それは些細なことから

私がピアノを始めた頃だ。


きっかけは些細なことだった。

それは街中にある大きなホールのコンサートに姉がつれていってくれたことだった。

パイプオルガンのある大ホールで開かれたピアノのコンサート。

姉も音楽が好きだったことと、家に近いということで留守番の時に行ってきていいと両親に言われた。

そしてそのコンサートで私はピアノと運命的な出会いを果たした。


音とはこんなにも綺麗だったのかと思ったのはここが初めてだった。

たった一人でステージに立ち、堂々と自由に弾くその姿に目を奪われた。


そうして始めた音楽は私をのめり込ませた。

毎日二時間の練習、それが私と姉の距離を広げた。

その寂しさだけはすごく覚えている。

でもその二時間はいつの間にか過ぎている楽しい時間だった。

しかし同時に私は周囲からの期待が高まると共に息苦しさを感じていた。

上手く弾けなくていつも以上に練習した。

上手くいかないとみんなを悲しませてしまう。

そう思って必死で練習した。

ただ失望されたくなかった。

だから上手くいく筈だったんだ。


なのに本番で思わぬミスをした。


努力は裏切ることもできるのだとそのとき私は初めて知った。

その後どう弾いたのかなんて覚えている訳がなかった。

ただ真っ白な頭のなかに響いた音はひどく機械的な音だった。


そうだ。その後だ。


舞台袖で放心状態だった私に風梛かなはこう言った。


「すごく頑張ったね。本当に上手になったよ。すごい」


優しい、けれど少しひきつった笑顔で言った風梛かなに私はただこう思ったのだ。


憎らしい。


なんでそんな笑顔でいられるんだ。

なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないんだ。

なんで私ばっかり、、、。


「なにも知らないくせに」


そう呟いて私は逃げた。

泣きたかった。

けど泣かなかった。

いや、泣けなかった。

辛い辛いとわめきたいだけで涙はでなかった。

悔しい。悔しい。悔しい。辛い。

なんでこんなときに風梛かなはこんなことを言うのだろう。

私は全然上手くない。

上手くなんてないのに。


こんなに惨めになったのはこのとき限りだった。





今思えば変わったのは姉ではなく私だった。

あのときの姉はどんな顔だったのかすらよく覚えていないほど憎んだのはあのときからだった。

それでいいと会話を諦めたのもあのときだった。

より一層音楽にのめり込んだのもきっとあのときからだった。



何て仕打ちだろう。

風梛かなにとってどんなに衝撃的なことだったろう。

自分の行動を今さら悔いた。

もしも、、、。

もしももとに戻れるのなら。


それは私の独りよがりかもしれない。

それでもあの頃に戻れるのなら、、、。




「ーー駅。ーー駅。終点です。お忘れもののないように、、、」

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