最終話 そして彼女は動き出す
ペンタール歴七百年。
旧ルチモニア王国街には、知らぬ者などいない有名な孤児院があった。
街を行き交う人々に聞けば、誰もがその孤児院のことをこう呼ぶだろう。
にこやか孤児院、と。
王国街の下半部を占める広大な土地は、すべてムーラン孤児院の土地である。
そんな孤児院の片隅にある要塞のような建物、そこでは二人の老夫婦が平和な時間を過ごしていた。
歳は六十歳ほどだろうか。
彼らは共に、にこやかな優しい笑みで肩を寄せ合いながら庭を眺めていた。
老人の目には、かつての光景が映っていた。
子供達が仲良く遊んでいる光景だ。
「院長様、そろそろ中へ、お体が冷えてはいけませんから」
すっかり大人なったアニーは、もう立派なおばさんである。
今だ独身で、ここでずっとムーラン夫妻を支えていた。
「アニー、ありがとう」
ありがとう、それがムーラン夫婦の口癖になっていた。
もうすっかり孤児院の事は、アニー達に任せっきりである。
「アンジェラ様も、こちらへ」
アニーは優しく微笑む二人に、心が大きく揺らいでしまう。
二人を部屋に戻した後は、各家を周り子供達の見回りをする。
今の彼女の仕事はそれだけであった。
「アニー、ここにいたのか。集会が始まるぞ」
そんな彼女を、こちらもすっかり老けたケインが呼び止めた。
「あぁ、そうね。もう、今日、だったのね......」
アニーは辛そうに顔を伏せた。
アーノルド連合国、旧王国街の孤児院。
その広大な土地の中央には大きな広場が用意されていた。
その広場を見渡せるようにステージがあり、その前の広場を覆いつくすほど人が集まっていた。十代の子供からもう立派な大人まで。
一体どれだけの人数がいるのか、数えるのも無駄だ。
アニーとケインは彼らの先頭に立つようステージの前に並んだ。
「遅かったな、遅刻したらどうなるか、ヒヤヒヤしたぞ」
隣から立派な髭を生やしたアレンが冷やかしてくる。
「院長様の元へ行っていたのよ。そう言えば許してもらえるわ」
慣れたようにアレンの冷やかしを流すと、じっとステージを見つめる。
まだステージ上には誰もいない。
だが、誰一人無駄話をすることもなく、身じろぎ一つせず、ステージへと敬礼を続けている。
ふいに、周囲の空気が一段と重くなった。
呼吸を妨げるような濃密な魔力が広場を覆いつくしていく。
「これより各位に通達する!」
そこにいたのは、三十年前と変わらない姿のレインだった。
いや、違う
そこにいたのは、すでに変わり果ててしまったレインだった。
美しい銀髪には淡く光った黒髪が混じり、玉の肌には魔導回路の青白い光が複雑に交差している。
レインの発する濃密な魔力が時より空間を歪めては稲妻を走らせる。
その姿は、見るものを恐怖へと誘うだろう。
彼女はこちらを舐め回すように見ては、三日月のように口を広げ、ニヤャと笑みを浮かべた。
―完―
愚かなムーランのにこやか孤児院 読むの書く太郎 @Kantarou_123
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