第6話 無敵のセブンティーン

      ◆


 なんでそうなるわけ? と愛梨ちゃんがこちらを横目で見る。

 場所は大学にほど近い喫茶店で、僕は返答に窮してズズズとコーヒーを啜りながら、さりげなく外を見ているふりをした。

「シミちゃんはもっと陽キャだと思うけど」

 陽キャ。実に現代らしい言葉だ。陰キャっていう言葉なんて、十年前はなかったのに、あっという間に言葉は進化していく。

「聞こえてますか?」

 うん、まあ、と言いながら向き直ると、愛梨ちゃんは真面目な顔でアップルパイを切り分けている。夏でもアップルパイがあるというのも、実に現代的だ。

 真剣な表情のまま、上目遣いで短く、黒い瞳がこちらを見る。

「聞こえてますか?」

 こういうときの愛梨ちゃんは結構、怖い。美少女中の美少女だから、余計に凄みがある。

「陽キャだとは思うけど、あまり陽キャすぎると僕と釣り合わないよ」

「それはつまり、私が陰キャだって言いたいんですか?」

 前に僕が書いた夢小説のことを言っているのだ。

「愛梨ちゃんは陽キャだと思うよ。完全なる陽キャ」

「それは勘違いですよ」

 アップルパイがザクッと割れる。パイ生地の欠片が危うく皿から飛び出しそうになった。

 なんとも、怖い。

 ただ当の愛梨ちゃんは嬉しそうにアップルパイを口に運んでいる。表情が美味しさからか、ちょっと蕩けるようになる。

 ここのアップルパイは学生の間で有名で、値段もそれほど高くないし、女の子の機嫌を直すにはいいかもしれない。

「遅いですね、何かあったんでしょうかね」

 しばらくアップルパイに熱中していた愛梨ちゃんが窓の外を見る。

 まだ梅雨明けしたとは言われていないけど、ここ二日はギラギラと太陽が照りつけていて、さすがにもう夏になりつつある。喫茶店の中は湿度も低く、室温は心地いい温度で保たれている。

 僕と愛梨ちゃんが喫茶店でテーブルを挟んでいるのも、チャンチャンが的場さんに会いに行っているからだった。チャンチャンはどうもいろんな人からいろいろなものを借りる傾向があるらしく、返さない、ということはないけど、常に返却に追われているようなイメージがある。

 かれこれ二十分も二人きりで、さて、チャンチャンはいつ戻って来るのか。

「私、これでも受験生ですよ」

 最後のアップルパイの一切れを飲み込んだ愛梨ちゃんが、アイスミルクティーのストローでグラスの中をかき混ぜながら言う。ちょっと不満げな口調だった。

「勉強しないとね」

 なんとなく、年上の義務感のような感じでそう言うと、愛梨ちゃんの目元が険しくなる。

「そういうお説教、好きじゃありませんよ」

「あ、ごめん。つい」

 それから僕は愛梨ちゃんにどういう勉強をしたのか質問されたけど、推薦入試で大学に入ったからたいして勉強をしなかった、と言うと、呆れられてしまった。

「勉強しないでもいい、ってことじゃないすか」

「そうとも言えるね」

 あーあ、などと言って愛梨ちゃんがソファに背中をもたれさせる。

「もう勉強なんて放り出して、どこかに行っちゃいたいですよ」

 思わず僕が苦笑してしまうのは、いかにも高校生らしい、ありそうな発言だったからだ。

 僕も十七歳、十八歳の頃は、全部を投げ出したいと思ったものだ。田舎の中の田舎の高校で、ただ勉強して、友達と笑いあって、でも結局、目標も目的も曖昧で、世界は永遠でもないと感じていた。

 その自分の身の回りに満ちているものとは違う、まったく新しいものがどこか別の場所にはあるのでは、と思ったものだ。

「じゃあ、どこか、遊びに行こうか」

 何気なくそういうと、カッと愛梨ちゃんの目が見開いた。

「どこかって、どこですか」

 思わぬ反応だった。不純ですよ、とか、気持ち悪いです、とか、そんな反応を期待していたのだ。別に被虐的な気持ちじゃなくて、愛梨ちゃんってそういう今時っぽい、女子高生のイメージだったのだけど。

「うーん、まぁ、どこでも」

 なかなか答えるのが難しい。

 ただ愛梨ちゃんは嬉しそうに笑って「約束ですよ」と言って、次にはアップルパイを前にした時よりも真剣な顔になった。

「二人きりですよ」

「二人きり?」

「他には誰も割り込ませない、ってことです。二人きりで、どこか、行っちゃいましょう」

 うん、いいよ、と頷き返したのは、勢いに押されたところもあるけど、ちょっとだけ僕としても、真面目に答えた部分がある。

 不純かもしれないし、ちょっと犯罪臭もするけど、別に日帰りで出かけるくらい、何も問題あるまい。

 楽しみだなぁ、と言ってから愛梨ちゃんはストローをくわえて、ミルクティーを吸い上げながら目を細めている。

 さて、どこへ行くべきか。

 僕は手元でコーヒーの真っ黒い水面を眺めて、思案した。

 夏はすぐそこだ。

 忘れられない夏になりそうだった。



(続く)

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