颯乃さんの話~「鏡の行方」
馬淵萌々香さんから聞いた「笙子さん」という女性に会いに、颯乃さんは出かけた、らしい。
らしいというのは、その話を聞いたのは颯乃さん本人からではなく高井さんからだったからだ。
「春日井。春日部ではなく」
「ああ…関東の人にはあんまり馴染まない地名だよね。愛知県春日井市、っていうんだ。JRだと中央線、関東の人から見たら中央”西”線かね」
笙子さんの消息については、横井翠庵の長年の弟子だった松元さんという男性が手掛かりを持っていた。もっとも、松元さんも70歳近くの老人で、おまけに耳が遠く、颯乃さんは笙子さんの居場所を聞き出すのに骨が折れた、と愚痴っていた。
横井さんから電話で颯乃さんの話を聞いたその2日後、颯乃さん本人から僕のところに電話がかかってきた。
「連休前半の4月29日に、私は松元さんから聞いた話を頼りに、JRの高蔵寺って言う駅に降りたの。笙子さんの勤務先がその駅の駅前だと聞いたから。
「笙子さん」の勤務先って、私はクラブか居酒屋かしらと思ったんだけど、「モビックス」っていうカラオケとダーツのチェーン店だったんで驚いたわ。ああ、モビックスは全国チェーンだから、茂さんも知ってるよね」
「ありますね。学生とカラオケにいったことあります」
「『笙子さん』はすぐにわかったわ。受付横のダーツコーナーでモップをかけていたベテランパートさんみたいな人で、おばさんの私が言うのもなんだけど、本当に普通のおばさんだった。
「笙子さん」ですかとその人に声をかけると「その名前何で知ってるの」ってすごい勢いで睨まれた。モモカちゃんから聞いたって言ったら、「モモカとはもう関わりたくなかったのに」って…」
通話口の向こうから、颯乃さんの溜息が聞こえた。多分肩も竦めているだろう。僕は話を促した。
「あんた何、モモカの姉さんかなんか?だったらあたし、モモカに貸した2万円をまだ返してもらってないんだけど」
「いえ、私は横井翠庵の娘です」
「笙子さん」は名前を聞いて、「ああ、そっちか」と言った。相変わらず不機嫌だったわね。ひょっとして地雷を踏んでしまったのかって思ったわ。そしたら、
「話があるんだろ。あと15分で上がるから」
首を捻っていると「隣のガストで時間つぶしてて」って言われたの。
「笙子さんって何歳くらいだと思う?」
「いや、僕全然わかんないです」
「多分私より2つ3つ上くらいなんじゃないかな。話の糸口をつかむのに苦労してたら、笙子さん、鬼滅の刃の竈門ネズコのTシャツ着てたからそこから。
私のことは知ってたみたい。”先生のお嬢さんは音大卒だって言ってた”って。驚いた」
「それは驚き…ですね」
「父が私の話をしてたのも驚きだけど、モモカちゃんの話じゃ、笙子さんは独身でクラブホステス歴が長いって言ってたから、結婚して子どもがいるってのが驚きだったわね」
「こども?」
それも意外というか予想外だった。
「笙子さんーああ、笙子ってのはホステス時代の源氏名らしいから、今更その名前で呼んでほしくないって言われた。本名は寺島 万季子さん」
「ふつうですね」
間抜けな返事を返した僕に、颯乃さんは呆れたようだった。溜息が聞こえた。
「ふつうよ。気が抜けちゃうくらいね。旧姓は和泉さん。奥さんをなくした子連れのご主人と結婚して、アミューズメント施設のパートのおばちゃんをやっていると笑ってた」
颯乃さんが万季子さんに、「父の愛人ってあなたですか」と尋ねると、万季子さんは呆れたように言ったそうだ。
「先生は危なっかしくて、次々に女の人に手を出すからそう思われても仕方ないだろうけど」
父のことを全くと言っていいほど覚えていない僕ですらそう思うくらいだ。だが愛人ではなかったらしい。
「愛人じゃないって言われたら信じるよりほかないでしょう?別に今更責めることもないんだし。万季子さんは、先生の愛人なんかになったら苦労するからごめんだって言ってた」
「本心でしょうか」
「さあね。ちなみにだけど、月詠の鏡自体は万季子さんちにはなかったわよ。ただ…」
「ただ?」
しばらく沈黙があって、颯乃さんは答えた。
「”ハルにツクヨミノカガミを届けてくれ”と言う言葉は、万季子さんも知っていてね」
「…」
「おそらく、月詠の鏡を父は万季子さんに託して、”ハル”って言う人に届けてほしかったんじゃないかと思うの。だけどね」
「万季子さんはツクヨミノカガミという作品を受け取っていない」
「それどころか」
颯乃さんの次の言葉で、僕はますますわけがわからなくなってしまった。
「その作品の名前は知っていても、万季子さんは実物を見たことがない。それに、ここは肝心なところなんだけどさ、万季子さん、”ハル”って言う人に心当たりがないんですって」
どういうことなんだろう。電話の向こうの颯乃さんの溜息が僕にも伝染したらしく、溜息が出た。
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