終着駅の少女
ーーそこが終着駅かどうかは、あなたが決めていいんだよ。
「また手首を隠しているの」
私は驚いて振り向いた。その視線の先には、少女が一人立っていた。
青白い光がこの駅のプラットフォームを包み込んでいる。ここはいつも馬鹿みたいに整備されているのに、駅名標だけはずっと何も書かれていないままだ。そもそもいつだってここには私一人しかいない。
それなのに、どうして?
「ねぇ、そうやってさ。左手が煩わしいよ。大事そうに握っている右手だって、どうせ大したものは持っていないんでしょう」
ずけずけと物を言う少女に、私はどうやら怖じ気づいてしまったようで、零れた声は自然と小さく震えていた。
「なんで……そんなこと言うの……?」
私は必死に彼女を見つめる。睨むように、目を離さないように。そうしないときっと、私は立っていられないような気がした。
「その右手、開けてみなさいよ」
「えっ……?」
気づけば私は彼女から目を逸らしていた。何故なら、その目があまりにも真っ直ぐに私を突き刺すようだったからだ。だから、あの時の決意さえ、私は私を踏みにじってしまったようで、やるせなさに情けなくなった。
次第に、目に涙が溜まっていく生温い青色を感じた。
すると少女は私に近づいて、おもむろに手首を掴み、その手をこじ開けようとした。
「やめて……、やめてよ!」
必死に振り払おうとする私はどうしようもないほど非力で、その右手は容赦なく開かれてしまった。
その手にはくしゃくしゃになった切符が握られていた。しかし、やはりそこには行き先など書かれてはいなかった。ただ、片道切符ということだけは、私も少女もはっきりと理解していた。
「どこに行くの?」
そう、少女は私に問う。変わらない真っ直ぐな目で、どこか悲しそうな目で。
私はもう、涙を堪えることが出来なかった。
「……どこでもいいの。どこか、遠くへ。私でさえ私のことを知らない場所へ行きたいの。私は、私の全部が嫌いなの。人はきっと誰かに許されるだけで生きていけるのかもしれないのに。私には、その誰かすら見つからなかった。だから、私のその誰かに私自身がなってあげられたのなら、私は私を許してあげられたのかな」
そう言って私は蹲った。止まらない嗚咽を浮かべる私をただ見つめるように、その少女はじっと立っていた。
知らない町の、知らない場所にいる夢を、私はずっと見ていた。
「そんなにも、自分のことが嫌いなの?」
諭すようにまた彼女は私に問う。
「うん、もう、きっと消えてなくなりたいくらいなんだ」
私は精一杯の作り笑いを浮かべて顔を上げた。頬に涙が伝う。その瞬間、アナウンスなどなく、少女の後ろの景色から、古びた車両が勢いよくホームへと走り込んでくる姿が目に映った。それはまるで、この世界の光彩や色彩の全てを飲み込んでいくようだった。
先頭車両が私の横を滑り込むように通過した後、次第に減速をしていくそれは私たちの隣に静かに停車した。
車両の扉が開く。その中からは穏やかな温もりと共に、暖かい照明が溢れ出していた。座席には誰もいない。
「ねぇ」
少女は口を開く。
「あなたが本当に自分のことが嫌いなら、そんな自分の事は消してしまえばいいんだよ。あなたはいくらだって自由に生きればいい。本当に自分のことが嫌いなら、そんな自分のことなんて殺してしまえばいいんだ。あなたはいくらだってあなたの望むように歩けばいい。それがどれだけ辛いことでも、もうそんな辛さなんて笑ってしまえるくらい、あなたは頑張ってここまできたのでしょう」
そして、少女は歩き始める。その車両の中へと、少しずつ、確かに歩を進める。
「待って、違う、私は……!」
彼女を止めようとする私の手にはもう、その切符は握られていなかった。少女はずるい笑みを浮かべて、私の探す切符をひらひらと振って見せた。
「この列車に乗るのは、私でいい。あなたはわかっているけれど、きっと優しいから。だから私は自分でこの列車に乗るの」
少女は車両の中へ片足をついて振り返った。
「ここが終着駅かどうかは、あなたが決めていいんだよ」
咄嗟に私は、喉の奥から心を絞り出すように叫んだ。
「待って!!!」
車両の扉が閉まる。
ゆっくりと、それはまた走り始める。
私の横を過ぎ去るその瞬間、少女は頬に一筋の涙を伝わせながら、微笑んだ。
そして駅にはまた、私一人だけが取り残されたように立っていた。
だけど、私はわかっていた。ここはもう先程までの駅とは違う。駅名標にははっきりと文字が浮かび上がり、そして、それはここが終着駅ではないということを明確に表しているのだ。
過ぎ去っていったあの少女を、私は知っている。
さようなら、私の嫌いな私。
私はあなたのお陰で、あなたと生きてきたから、もう少しだけ頑張ってみるよ。
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