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誰に受けるべきかということ

最近、考えが一周してきた。

デビュー前、自分は売れ線とか関係なく、好き勝手書く人間だった。せいぜい周りの友達に受ける方法しか知らなかったし、そうしてきた。

しかしデビューを目指すにあたり、そういうワケにはいかなくなってきた。もっと広い世界に目を向ける必要が出てきた。

そこで俺は「主人公は男」「よく懐くヒロイン」みたいな要素を取り入れ、自分としては大手術くらいの変革をした。

結果「暗殺拳~」は広く評価され、受賞に至ったのである。自分らしさは一部捨てる事になったが、必要な事だった(何より、それでも自分らしさは十分に残っていたし)。

あれから三年。

新作で暗殺拳以上の成果を出すべく、俺にはさらなる変革が求められていた。より現代ラノベっぽくしなくては、より広い層に受けることはできない。もっと強い主人公が必要になった。文体も変えた。

ところが、それが、どうも芳しくないのである。納得いかないのである。周りの友人どころか一般のお客さんの評判もほどほどだ。あれー? こんなはずでは?

自分は「自分を変えられる人間」だと思っていた。事実変えられてはいた。そのおかげでデビューできた。プロになれた。俺は器用な人間だ。それは一面の事実ではある。

が、それが全てではなかった。つまり限度というものがあった。俺は「作風を移動できる」作家だが、どうも軸足だけは初期位置に残していたらしい。無理して遠くに足を伸ばすと、関節がパッカーってなるのだ。

で、考えが一周した。

今、俺は「周囲の人にウケなくてもマス受けすればよい」考えから「まず周囲の人間にウケなくてどうする」と考えが変わってきた。一度捨てたものを取り戻そうとしている。

遠くにいる読者ばかりを追ってはならない。目の前を通らずに遠くに行くことはできない。できる天才も中にはいるが、普通の人間のやり方ではない。

つまり、まず、周囲の人間が「渡葉たびびとに求めるもの」をちゃんと書かねばならない。あくまでその上で、それが大衆にも受けるものであればなお良い。

単純に数字の話をしてもいい。俺の作品を最初に読むのは、どうあってもツイッターで繋がってる人々である。彼らにまずウケずして、その先の未来を見るのはどうしても難しくなる。

そして何より「たびびとっぽいもの」がしっかりある作品を書くのは、自分が楽しい。書くのも速くなる。

だから、今度何かに挑戦する時は、ラノベとして王道でなくなったとしても、そういうふうにする必要があるのではないかなあ。

俺も年を取った。そろそろ止揚に辿り着くべきだろう。

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