第8話 襲撃 3

 ティツィーリア女学院は六年制である。少女たちは概ね十二歳で入学し、卒業までには十八歳を迎える。


 「課外活動」での戦闘行為には当然年齢制限などというものはなく、学年の枠を超えた無差別級での戦いになる。

 魔法による戦闘は単純な力比べではないため、独創性や知略でどう転ぶかまったく分からないもので、下級生でも上級生に勝つことは珍しくないが、それでも年齢による差を覆しがたい要素というものが主に二つある。


 ひとつは魔力の総量。そしてもうひとつは、体格である。


 在学中の生徒たちの年齢は、どちらの要素も発展途上の成長期。身長によるリーチひとつとっても、十二歳と十八歳の少女を同じ土俵で比べるのは酷なことだろう。


「う……っ。がは……っ!」


 苦悶の声が、白砂のグラウンドに響いた。エリィの腹部に突き込まれた拳は、彼女のものより一回りは大きかった。目に涙が滲み、喉元へ胃液がこみあげる。


 鞭を。炎の鞭で反撃をしなくては。エリィはすぐさま念じるが、どうしても万全な状態での発動よりもゼロコンマ数秒は遅れる。そして接近戦において、その遅れは取り返しがつかない。二発、三発と拳を胴体に叩き込まれる。痛みで意識が途切れ、魔法を使うことができない。


「う、う゛う゛っ」


 吐瀉物が小さな口から糸を引いて地面に落ちた。膝から力が抜ける。すぐにでも腹を押さえてうずくまりたかったが、その場に発生した上昇気流が彼女の身体を無理矢理に支えた。敵の風使いは、肉弾戦における魔法の使い方に熟練していた。


「……まだ……寝ないでちょうだい」

「あッ」


 そうして起こされた少女の背中に、別の拳が叩きこまれた。「砂」「水」「鉄」。これまでに殺さず無力化した襲撃者たちが、体勢を立て直してよろよろと歩いてきていた。なすすべなく囲まれる。


「随分ナメた口きいてくれたわね、一年」

「よくも私の肌にこんな火傷を……!」


 四方八方から打撃を受ける。一撃ごとに意識が明滅する。もはや悲鳴も出ない。かわりに鮮血が散った。ひととおりの洗礼を浴びたところで上昇気流から解放され、エリィの身体は地面に投げ出される。


「殺していいんだっけ?」

「目立つ場所では殺すな、って言われなかった? 暗殺の域を出ると、課外活動としてはグレーだとか」

「……結果として死んじゃった事にすればいいわよ」

「それもそうね」


 朦朧とする意識の中、くすくすと嗤う声が聞こえる。エリィは悔しさに唇を噛む。

 風使いの女生徒はその場に屈み、エリィの顔を覗き込んで言った。


「どう? 命乞いとか、泣きながら謝るとか、まだできそう?」

「…………っ」


 返事のかわりに、エリィは唾を吐いた。血交じりの唾液を相手の頬に付着させられれば最高だったが、残念ながらスカートを汚す程度に留まった。

 とはいえ、無論、相手を怒らせるには十分だった。もはや会話も要らぬとばかりに、無言で頭を踏みつけられた。


「……殺しましょう」

「ええ」


 そして襲撃者の少女たちは、思い思いに攻撃魔法を発動した。砂を固めた球体。先端の尖った水流。高熱にも耐える刀剣。人体をも切断する風の斬撃。

 いずれも人ひとりを殺すには十分すぎる魔法。相手は地に伏して、もはや指先ひとつ満足に動かせない少女一人。


 エリィは遠のく意識の中で、悪態をつき続けた。なぜ自分がこんな木っ端どもに殺されねばならないのか。自分はまだ女王になっていない。生徒会長にもなっていない。


 それどころか。自分を認め、慰めてくれたあの人に、まだ何も返せていない。宣言した約束を果たせていない。


 ――あたしは、まだあいつを、ぶっ殺してない。


 しかし呪詛などというものは実際何の役にも立ちはしない。声にすら出していないこの悪態は、誰の耳にも届かず、何も生むことはない。

 もちろん使役者の魔力と意思が込められた、それぞれの魔法が止まることはない。砂の球体が、尖った水流が、刀剣が、風の斬撃が、そして膨大な量の光の粒子がエリィの身体へと近づいた。


「――待って。これは何!?」


 気づいたのは風使いだけだった。砂のように細かい光の粒。この中にそんな魔法の使い手はいない。中空に突風を発生させ、光の粒子を押し流そうとするが、この粒子は物理的な存在ではないため何ら効果はなかった。そして、


「――エリィ!!」


 叫び声が響くのと同時、粒子がさらに発光し、襲撃者たちの魔法を包み込んですべて消し去った。エリィは閉じかけた瞳で、かろうじて新たな乱入者を見た。彼女はもはや震えるばかりの唇を強いて動かし、その言葉を絞り出した。


「…………メリ……ア」


 駆け付けた一年生、メリアは光の粒子を両足に密集させ、滑るようにグラウンドを移動する。目にもとまらぬ速さで襲撃者たちに接近し、不意をうって唯一無傷の五年生に膝蹴りを叩き込んだ。


「な……っ、アナタは……!」

「死ぬか、すぐに帰るか。選んで」

「答えは『殺す』……よ!」


 風使いは合図し、残りの三人に加勢させようとした。三人も応じて魔法を使おうとした。


 だがその時。四人それぞれの視界を、真っ黒な蝶がひらひらと横切った。蝶は各々の額に止まり、細長い口を少女たちのおでこに突き立てた。


 次の瞬間。ふっと力が抜ける感触を四人は感じた。それが何を意味するのか、彼女らは遅れて気が付いた。


 魔力が。吸われている。


「――その蝶を叩き潰しなさい!!」


 誰かが叫んだが、遅かった。吸い取った魔力をエネルギーとし、蝶はその場で爆発した。人の頭部を吹き飛ばすほどの威力ではないが、脳震盪くらいは余裕で起きる。どさ、どさ、と、次々に襲撃者たちの身体がその場でくずおれた。


 そして二人目の乱入者は彼女らには目もくれず、倒れているエリィのもとへ駆け寄った。


「遅れて……御免なさい。もう大丈夫だから」


 グラウンドで暴れている人間がいれば、多少距離があったところで、遠からず生徒会室には一報が入る。暴れている中の一人が生徒会の構成員であるエリィだったのだからなおさらである。


 報せを聞いて駆けつけた二年生、ユレィヌは、申し訳なさそうに屈み込んで愛しい

「妹」を助け起こした。


「うそ……お姉……様」

「すぐに治癒魔法の使える人間のところへ運ぶわ。安心して」

「う……うう……っ」

「可哀想に。辛いでしょう。もう少し、耐えるのよ」


 エリィはうめき声を漏らす事しかできない。事実、辛かった。混乱のあまり吐き気すら催したほどだった。


 一番見られたくない二人に、見られてしまった。


 日頃「殺す」「殺す」と息巻いて、対抗心を燃やしている相手に、よりによって命を助けられた。

 そして、殺したい相手に命を救われた、という最も無様な光景を、いちばん信頼する「お姉様」に見られてしまった。


 自分は、何なのだ。いったい何をやっているのだ?


 朦朧としていた意識に、精神的な衝撃がとどめとなって、エリィは意識を手放した。涙が幾重にも頬を伝って落ちたが、決してそれは肉体の痛みによるものではなかった。


「エリィ……!」


 一方。手を下すまでもなく襲撃者らが片付いたことを理解したメリアは、エリィを抱き起こすユレィヌに近づこうとした。しかし。


「――止まりなさい」


 ユレィヌは厳しい顔で、それを制止した。


「な、なんで」

「ここは私が預かります」

「……そんな」


 メリアは何か言い返そうとした。とにかく助けたエリィの顔を見て安心したかった。理屈は思いつかなかったが、そうする権利くらいはあると思った。


「エリィ……」

「駄目よ。それ以上近づかないで。私の愛しい妹に、何かするつもり?」

「い、いや、何も……」

「この子はもはや、私の『血』を分けた妹なの。これ以上何かあってはいけないわ」


 メリアはそれで思い出した。この人は、「あの時」旧校舎裏で、エリィの涙を受け止めていた人だ。メリアでは得られない、エリィからの信頼を一身に受けて、エリィを癒し許していた存在だ。


 メリアは心中に、意味不明な対抗心が芽生えるのを感じた。それが何であるのかは自分でも説明ができない。


「あなた『ゴーレム』でしょう? 感情がないとか言われるわりに随分食い下がるのね。エリィからも嫌われてる筈なのに」

「だ、だって」

「なぜこの子に執着するの? 『殺す』とまで言われてるのに。あなたは……この子の、何?」


 その言葉は、メリアの胸を深く刺した。


 自分でも答えが得られていないからだ。そして、目の前のこの相手に、即答できない自分が悔しかった。

 目の前の相手はエリィの「お姉様」。これ以上ない、明確な答えを持っている人物。


「答えがないなら、話は終わりよ。早く治療してあげないと」

「……っ」


 答えられず棒立ちとなったメリアに背を向けて、ユレィヌはエリィを背負って歩き出した。

 手を貸すことすら、メリアには許されなかった。

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異世界女子校バトルロイヤル 渡葉たびびと @tabb_to

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