第3話 笑える手紙
危険物品管理局管理庫管理長ピーマス・ウェルティムに告ぐ。
添付書類には目を通してはならない。
以下、件の狂人宅から発見した手記の写しを掲載しておく。
手記原本は隣国の言語で書かれていた。
写しは手記内容を本国の言語に翻訳したものである。
本手記写しを以て当該書類の危険性を理解されたし。
以上
*
この国に来てからまだ二カ月しか経っていない。ハッキリ言って馴染めない。
商法の勉強のために父から送り出されたのだが、言葉が違うだけでこれほど勉強が難儀するとは思わなかった。使っている用語や概念は同じだから多少言語が違っても問題はない……そう思ったのが甘かった。
大学での勉強は苦痛だ。言葉が分からない上に大量の課題。当然こなせない。それに言葉は分からなくても怒られていることは分かる。僕は毎日怒られている。
この日記を書いているのも辛くなってきた。でも毎日書こうと思う。母さんが言っていた。日記には心を癒す力がある。
・
その日はむしゃくしゃして酒場に行った。言葉は分からなくても身振り手振りで何を飲みたいかは伝わる。食事は思っていたのと違うものが出てきたから文句を言った。高額な食べ物だったら困るからだ。
テラスにあった樽をテーブル代わりにして陣取り、料理をつまみながら酒を飲んだ。僕の隣で、同じく樽をテーブル代わりにして飲んでいた連中が馬鹿笑いしていた。僕は何だか無性に腹がった。僕の気も知らないで笑い転げているこいつらの、顔面にきついパンチをお見舞いしたくなった。
酒場に来ても気分が晴れなかった。むしろ鬱屈としてしまう。部屋に帰ろう。そう思って立ち去ろうとした時だった。
人が走ってきた。僕はテラスにいて、雑踏と店内の喧騒とのちょうど中間地点にいたから誰も気に留めなかったが、僕は気づけた。その人は間違いなく何かから逃げていた。僕が様子を静観していると、男は僕が陣取っていた樽の陰に身を潜めた。すぐさま、数名の男が走ってくる。
「こっちに逃げてくる奴いなかったか?」
僕の僅かな言語知識でも、男たちがそう訊ねてきているのは分かった。僕は答えた。
「アッチ」
片言になってしまったのが恥ずかしい。しかし男たちは礼も言わずにもの凄い勢いで駆け出していった。後には僕と、樽の陰に隠れた男とが残された。
「よう」
男が立ち上がった。立派な口髭を蓄えている、頭に奇妙なバンダナを巻いている男だった。
「危なく殺されるところだった。助かったよ」
男が僕の国の言葉を使っていることに驚いた。僕がおどおどしていると、男がにやりと笑って口髭を撫でた。
「この髭。いいだろ。羨ましくないか?」
「どういう意味だ?」
しかし僕の問いに男は笑って応えた。
「どういう意味だと思う?」
男は僕の肩を馴れ馴れしく抱くと、じろりと自らの指にはめた指輪を見た。それから何か分かったかのようにまたいやらしく笑うと、懐から一枚の紙切れを取り出してきた。
「言葉に困ってる。だろう、兄弟?」
取り出した紙切れを僕の胸に押し付けてくる。男は僕の肩を抱いたまま、僕に囁く。
「今度、お前の言葉を馬鹿にしてきた奴がいたら、この手紙を見せてやれ。な?」
男はまるで悪いことを企んでいるかのように笑った。小さくウィンクする。
「じゃあな兄弟。人生を楽しめ。笑って過ごせよ」
それから男は去ってしまった。
後にはぽかんとする僕と、例の手紙とが残されていた。
・
手紙はこの国の言語で書かれていた。
文語体の難しい表現だったので、正確な意味は一切分からなかった。何となく訳してみると、「レモンの皮と中身が入れ替わってる」「眉毛と髭がくっついた」というようなことが書かれているみたいだが意味は全く分からない。多分古い言い回しや、熟語的なものが使われているのだろう。
しかしこの手紙に書かれていることが気になった。
「お前の言葉を馬鹿にしてきた奴がいたらこの手紙を見せてやれ」
あの男はそう言っていた。しかし何が書かれているかも分からない手紙を見せたところでどうなると言うのだろう。
悩んでいると声をかけられた。たまに僕のことを心配してくれる大学の友達だ。彼は僕の課題を手伝ってくれたり、僕には分かりにくい言葉を翻訳してくれたりする。
僕は手紙のことを、拙いこの国の言葉で話した。友達は頷くと僕に手紙を見せるよう促した。手渡すと、彼はゆっくりと手紙を読んだ。
変化は徐々に訪れた。
湯が沸き上がるように表情が崩れていく。
突如、パッと表情が綻んだ。
全てが破壊されたのはその瞬間だ。
友人が笑い転げ始めたのである。
それは明らかに異常事態だった。こんなに笑うか、というくらい笑っていた。笑い過ぎて喉が枯れ、表情は崩壊し地面に頭を打ち付けそうだった。
人が集まる。僕は慌てて友人の手から手紙をかっさらった。
様子がおかしいことは周辺の人間から見ても明らかだった。友人は周りの人に助けられて医務室へと運ばれていった。後には僕が一人だけ残された。
「笑って過ごせよ」
あのバンダナの男のことを思い出す。僕は手紙を見た。
「寝言恐怖症」
「陶器のピザ」
「セノマッタ大佐」
そんな単語たちを見つけた。この手紙は何と書かれているのだろう。全く分からない。ただ友人はこれを読んで笑い転げた。どうしたのだろう。何がおかしいのだろう。
・
「きみは、こんな、かんたんな、ことばも、りかい、できないの、かね?」
僕のためにぶつ切りにした文章を吐き出しながら、指導担当教授が僕のレポートを叩く。これまでは言葉を誤魔化しながらテストだけクリアしてきたのだが、さすがに専門知識を研究室で学び、レポートを書くとなると言葉の壁は大きすぎる。
「まずは、ことばの、べんきょうを、しなさい!」
言葉。
言葉の勉強。
「今度、お前の言葉を馬鹿にしてきた奴がいたら、この手紙を見せてやれ」
「アノ、コノ、ブンショ、デ、コトバ、ヲ、マナンデ、イルノ、デスガ」
片言でそう告げて、例の手紙を見せる。教授は難しい顔をして手紙を覗き込んだ。
ゆっくりと読んでいた。嚙みしめるように、味わうように。
だが手紙のある部分を目にした途端、急に顔つきが変わった。それはひどく滑稽なものを見た時のような顔で、捉えようによっては何かを見下しているようでも、逆に尊敬しているようでもあった。
とにかく教授は笑い出した。堪えてはいる。だが顔のダムは耐えられそうにない。
「ドウ、シタノ、デスカ、センセイ」
教授は口元を押さえている。しかし笑い声が止まらない。
「ナニガ、カカレテ、イルノ、デスカ」
「きみ……きみ……これは……」
言葉にならない。
やがて教授は咳き込み始めた。ひどく、発作のように。
そしてついに笑い出した。大声を上げて。吠えるように。ひっくり返りながら。
僕は怖くなった。脳裏に浮かんだのはこの前の友人だ。
医務室に運び込まれるほど笑い転げた友人。
僕は怖くなって、手紙をかっさらうとそのまま研究室を抜け出して、自分の部屋に帰った。机に荷物の一切と、あの手紙を放り出す。
少しの躊躇いの後、やはり手紙を手にする。
「自慰の筒抜け体験」
「小動物選手」
「ブウェルト環状器官炎症」
そういう単語を拾うことはできるのだが、それぞれがどういう意味を示すのか全く分からない。
……指導担当教授は壊れた。あれが友人を襲ったのと同じ症状ならしばらくは笑い転げているだろう。おそらく何もできない。僕はしばらく、大学に行っても学ぶことがないだろう。
辞書を開いた。この国の言葉の辞書だ。一ページずつ開いて、それぞれの単語や、実例文などを読んで勉強していく。
僕は部屋から出なかった。この手紙を読めるようになるまで……実際大した文量じゃなかったし……一歩も動かないと心に誓った。そうして毎日を過ごした。ある程度、言葉や言い回しに自信が持てるようになると、今度は部屋を出て新聞を買い、読めるかどうか確かめた。おおよその意味はつかめるようになったので、例の手紙を、読むことにした。
それでも僕は疲れていた。今日はもう寝ることにする。明日、朝一番で、手紙を読んでみよう。
*
件の隣国出身の狂人の手には問題文書(添付書類)が握られていた。内容を確認した警官数名が発狂し、当局の出動する次第となった。当局員も二名、発狂している。すなわち笑い転げたまま正気に戻らない。
決して添付文書の中身を見ることのないよう。何をどう間違えても、この笑える手紙を読まないように。
以上
知られざる大航海の記録 飯田太朗 @taroIda
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。知られざる大航海の記録の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます