああ、違います。あの、もしケンタウロスが生まれてその人の下半身を捨てるなら、わたしにもらえないでしょうか? わたし、脚が欲しいんです」



 十六歳になって初めて海面へ出る事を許された日、ルゥルゥは運命の出会いをした。

 

 初めて海上へ顔を出した時、海風がとても気持ち良かった。ウミネコ達がミャアミャア鳴いて空を飛んでいたので、ルゥルゥは笑い声を上げ、夢中で追いかけた。イルカ達が「もうすぐ陸だよ危ないよ」と教えてくれたのに、ルゥルゥは見えてきた砂浜に「陸だぁ!」と、胸を高鳴らせるばかり。そんなルゥルゥに、波がお仕置きとばかりに打ち付けて、お気に入りの貝殻の髪飾りを砂浜の上へ持って行ってしまった。

 ルゥルゥは慌てて髪飾りを追いかけたけれど、髪飾りは波が砂浜を舐める少し先に転がってしまった。あと少しで手が届きそうだったけれど、海水が無い所は少し怖い。夢中で手を伸ばして頑張っていると、その手元にふと影が落ちた。

 反射的に見上げると、お日様みたいな金色の髪をした少年が驚いた顔をしてルゥルゥを見下ろしていた。


「き、君、人魚?」


 ルゥルゥも驚いて、声にならない悲鳴を上げた。急いで海に戻り、潜って隠れたけれど、オーロラ色の長い髪が海面にゆらゆら夢の様に揺れてしまい、ちっとも隠れていなかった。

 少年はルゥルゥが取ろうとしていた綺麗な髪飾りを拾って、腰ほどの深さまで海へと入って来た。ルゥルゥは逃げようと思ったけれど、髪飾りは惜しいし、何より少年への好奇心が勝った。そっと海面へ半分だけ顔を出すと、間近に少年がいた。


「これ、君の?」

「……うん」


 少年が日向の様に微笑んで、ルゥルゥに髪飾りを差し出した。少年の笑顔が眩しくて、ルゥルゥは頬を染めて髪飾りを受け取ると、お礼を言った。


「アリガト……」

「人魚って、喋るんだ」

「うん……」

「海の中でも声が聞こえるの?」


 やってみて、と、少年が海中に潜る。

 変な子、と、ルゥルゥは思ったが、一緒に潜る。

 海水の中で、少年が期待のまなざしを向けていたので、ルゥルゥはクスリと笑い、水の中で喋った。


『わたし、ルゥルゥ』

 

 少年は、水の中であまりにもハッキリと声が聞こえたので、驚いたみたいだ。

 目を丸くして、プハッと海水から顔を上げた。


「すごーい!」


 目をキラキラさせて、少年がルゥルゥの手を取った。とても温かい手で、ルゥルゥはビックリした。―――人間って、熱いんだわ。


「僕は、セルジュ」

「せるじゅ」

「うん、ルゥルゥはいつもこの浜に来るの?」

「今日初めて来たの」

「そうなんだ。明日も来る?」


 ルゥルゥは少し迷ってから、コクンと小さく頷いた。

 セルジュの顔がパアッと輝いて、満面の笑顔になる。


「じゃあ、僕も明日来るよ!」

「……うん!」


 温かい潮風がひゅうと吹き、海面に光がさざめいて通り過ぎていく。

 ルゥルゥは初めて感じる心臓のくすぐったさに、身をよじって水の上を高く跳ねると海の中へ飛び込んだ。海中の水流が、キラキラ光るリボンの様に身体を包んではクルクル解けてを繰り返し、ルゥルゥを深海へ運んだ。彼女は鱗を虹色に輝かせながら、踊る様に深海へ帰って行った。


 こうしてルゥルゥは、初めて海面に出た日に、初めての恋をしたのだった。



 夢見る瞳で甘い溜息を吐き、ルゥルゥは魔女にうったえた。


「でも、どれだけ仲良くなっても、わたしは海から離れられない……できる事なら人間になって彼と陸で暮らしたいと思っているのに……だから、その人の脚を捨てるくらいならわたしにください!」


 魔女は唇を噛んで顔を歪めていた。馬と浮気され、子供までいるかもしれないと知ったばかりのメンタルに、ルゥルゥの甘酸っぱい話は辛すぎた。ちょっと泣きそうだ。

 魔女は思った。何故私が、こんなに甘酸っぱい恋愛をしている小娘の応援をしてやらねばならないのだ。悔しい、羨ましい。死んでも応援したくない。なんならぶち壊してやりたい。そのセルジュとかいう少年を、たぶらかしてやろうか?

 そこまで悪だくみして、魔女はハタと節操せっそうのない自分の恋人を見た。


―――あれ? けど、ちょっと待って……。コイツの下半身でいいの……?

 

 魔女は、大きな瞳を期待に潤ませる、あどけない人魚を見る。

 純粋そのものな人魚は、人間の男女の下半身の違いを知らない様子だ。

 魔女は思わずニタリと笑い、ルゥルゥに頷いた。


「オッケー」

「本当!? ああ、優しい魔女さん、ありがとう、本当にありがとう!」


 魔女は喜ぶルゥルゥの手前、声を上げて笑い出したくなるのを我慢した。

 いやでも、まずはケンタウロスが生まれてこない事が、一番なのだけれど。と、足元に転がる男を思いきり蹴飛ばした。



 数か月後、魔女はめちゃくちゃ無表情で、男の下半身を持って来た。彼女の後ろを、ケンタウロスの赤ちゃんがよちよちとついて歩いている。まだ幼い顔だが、あの男に激似だ。赤ちゃんながら、「オンナ、オンナダイスキ!!」と喚いている。

 魔女の白目と黒目が反転していた。

 

「マジでヤりやがったわ、あの男」


 魔女はルゥルゥの目の前に、下半身をドサリと捨てる。とても健康そうで、筋肉粒々の立派な下半身だったので、ルゥルゥは歓声を上げてウットリと脚を撫でた。

 それから、ちょっと心配になった。


「あの人を殺してしまったの?」

「大丈夫よ、アイツの下半身は魔法で木にしてやったわ。もう、浮気どころか私の元から逃げる事も出来ない……ククク……クウ……グス……信じらんない……馬って……どうして私がこんな目に……みんな不幸になればいい……」


 魔女はブツブツと呪詛を呟いた後、サッと杖を振るった。

 すると、電光を含んだ真っ黒な靄が沸き立ち、砂浜に投げ出された下半身と、ルゥルゥの魚の下半身にまとわりついた。


「きゃ……」

「純真キャラ呪われろ呪われろ、破滅ーっ!」


 魔女がただの暴言を呪文みたいな感じに叫ぶと、ドロンと黒い靄が霧散むさんした。そこに立っていたのは、男の下半身を持った愛らしい少女。


「うむ、想像以上に酷いわね」

「わああああ……!」


 ルゥルゥは大喜びで、ピョンピョンと飛び跳ねた。


「わ、わ、人間って脚が三本あるんだぁ。この小さいのは、服を着ているからわからなかった!」

「ほらほら、汚いからあまりいじくらないのよ」

「魔女さん、ありがとう。これでセルジュと陸で暮らせるわ!」

「ほほほ、お安い御用よ。あ、これあげる。じゃ、バイバーイ!!」


 魔女はルゥルゥにケンタウロスの赤ちゃんを押し付けて、上機嫌で箒に乗ってどこかへ飛んで行ってしまった。

 ルゥルゥは、感謝を込めて手を振った後、「脚だー!」と歓声を上げて、赤ちゃんケンタウロスと浜辺を駆け回った。

 もうすぐ、セルジュがルゥルゥに会いに来る頃だ。

 

―――セルジュ、喜んでくれるかしら?


 この姿を見たら、セルジュがどんな顔をするだろうかと考えると、楽しみで仕方がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたし人魚!~魔女に人間の下半身(♂)をもらいました~ 梨鳥 ふるり @sihohuuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ