放課後を探す
ーー自分を失う瞬間に、繋ぎ止めたのはどこまでも自由な時間をふたりで過ごした、あなただった。
忘れ物をしたことに気がついた。何を忘れたのかはぼんやりとして思い出せないけれど、すぐに学校へ取りに行かなければならないと思った。
スマートフォンの画面を点けると、ちょうど親友からメッセージが届いていた。だらだらと続いているどうでもいい話だから、急用の方を優先して伝えることにする。
『やばい、私学校に忘れ物した』
すぐに返信が届く。彼女もスマートフォンを見ているのだろうか。時計を見ると、もう日付が変わっている。カーテンの向こう側から、夜の冷えた空気がどこか寂しさを纏って、私の部屋と心を浸していくようだった。
『本当に!?』
そしてすぐに、
『一緒に取りに行こう!!』
と。
何の算段も無く、私たちは正門の前に集まった。適当に引っ張ってきた野暮ったいダッフルコートを着た私は、静かに白い息を吐き出す。
「さすがに正面突破は無理だと思うんだよね」
そう言った親友は、少し考え込むような素振りを見せる。
「でもさ、裏門から入っても、警報とかなるんじゃない?明日まで待った方が…」
頼りない声が出てしまう。言い出しておいて何だが、まさか今から取りに行くことになるとは思ってもいなかったのだ。心のどこかでは、明日まで待つしかないと、そうわかっていた。
「明日でいいの?」
親友の問いに、答えが詰まる。
「裏門から行ってみようよ!」
私は、張り切って歩き出す彼女に着いていくことにした。
裏門から敷地内に入るのは、思っていたよりも容易かった。門を無理矢理よじ登って恐る恐る降りる最中、意外と警報とかならないんだな、なんて、余計なことを考えていたら、足を滑らしそうになった。
誰もいない中庭、誰もいない下駄箱、だれもいない廊下。
廊下を歩く足音が小さく響く。親友の背中を見つめながら、窓からほんの少しの夜の灯りが照らしている、私の知らない顔をした学校を歩く。
「ちょっと寄り道しようよ」
そんな言葉が自分から出たことに驚いた。親友は振り向いて、少し驚いた表情を浮かべた後、満面の笑みで私の提案を呑んだ。
私たちの教室。誰もいない教室に二人。
雑に磨かれたリノリウムの床を指でなぞる。指先から、どこか寂しさを帯びた冷たさを感じる。
「ここでよく、どうでもいい話をしたよね」
机に腰を掛けた親友が、続ける。
「放課後、◼️◼️部の活動ない日とかさ、ずっと教室で話してたじゃん。宿題しながらさ、◼️◼️先生の話とか…」
「えっ?」
不自然に聞き取れない箇所があり、思わず聞き返した。すると、同時に視界が揺れるのを感じた。頭の痛みと共に、立っているのがつらくなって座り込んでしまう。
次に顔を上げると、教室から出ていく親友の背中が見えた。
「待って!」
痛む頭とぼんやりとした視界の中、私も教室を飛び出した。
渡り廊下に差し掛かったところで、彼女は足を止めた。私も連られて足を止める。
「待ってよ、どこに行くの…」
彼女は私を見て微笑んだ後、窓の外を指差した。
小さな灯りが優しく夜の街を照らしている。遠くに見える建物や、近くの住宅から頼りなく溢れてしまったように。その灯りが、この冷たい冬の夜をそっと暖めるように、この渡り廊下に差し込んでいる。真夜中なのに、まるで夕景の中を泳いでいるような感覚に、私は思わず、
「きれい…」
と、言葉を漏らしていた。私と彼女を纏う小さな灯りは、まるで飛び交う蛍のように、この幻想的なこの夜がどこまでも自由であるかのように、そう思えた。彼女と二人で、今までも何度もこんな景色を見てきたような気がした。
「忘れ物は見つかった?」
彼女は私に問いかける。その真っ直ぐな目を見て、私は全てを思い出した。
「そっか…。私は、あなたのことを…」
意識の戻った私が見たものは、白い天井だった。
いつからだろう。生きていくために生きているようになったのは。何も感じないままで、自分をひとつずつ失う日々の最後に、本当に自ら終わり告げるとは思ってもいなかった。その時のことを思い出すことすらできないほど、私は自然とそれを選んでいたみたいだ。
でも、あなたを思い出した。
自分を失う瞬間に、繋ぎ止めたのはどこまでも自由な時間をふたりで過ごした、あなただった。
体調が回復したあと、最初にスマートフォンに触れたとき、溜まった仕事の連絡など目もくれずに、すぐにあなたにメッセージを送った。いつからか途絶えていた、言葉を。
どうか、届きますように。
そう願うと同時に、すぐに届いた返信があなたらしくて、私は久々に笑ったような気がしたのだ。
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