第六集 成の皇帝
全ての発端は、北方における
そんな氐族にあって、漢人への反乱に加わらず、また仇池のように自分たちだけで閉じこもる事も選ばず、流民たちと共に南方へ旅をする事を選択した者たちがいた。それが武勇に優れた
そうして山を越えて彼らが流れ着いた蜀の地は、緑豊かな肥沃な土地であった。
「
李兄弟のひとり、
さて、その頃の蜀を治めていたのが、
李庠は趙廞に気に入られるように雑務をこなしながら、何とか流民たちの受け入れを認めてもらおうと尽力したのだが、その頃の趙廞は晋朝の中央で起こっていた
まさに都では、皇帝である
益州刺史の趙廞は、まさにその賈南風の後ろ盾で出世した人物であり、このままでは自分も誅殺されると焦って、益州の地で独立を謀ったのである。その際に彼は、自分の派閥の者を囲い込んで、それ以外の者を適当な理由で粛清するという事を行ったのだが、それに巻き込まれたのが李庠である。
いわれなき理由で兄弟を殺された李兄弟は勿論、彼らを慕っていた流民たちからも怒りの声が上がる。独立の準備とばかりに粛清に明け暮れていた趙廞は軍備や指揮系統も整っておらず、突然起こった流民たちの蜂起に対応できぬまま一気に攻め滅ぼされる事となった。
彼ら李兄弟としては、あくまでも弟の仇を討っただけなのであるが、朝廷からは逆臣討伐の功績を認められ、蜀の民からは
その後、新たな益州刺史として赴任した
だが流民たちの故郷である
李特は、せめて空地を開墾して作った畑の収穫が取れるまで、一年は逗留させてほしいと願い出る。羅尚は朝廷の命令との板挟みもあって明確な許可は出していなかったのだが、答えを出す事をせず暗黙の了解を与えていたとも言えた。ここで出てきたのが
辛冉は羅尚と共に益州に赴任した役人であったのだが、異民族を殊更に警戒している男であった。先の趙廞討伐で暴走気味だった流民軍の一部が
羅尚はその進言を受け入れなかったのであるが、辛冉は独自に軍を動かし、流民たちの逗留地を奇襲したのだ。
武勇に優れる李特たちは、その奇襲を返り討ちにするも、その事によって「益州刺史は我らを殺す気である」と流民たちに火が付いてしまったのである。
時が来れば勝手に去るであろうと、あえて不明瞭な許可で放置していた羅尚は、辛冉の独断を大いに責めたが、当の辛冉は現場で既に戦死しており、ここに至ってはもはや後の祭りであった。
こうして再び、益州刺史に対して李兄弟率いる流民が決起する事になったのである。
だが益州の州府がある成都での決戦を前にして、李特は難民や投降兵を全て受け入れていた。息子である
だが李雄の懸念は現実の物となる。護衛が手薄の機を狙われ、潜伏していた刺客によって李特が討たれてしまったのである。
李特暗殺に成功した羅尚は、それに前後して周辺の州に救援を要請していた。北(
一方で、指揮官を失った流民軍は一気に戦意を喪失し、敵が殺到しつつある事もあって、降伏しようという空気が流れていた。李特の副官役であり弟でもある
だがそんな中にあって戦意を喪失していなかったのが、李特の息子の李雄と、李特の妹の子である
まずは南方の寧州では、現地で反乱を起こしている
その後に李雄は東から攻め寄せる荊州軍の正面に防衛陣を
そして同時に梁州での大勝を聞いた流民軍の主力も李雄の陣に続々と合流。それを待っていた李雄は一斉に攻めに転じて荊州軍を散々に打ち負かし、前線で指揮を取っていた荊州刺史の宗岱をも戦死させるに至ったのである。
こうして三路の援軍が
元々の優柔不断な性格と、戦乱が続いた事からくる重税と労役を課していた羅尚への反感は日を追うごとに民の中に募っていた。
一方で李特を始めとした流民軍は、統制が取れていない事から来る騒動は勿論あったが、それらをしっかりと罰する事が出来ると示し、また自分たちが困窮してでも民に食糧を配る義侠の集団であった。民が与えた「関羽・張飛の再来」という言葉は、決して武勇だけの意味では無かったのだ。
そうした中で起こった李特暗殺の一件も、羅尚側は姑息であるという印象を民に与えてしまったのである。
もはや勝利の目は無いと諦めた羅尚は、失意の内に成都から撤退した。
流民軍を兄・李特に代わって率いていた李流は、李雄を次の頭領に指名すると間もなく病没。歓迎する民の喝采を受けながら、新たな頭領として堂々と成都に入城した李雄は、成都王を名乗り、間もなく「
その後、寧州の州境にある
話してみれば彼らが降伏を決断した理由は「例え忠に背く事になろうと、故郷の民への仁と侠を守りたい」という事だった。それはまさに、李雄の父・李特を始め、流民たちを見捨てなかった李兄弟の考えに沿う物だ。互いに同じ考えの元に生きていた両者が意気投合するのも早かった。
こうして広漢李氏の李釗、李秀の兄妹は、成の皇帝となった李雄を大いに支える事となり、特に兄の李釗は皇太子・
成を建国した李雄の統治は蜀の地に三十年の平和をもたらしたが、彼が崩御した後には大いに乱れる事になった。
成に暮らしている民は、漢人だけでなく、氐族、羌族、匈奴といった胡人、更には帰順した南蛮もいた。中には元々盗賊だった者たちや、
そうして国力が衰退した成は、長江を遡って侵攻してきた東晋に滅ぼされ、およそ半世紀の歴史に幕を下ろす事になる。その頃に李秀たち、そしてその子孫がどうなったのかは歴史には記されていない。
しかし李釗、李秀の兄妹が、同じ志を持つ李雄という名君に仕えられた事は幸福であったと言えるであろう。
その心はひとつ。蜀の民の為に……。
要塞少女 水城洋臣 @yankun1984
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