もうひとつの鏡
「法律的なことしかお手伝いできない」と言われていた司法書士の野口さんから連絡を受けて僕は戸惑った。財産分与で不備があるのか。もっとも僕の取り分の財産というのは古川のアトリエの相続で、そちらは引き続き松元さんにお願いしているはずだった。
「お久しぶりです」
「遺産の分与は終わったはずですが」
「そうなんですけどね…。柿崎さんはお会いしたことがないと思いますが、先生が大学で教えていた時の助手をしていた櫛田さんという方から、例の作品について分かったことがある、と連絡をくれて」
どういうことだろう。僕は首を捻った。
「それで、その櫛田さんの話って?」
「うん…『月詠の鏡』以外に、松元さんがもう1つ、横井翠庵の作品で手放したモノを探しているんですってよ」
野口さんの話に僕は戸惑った。
「手放したモノ、ねえ」
「柿崎さん、馬淵萌々香さんのこと知ってる?」
知っているも何も、会ったことがある。あまりいい印象はないから出来ればもう二度と会いたくないというと、野口さんのため息が聞こえた。
「実は、古川のアトリエに関する、未払いのお金があったそうで…。松元さんの話だとその、モモカさんが作品を売っちゃったらしくて」
「はあ…」
資金作りか、と、僕はうんざりした。
「松元さんは長く先生の助手をしてきた、っていう自負があって、途中から転がり込んできた、しかも愛人だったモモカさんとは犬猿の仲なのよ。でも、未払いのお金って結局先生の制作に関することだったから」
「…お金の話を僕にされても」
「いえね、お金の話ではないの。お金は結局、モモカさんが作品を売って返したの」
僕はため息をついた。
「結構いい値で売れたらしい。私もちょっとモモカさんを見直したわ。色仕掛けだけができる子じゃなかったのね、彼女。すごい目利きよ。晩年の先生の作品で売れたものって、モモカさんが関わってるって」
人間、意外な才能があるものだ。
「その作品を然るべきところに売った…横井翠庵の作品を正当に評価して買ってくれる人にねーそれが、モモカさんの秘書としての最後の仕事だったのよ」
「…そうなんですか」
「私はモモカさんには、先生のお葬式の時に会っただけだけど…。あの子本当は先生のところで作品を作りたかったみたい。でも、先生がお金の管理が杜撰で、松元さんも弟子としては優秀だったけど経理は苦手で…。モモカさんは高校は商業科で簿記とかいっぱいビジネス系の資格持ってて、だから秘書にしたんでしょうって櫛田さんが言ってた。でも本当に陶芸の才能はなかったって」
「櫛田さんって僕、お会いしたことないですがモモカさんのことを?」
「櫛田さんはモモカさんの陶芸の先生よ」
本当に美大生だったんだと思わず僕は呟き、野口さんに「何だと思ってたの」と呆れられた。
「秘書だったとしか聞いていませんよ」
「櫛田さんは大学で助手をしながら、高校にも非常勤で勤めていてね。モモカさんは美術部で、櫛田さんが顧問をしていたの」
「詳しいですね、野口さん」
「櫛田さんはうちの旦那の元同僚だからね」
いろいろあるんだと僕は思った。
ここで、野口さんが話の方向を変えた。
「問題は、モモカさんが売っちゃった作品のこと」
妙な話になって来た。だが分からないことが多い。僕は野口さんの話を聞いた。
「それは作品目録にも載っていない幻の作品でね。名前は…これか。”日輪の鏡”」
「うへ?!」
思わず変な声を出してしまった。
僕たちが探しているのは”月詠の鏡”。
萌々香さんが売ってしまった作品は”日輪の鏡”。
「颯乃ちゃんから聞いたけど、”月詠の鏡”っている未発表の作品を探しているんですって?」
「はい。横井翠庵の遺言があったそうで。とある人にその作品を渡してほしいんだそうです」
「見つかったの?」
「いえ」
見つかっていたら話は別かもしれない。だが、”月詠の鏡”の手掛かりは途絶え、おまけに別の未発表作品の話まで出てきてしまった。僕も混乱しているが、野口さんもどうやら混乱しているようだった。
「松元さんの話では、この2つの作品は互いに対になっているのだそうよ」
「松元さんはその”日輪の鏡”とやらを見たことがあるんですか」
「ええ。多分櫛田さんも見ているはず。先生が”日輪の鏡”を焼いたのは大学の窯だそうだから」
”日輪の鏡”の行先が分かったら連絡する、と言われ、野口さんからの電話は切れた。おそらく買い取られたのは最近だろうし、そちらの作品については何も頼まれていない。ただ、”月詠の鏡”の行方の手掛かりになるのかどうかは分からないのだ。
この件にどこまで関わればいいのだろう。
月詠の鏡 さきぱんだ @sakipia-panda
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