第5話 電光石火、夏花火。

     ◆


 これが小説? と眉間にしわを寄せる清水理子を前にして、「形としては」と僕は答えた。

 大学の講義室の一つで、僕は階段教室の一角で、清水理子と並んで腰掛けているのだった。

 彼女の手元には例の同人誌があり、清水理子はそれを何かを確認するようにパラパラと開き、巻末の僕の寄稿文のところでページを繰るのを止める。

「彩夢ちゃんは何も言わないわけ?」

「誰も何も言わないね」

「愛梨ちゃんも?」

「あの子は小説を読まないし、アマチュアの文章なんて、尚更、読まないと思うけど」

 なるほど、と清水理子が頷く。真剣な頷きからで可笑しかった。

「で、私はいつ、登場するわけ?」

「え?」思わぬ反応だった。「登場したいの?」

 だって、とページが元に戻っていき、寄稿文の最初で止まる。

「清水理子はアイドル、なんでしょ? 登場して当然じゃない?」

 僕としてはチャンチャンとのいい具合の内容にしたいのだけど、それは後からの方針転換の結果だった。

 最初こそ、清水理子を僕が恋する相手にしたかったけれど、書き進める中で、まだ出番がやってこない。こうなってくると、後で原稿を直す時、冒頭を書き換えて、つまりは清水理子の名前は消されるということになると思う。

 そう正直に教えたいところだけど、清水理子という女の子は、豪放な雰囲気を見せながら、意外に繊細である。泣き出しはしないだろうが、落ち込むだろう。

 では、どう言い訳すればいいか。

「今回は、その、リコピンの出番はないかな」

 わざとあだ名で呼んでみたが、清水理子はじっとこちらを見据えていて、睨みつけているようで、どこか瞳がうるうるしているようにも見えた。

 僕はすぐに次の言葉を口にした。

「もう一本、ちゃんとした新しい、清水理子と僕の間の物語を作るよ」

「本当? 本当に?」

 疑われている。本当、本当と頷いておく。

 サークルではひたすら小説を書いていて、本来的に僕としては公募に挑戦したいところだけど、数ヶ月に一度、原稿用紙五十枚分の話を書いて、直して、打ち合わせして、などとしていると、はっきり言って、時間はない。

 公募は少なくとも原稿用紙で三百枚は必要で、書いているうちに途中で書きたいものが変わったり、何か計画に齟齬があるのに気付いたり、そもそも登場人物がしっくりこなくなったりして、つまり、前に進まなくなる。

 どこかでまとまった時間で、どっと三百枚、まとめて書くしかないかな、と思っているのが、現状だった。

 季節は梅雨になろうとしていて、さすがに僕も大学生活にも慣れたし、一人暮らしも順調に回っている。

「じゃ、書いたらすぐに見せてね」

 ポンと清水理子が僕の目に同人誌を置く。

「それにしても暑いよねぇ」

 いきなりそう言われて、まじまじと彼女を見てしまった。

 僕の地元は涼しい地方だけど、まだ東京の暑さをそれほど実感していなかった。

 あまり故郷の話をすることもなかったけど、清水理子はどことなく南国風な気配だ。顔の作り、髪型、服装はいかにも東京の女の子なんだけど、何がそう見せるかといえば、肌が黒いからだろう。

「南の出身じゃないの?」

 一応、言葉を選んで確認したけど、その一言でムッとし顔に清水理子が表情を変える。

「別に、どこでもいいじゃん」

「九州とか?」

 こういうのを、怖いもの見たさ、っていうのかな。

 ちょっと踏み込むと、今度は一転、清水理子の視線が僕から外される。

「和歌山だけど、悪い……?」

 和歌山か。南のような、そうでもないような。

「健康的でいいと思うけど」

 取り繕うつもりの言葉だったけど、引き金を引いたようなものだったらしい。

 向き直った清水理子の手がさっと伸びて僕の頬を握ると、ぐいぐいと力を込めて潰してくる。

「別に日焼けしたくてしているわけじゃないわよ。なんでか焼けちゃうんだから、仕方ないでしょ」

「うん、まあ、仕方ないね」

「そういうふざけ方をして!」

 ぐっと頬を握りつぶしたままの手で押されたので、僕は椅子の上から転げ落ちる。乱暴だなぁ。僕も言い過ぎたし、自業自得か。

 起き上がって座り直す僕を、清水理子は鋭い視線を向けてくる。

「それで、私とどういう感じになるように描くわけ?」

 おっと、話を元に戻す、ということは、僕のからかいは許してくれたのか。

「うーん、恋愛って縛りになりそうだけど」

 不潔ぅ、と清水理子が言ったところで、講義担当の講師がやってきた。大学ではどういうわけか、チャイムと同時に講義を開始できるようにやってくる講師と、十分以上、遅れてくる講師がいる。この講義の講師は、遅れてくるのが常だ。

 講義が始まり、八十分ほど僕はそちらに集中していた。

 講義が終わり、学生たちがめいめいに席を立つ中で、僕も筆記用具をカバンに入れて、立ち上がろうとした。

「これから何か、用事、ある?」

 いきなりそう清水理子に言われて、僕は「じゃあ、また」と言おうとした瞬間だったので、ぐっと言葉を飲み込み、目の前の女の子を見た。

 やっぱり日に焼けているなぁ、と思いながら、「何もないけど」と答える。

「何もないって?」

「帰って、夕飯を作って、あとは自由ってこと」

「じゃあ、部屋、行ってもいい?」

 まじまじと目の前にいる女の子を見るけれど、彼女の頬が少し赤いのは、見間違いか、それとも光の加減か。

 黙っていると、ちょっとは情報がいるでしょ? と清水理子は座ったまま僕を見上げている。

「情報」

「そう、清水理子を描くための、情報」

 かもしれないね、と答えると、清水理子は席から立って、さっと僕の手を掴んだ。

「じゃ、決まりね。きちんと私に即したヒロイン、魅力的な私そのもののヒロインを書いてもらわなくちゃ」

 ……冗談にならない冗談だな。

 僕にとって清水理子は現実の世界ではとびきりの美少女で、憧れの対象なのだ。

 テレビや雑誌の向こうのアイドルとは違う、ただの女の子として。

 廊下を歩いて、階段を下りる間も清水理子は僕の手を取っていた。

 外へ出ると、空には雲が低く垂れ込め、今にも雨が降りそうだった。

 足を止めた清水理子は視線で、「案内して」と訴えてくる。

 僕は覚悟を決めて彼女の手を引くようにして、歩き出した。

 やれやれ。どうなることやら。



(続く)

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