第2話 太陽

     ◆


 ふーん、と言ったのは的場華鈴という美少女で、僕と同じ学年だけど、年齢は一つ上だ。

 ふーん、ともう一回、言葉が漏れるが、普段の元気いっぱい、太陽みたいな雰囲気とは全く違う、冷ややかな空気が発散されていた。

 じとっとこちらを見る目も、やっぱり普段とはちょっと違う。

「悪かったかな」

 こちらからそう声を向けてみると、まず、と言いながら、机の上にあるプリントアウトした原稿を、コツコツと指で叩く。

「チャンチャンがヒロインなのはいい。でもなんで私、名字だけなの?」

「まあ、これは夢小説なわけで」

 言い訳するつもりもないけど、どこからどう見ても言い訳だった。言い訳だったけど、言わないわけにはいかない。

「一応、僕とチャンチャンの物語であって、的場さんは、その、脇役ですから」

「枠役ですから? ですから、名字だけ、しかもカタカナでよろしい、という発想ってこと?」

「ぐうの音も出ません」

 降参のつもりでそう言葉にした僕を、まだ的場さんは睨みつけていたけど、ため息でどうにか許してくれた。

「私に関してのエピソードは、何かないわけ? 埼玉、という極端に断片的で、悪意のあるプロフィール以外には?」

 ちょっと考える。

「家が動物園、とか?」

「それも偏見でしょ。別にいいじゃん、ちょっと家族が多くても」

 各種動物のことをペットと呼ばず、家族と呼ぶあたりにこの女の子の優しさが出ているけれど、しかし実際を知れば、どうしても的場動物園とからかいたくなるものだ。

 うーん、と僕は腕組みをして、思い出したことで自分で笑ってしまった。

「スポドリ飯、とか?」

 これには的場さんもさすがに気分を害したようで、ちょっと目元に怒りが滲んだ。珍しいことに。

「あれはお母さんが間違えただけで、まるで私が意図的にスポーツドリンクで白米を炊いた、とでもいうように表現するのは、意図的な事実誤認を招いているんじゃない?」

 ごもっとも。

 しばらく的場さんと話をして、次には的場華鈴には相応の出番と、相応の役割を与える、ということになったけど、この小説においての実際的な構築は僕の役割なので、確約はできない、ともなった。

 こんな美少女を放っておくとは、と的場さんはぼやいたけど、とにかく、僕としても小説を書いているのはほとんど気まぐれで、投げ出さないのは、まさにこうして原稿として提出する必要があるからだ。

 僕は大学に入って、バラ色のキャンパスライフ、などというものを望んでいなかったので、まったく平凡に、まるで日の当たらないところで大学生活を送っていた。

 的場華鈴という女子学生がやってきたのは、おおよそ小説の通りで、実際に老齢の大学教授が、何を思っているのか知らないけど、司馬遼太郎か何かに関するテレビ番組のDVDを流すだけの講義があって、そこで知り合った。

 講義が終わって筆記用具を片付けているところに、中国か韓国からの留学生が声をかけてきたのだけど、その留学生があまりにも日本語に拙く、僕が曖昧に答えることでどうにかやり過ごしたところで、今度は的場さんが声をかけてきたのだ。

 留学生をからかうようなことはしなかったから、的場さんにとって留学生は単純に呼び水のようなものだったらしい。

 僕からすれば、留学生には申し訳ない思いと同時に感謝、ということだ。

 的場さんは一方的に話をしたけど、彼女はとにかく声が大きい。そして身振りが激しい。

 きっと彼女が話したことの半分以上は、教室にまだ残っていた学生の耳にも自然と届いただろう。

 話の中でサークルの話になり、的場さんは「小説を書くサークルの一人なんだよね、こう見えて!」と胸を張った。

 小説? 僕が無意識に眉をひそめると、そうそう! と彼女は笑ったのだった。

「本当はもっと別のちゃんとした大学の文学部に入って、文章を勉強するはずが、一年浪人生をやって、親からは二年目はない、とはっきり言われたから、この大学に入っただけ!」

 ……そんなに楽しそうに、元気に口にする内容でもないような。

 そんな感想の僕をなんだかんだでそのサークルに招き入れるのだから、的場さんにはある種のカリスマ性はあるのだろう。

 そういう点では、僕は夢小説の中で的場さんのことをだいぶ曲解して書いたことになる。

 最終的な結論を言えば、僕は小説を書くサークル、文芸なんとか、みたいなありきたりの名前、それっぽい名前のサークルに的場さんに引きずられる形で入会した。

 そのサークルでは週に二回、メンバーの誰かしらが書いた小説を批評しあう。その時には印刷したものをまとめた冊子を使うので、年に四回ほど、総出で冊子を作ることもする。

 懐かしき時代で、まだタブレットなどはないし、こういう同人誌もどきの冊子を作るのは、面倒だったけど、面白くもあった。

 その冊子に原稿を載せる前に、まずサークルのメンバーから一人、編集と呼ばれるメンバーが割り振られ、書いた小説の表記揺れや誤植、明らかに間違った表現などを訂正するのだけど、今、僕と的場さんがやっているのがその作者と編集の打ち合わせだった。

 大学はとにかく建物がいくつもあるので、教室は余っている。適当な部屋で、僕は的場さんと二人きりで、原稿にああでもないこうでもないと、朱を入れているのである。

 的場さんの声が大きいので、部屋ががらんとしているのが余計に強調されているようだ。

「しかし清水理子をメインヒロインにするの、だいぶ無理があるんじゃない?」

 最後に到達してから、的場さんが顔をしかめる。

「いや、清水理子は、比較的、悪くないヴィジュアルだと思うけど」

「例えば私とかはヒロインにならないわけ?」

 思いがけない言葉に、僕はちょっと言葉を失った。

 この夢小説において、清水理子は僕と恋仲になるはずだが、的場さんはその清水理子のポジションに自分を入れろ、というのだろうか?

 つまり、僕と恋仲になりたいと?

 じっと目の前に座る的場さんを見ると、その視線に気づいて、さっと視線を外す。

 その横顔、頬のあたりが紅潮しているのは、見間違いだろうか。

 僕はその横顔を見たせいか、恥ずかしくなって、やっぱり視線を外した。

 二人の視線の先、窓の外には、ただ隣の校舎の壁が見えるだけなのに、二人ともがなかなか動こうとしなかった。



(続く)

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