第3話 カオス・アンド・クリエーション

     ◆


 ふーん、と隣に座る岡田彩夢が手元の冊子をめくっている。

 場所は池袋の高層ビルにある展示場のようなところで、今はずらっと机が並び、ポスターも無数に掲げられ、大勢の人が行き来していた。

「で、私はなんで出ないの?」

 岡田さんがこちらを見るその瞳は、薄いオレンジ色のレンズの向こうでも、ちょっと刺々しい。

「え? いや、岡田さんは、文章は書かないでしょ?」

「逆説的に、絵が上手い、と言っていると受け取っておくね」

 言葉こそ柔らかいけど、不満げだ。

 この話はもともと的場さんが持ってきたもので、岡田さんが出す同人誌で、どうしてもページが余ってしまうので、短い小説を寄稿してほしい、というとんでもない話だった。

 僕は大学に入学したばかりで、五月も半ばとはいえ、まったく落ち着いていなかった。

 毎日の食事と、ちょっとした掃除、数日おきの洗濯、買い出し。そういう日常の全てがやっと馴染んできたけれど、大学ではあまり友人もおらず、しかしサークルでは原稿を求められ、暇らしい暇もない。

 まぁ、物語を書くことで、自分の寂しさ、孤独を無視しようとしていた節はあるけど。

 なんにせよ、的場さんは僕にいきなり岡田さんを紹介し、彼女に「この人、結構、面白いもの書くから」と言ったのだった。吉祥寺駅のそばの喫茶店で、僕はレアチーズケーキ、的場さんはバナナパフェ、岡田さんはプリン・ア・ラ・モードを食べていた。

 僕はその喫茶店に入るまで、的場さんに事情を秘密にされていて、話題が原稿の寄稿になる寸前までは、岡田さんはなかなか可愛い、的場さんに負けず劣らず、しかしこの場の会計は僕が持つのか、それが礼儀か、しかし見栄を張っていると思われるかも、などとつらつら考えていた。

 だからこそ、寄稿の話は意外な上に意外で、危うく小さなフォークを取り落としそうになった。手からこぼれかけたフォークの先が、お皿の上に当たって甲高い音が鳴った。

「よろしくお願いします。本当に短くていいですし、編集はこっちでしますから」

 そんな風に岡田さんに笑われると、参ったなぁ、としか言えなかった。表情はまんざらでもない、と見えただろう。それもそうだ、実際、まんざらでもない。

 岡田さんはその場でかばんから冊子を二冊取り出し、「私の本です」と言った。薄い本だが、年齢制限があるような卑猥なものではなく、意外に本格的な画集のような内容の同人誌だった。

 パラパラとめくっている僕の横で、的場さんと岡田さんの間で話は進み、結果、僕は原稿用紙で十枚程度の小説を書くと決まり、しかし内容に関しては自由とされた。

 こういう時、自由とされると、ちょっと決断に迷うことになる。

 あまり自由にやりすぎると、変な目で見られる。かといって僕としては、あまり適当なものを書きたくもない。岡田さんの本に載る以上、岡田さんには気に入られたい、という思いもある。

 そんな具合で、数日の熟考の後、夢小説にしたのだけど、書きあがったのは岡田さんから指定されたその日だった。

 メールに添付して送ると、なかなか返事がこないので、気を揉んだ。

 日付が変わること、岡田さんからメールが来て「受け取りました。忙しいので、また連絡します」ということだった。

 後になってわかったことだけど、岡田さんはこの日、必死に絵を仕上げていて、つまり締め切りギリギリだったのだ。

 その兼ね合いで、僕の原稿はほとんど誰も見ないまま、同人誌の末尾に「友情寄稿」というような感じで掲載された。友情寄稿、という言葉があるのかと思ってネット検索したけど、大した情報はヒットしなかった。岡田さんの造語らしい。

 それから時は流れ、同人誌即売会で僕は売り子として召集され、早朝からブースを整え、開場を迎え、岡田さんのファンが次々と新刊を買っていくのに応対した。

 不思議だったのは、僕の隣に岡田さんがいるのに、その岡田さんにお客さんが「岡田さんはいないんですか?」と質問するのに、「今日は忙しくて、代理です」と答えていることだ。

 やっとお客さんの勢いも緩くなり、会場全体も弛緩した雰囲気になったところで、やっと僕は岡田さんにそのことを訊ねることができた。

「あまり顔出ししなくて。私、絵で勝負したいから」

 そういう発想もあるのか。でも岡田さんは充分に可愛いし、それこそアイドルになれそうな気もするけど。

「的場さんのこと、好きなんですか?」

 僕が目の前を行き交う八割男性、二割女性を見ているところで、いきなり隣に座る岡田さんが言った。

 そちらを振り向く動きが、だいぶぎこちなくなってしまった。

「いや」

 強張った声がそう口から漏れるけど、岡田さんの表情を見ることはできなかった。顔こそ岡田さんの方を見ているけど、視線は彼女の横を抜け、隣のブースの痩せた男性に焦点が合っていた。

「どうだろう」

 何も言われていないのに、そう言葉が続いた。

 はっきりしてくださいよぉ、と岡田さんが笑うのも声は聞こえても、顔は見えない。

 なんでこんな話になっているんだ?

「的場さんが、何か?」

 ガチガチの声でそう言ったのは、ほとんど反射行動で、意味はなかった。

 ただ、岡田さんには意味があったようだ。

「的場さんのこと、好きだから、こういうのを書いたんじゃないですか?」

「いや、いやいやいや、何もない」

「本当に? じゃあ……」

 急に岡田さんがこちらに顔を寄せたので、焦点が自然とそちらにあった。

 上目遣いで、少し下がった色付きレンズの上から、彼女の視線がまっすぐに僕を見た。

「私とちょっと、付き合いませんか」

 ……なんだって?

 僕が絶句して彼女を見ていると、ふわっと岡田さんが笑った。

「冗談ですよ。でもまた、こうやって即売会に付き合ってくださいね」

 椅子に座り直し、岡田さんが眼を細める。

「嫌ですか?」

 僕は無言で首を横に振った。何度も、繰り返す。

 良かったです、と笑う岡田さんは、はっきり言って、惚れ惚れするほど可愛らしかった。



(続く)

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