Epilogue

エピローグ

 朝起きると、今日も枕が涙で濡れていた。


 学園祭の最終日に透と別れてから、もう一週間も経ったというのに、今でもそんな日々を繰り返してしまっている。もちろん普通に学校へ通って、芸能活動も続けている。笑えなくなるなんてこともなく、学校でもスタジオでも、あたしはこれまで通り普通に笑えていた。少しだけ変わったとこがあるとすれば、ちょっとだけ大人の笑い方になった気がするんだ。そんなこと透に話したら、絶対に『何だよそれ』って馬鹿にされるだろうけど。


 透はもう出てこない。あの日からずっと。

 それはそうだ。もう死んでしまっているのだから。むしろ今までがおかしかったのだ。とても現実の世界とは言い難く、幽霊があたしの周りをうろちょろしている世界。確かに変だ。

 あたしは今でも時折、お風呂場に入ると身構えてしまう。誰かに見られてる訳ではないのに、大切なところを両手で隠す仕草をしてしまう。そして、やっぱり誰もいないことを確認すると、当然のように安堵し、当然のように落ち込んでしまう。本当に馬鹿みたいだ。こんなことならあたしの水着の写真集でも作ってしまえば、少しは落ち着きを取り戻せるのだろうか。……うん。糸佳先輩にさえ間違えなくその点で負けてるだろうし、そもそもあたしのキャラじゃない。惚れ惚れするようなスタイルの持ち主である春日瑠海だってそんな写真集を作っていないのに、どうしてあたしがそんなことをする必要があるのだろう。


 あたしはこんな間抜けなことを考えながら、最近の毎日を過ごしている。


「茜先輩、おはようございます」

「あ、おはよう」


 チロルハイムの庭先で枯れてしまった彼岸花を眺めていると、まだ寝間着姿のままの少女が声をかけてきた。チロルハイムであたしのことを『茜先輩』などと呼んでくるのは一人しかいない。黒縁眼鏡の後側にどこか大人の雰囲気を隠し持ち、現在絶賛駆け出しの新人声優である奏ちゃんだ。だけど今はまだ眠そうで、目がしょぼしょぼしている。その姿だって、素直じゃないあたしなんかよりずっと可愛かったりするけど。


「彼岸花、枯れてしまいましたね」

「うん。夏が、完全に終わったってことだよね」


 夏……か。今年の夏は本当に長かった。

 透が亡くなり、あたしは透にさよならをした夏。恐らく二度と忘れることもない。


「いっそのことこの場所も、あの学校の中庭みたいに、沢山の彼岸花を咲かせてみたらいかがですか?」


 奏ちゃんはまだ開ききっていない目を右手でこすりながら、そんなことを言ってくる。こんな弱々しい姿を写真に撮られて奏ちゃんのファンに見られたりしたら、そのファンは確実に卒倒するんじゃないかって。


「それはいいよ。この場所は人目も多いし、元々彼岸花は似合わないから」

「そうですか」


 その顔は嬉しそうでもがっかりした様子でもなく、奏ちゃんは淡々とそう答えた。多分だけど、まだ頭が完全に起きていないのかもしれない。


「それに、あたしにとっての彼岸花の役目は……」

「え……?」


 あたしはそう言いかけて、だけど途中でやめてしまった。代わりに少しだけ笑って、もう一度その枯れた彼岸花を見つめてみる。そこに描かれた記憶を思い出しながら、またひと粒の涙が零れ落ちそうになる。だけどひと粒程度だったらと、あたしはぐっと瞳を閉じて、堪えてみせた。


『思うのはあなた一人、また会う日を楽しみに』


 恐らくだけど、あたしは絶対に透のことを忘れることはないだろう。それは一生。なぜなら透はあたしにとっての命の恩人だ。透がいなかったらもうとっくにこの命はなかったはずだって、そのことを想いながらこれからもずっと生きていくだろう。

 だけど……『また会う日』というのは、誰と誰が会う日なのだろう。もう二度と、あたしの前に現れることのない透。そんな彼を待ち続けることなんてことは……。


 もし彼が別の誰かに転生して、その彼と自分が再会することを、あたしと透は本当に望んでいるのだろうか。だって透の時間はもう止まってしまったけど、あたしの時間はまだ動いている。動いてしまっている。その差って、一体何を現しているんだろうって。


 ねぇ、透。運命って、一体なんだと思う……?


「……ううん。なんでもない」


 あたしはもう一度勇気を出して笑ってみる。それをそのまま奏ちゃんに返したんだ。


 暦は十月になり、あたしは芸名を『蓼科茜』から『蓼科朱音』に変更することにした。

 と言っても、自分の本名は『蓼科茜』のまま変わることもないし、芸名の方の読み方だって変わることもない。これまで通り、真奈海先輩には『あかねちゃ〜ん!!』などと虐められ続け、美歌先輩には『あかねちゃん今日は元気?』などと励まされ続けることだろう。それでもあたしは何かを変えたかった。


 『White Magicians』のメンバーとして、アイドル活動も再開している。今は胡桃先輩におんぶにだっこという状況が続いてしまってるけど、ここ最近のうちの事務所の他のアイドルグループを見ていると、どうにもメンバーの人数が三人というのが主流になりつつある。ともすると『White Magicians』にも新メンバーが!?……となっても不思議ではないけど、今のところそのような話は出てきていない。ただしもし誰かが新しく加わるとしたら、間違えなくあたしより年下になる気がする。ともすれば、あたしもアイドルの先輩としてもうちょっと頑張らないといけないんだ。


 心残りなのは十月から始まるドラマで、あたしは一本も役を勝ち取れなかったこと。夏に休業ばかりしてしまった影響は甚大で、女優としてはゼロからの再スタートとなった。だけど本音言うと、今は少しだけ休みたいという気持ちもあったから、ちょうどよかったのかもしれない。また来年一月から始まるドラマの出演を目指せばいい。それまで『ポスト春日瑠海』の称号はひとまずお預け。

 ううん。やっぱりもうそんな名前はまっぴら御免だ。これからは『蓼科朱音』としてやっていくんだから。あんな意地悪な先輩に虐められ続けるのもこれきりにしたいのだから、あたしはあたしで芸能活動を続けていくんだって。


 ……だから、それでいいよね? 透。

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白い彼岸花が咲く頃に幼馴染の女子風呂を覗かれたら 鹿野月美 @shikanotsukimi

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