故郷の空は今日も晴れている
雨空 凪
夏の終わりの朝に鳴った電話
寝ぼけ眼のまま、ただ手を動かして朝ご飯を食む。美味しいとは思うのだが生憎私は食にあまり興味が無い。だからあまり感動は覚えない。今日の朝ご飯もいつも通りだった。目玉焼きと食パンとサラダとスープ。誰もいない静かな部屋は朝の空気感と妙に合っていて気分が良かった。父も母も家にいなかった。でも、特に不自由ではないとしか感じなかった。それが私にとっての普通だった。寂しいとは思ったことがなかった。
「ごちそうさまでした」
1人の空間に空しく声だけが響く。流し込むように朝ごはんを終えると、窓の近くのピアノの前に座る。リビングに居るよりは楽しげな気分になるからここが私の定位置だ。窓を少し開けて外からの涼しい風を入れる。生暖かい気もするけれど、夏だから仕方ない。そう思いながら窓の外から目をそらす。夏は嫌いだ。
鍵盤に目を落とした。窓から入ってくる風に音を乗せる、そんなイメージで弾くスケールは何てことない音の羅列のようで、それでいて何てことなくない、そんな音になっている気がする。ピアノの上をすべる指を動かしながら楽譜を横目で見る。指馴らしのスケールからようやく離れようと思ったのだが、生憎目の前の楽譜は「エンターテイナー」だった。朝からあんなに楽しげな曲を弾く気分にはなれないし、そもそも弾けるどうかも疑問だ。これが昼だったり夜だったりすれば喜んで弾いただろうに。何か興ざめしたような気になって、
「また夜に会おう」
と一言だけ述べる。夏の朝の涼しい風が部屋を包んでゆく。
夏休みも終盤に近い盆。そんな今日は町に浅い秋が降りていた。これまでの暑さはどこに行ったのか問いたくなるような空気感だ。
そんな物思いに耽っていると不意に私を現実に連れ戻すほどの大きな音で電話が鳴り響いた。正直出る気は起きなかったが私の良心が邪魔をした。
「もしもし」
私は特に声を変えるでもなく適当に言う。私の声に不快感を持つのであれば早々に切ってもらいたい。
「
電話から馴れ馴れしく呼びかける声が聞こえた。鳥肌がたった。感動のではない、憎悪のだ。これじゃあ相手を私の声が不快にさせるのではなく、相手の声に私が不快になっている。
様々な情景がパラパラ漫画のように次々と景色を変えて頭のなかに流れ込んでくるような感覚がした。すべて……思い出したくないと消し去った情景だった。
「……何?……
私はその名前の一つ一つを逃さないように憎悪の念を込めて言った。でも少し警戒を解いた。馴れ馴れしいわけだ。姉だった。
今は単身故郷を離れ、勉学に励んでいる筈の姉だ。名を夏江風梛という。遠くの大学を受けたのは早くこの町から離れたかっただけ、という根暗で郷土愛など微塵もない人物だ。
「あのさ。悪いんだけど私の部屋にあるノート持ってきてくれない? 」
「いいけどあの100冊くらいありそうなの全部を? 」
私は姉の部屋にあるあり得ない数のノートを思い出して嫌だなと思った。声色のなかに刃物を隠して話すように話した。
「いやいや、机の上の手記だけでいいよ。それに100はないよ。今97冊目だから」
何故か得意気に言った姉の言葉は反応するべきなのだろうか。できれば放っておきたい。こんな姉の面白くもない言葉など。
「あぁそう。取りあえず机の上から取って持っていけばいいんでしょ? 」
私は相手に嫌がる顔が伝わるような声色で言ってしまった。まぁ、そういうこともある。
でもこの姉であったらそれでもいいと私は当たり前のように思っている。
「うん。それでいいよ。今日来るよね? 」
「まぁ電車で一本だしね」
どうやったらそんな近くに住む姉に二日がかりでただのノートを渡しに行くのだろうか。もしもそんな人がいるのならそれは姉のことを想っている、心優しくて、温くて、私の嫌いな人達のことなのだろう。
「わかった。ありがとう、じゃあね」
唐突に姉は電話を切った。
私はそんな姉を今日も許さない。
それは当たり前のようで、日常となり果てるとここまで何も感じないのかとすら思う。そうして私は電話をおいた。乱雑に。音楽が存在していたあの部屋を壊した姉の電話をとても不快に思っていた。いや、不快なんて言葉では表せないほどに憎悪を感じていた。なぜここまで姉が嫌いなのかとよく問われる。
でもそんな理由は何てことない。
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