推し活なんかじゃない。

@pianono

推し活

「私さ、二宮センセー結構タイプなんだよね。」

 日向子が唐突に放った言葉に、私は飲んでいたパックのオレンジジュースを吹きそうになった。

「ええっ!?」

「なんかさ、かっこいいじゃん。あの妙にだるってした感じがさ。」

「いや、でも先生アラサーだよ。流石に10歳近く違う人好きになるっていうのはさ・・・・・・」

 いくら日向子が惚れっぽくて、今までに付き合った男が片手では数えきれないくらいいるからって、そんな10も年上の男となんて。

「待って、早希。なんか勘違いしてない?」

「え?」

「私が二宮センセーのことかっこいい、って言ったのはあくまでも〝推し〟としてだよ。」

「ああ、そっちかあー」

 推しとして好き、というのを聞いて私はほっと胸を撫で下ろした。冷静になって考えてみれば高校生がアラサーの、しかもだらしのなさそうな男に恋をするなんてそうない。

「最近そういうの増えてるよねー」

 推しとして崇められている若い男の先生は、少なくともこの学校ではかなりいると思う。別に、どこかのアイドルのようにずば抜けてイケメン、というわけでもないのだが、先生たちの何かに萌えるのだそうだ。正直なところ、私は皆、男に飢えているのではないかとすら思う。

「やっぱりさ、みんなリア充に夢見て入学してくるけど、実際彼氏として完璧な同級生男子ってなかなかいないわけじゃない。先輩とはあまり接点がなかったりするし。それで今度は先生たちに夢見ちゃうんじゃない?消去法ってやつだよ。」

 そういうものなのか。自分のことなど棚に上げて言う日向子の説明に適当に相槌を打った。日向子は私がこの話題に興味がないと悟ると、全く別のことを話し始めた。

 

 この話をした一週間後。阪口先生という、学校内でも随一の人気を誇っていた先生は掌を返されたように、女子たちから白い目で見られるようになった。日向子曰く、阪口先生のSNSがバレたとのこと。それだけならまだ良かったのだが、誰でも見られるようになっていたこと、そしてその内容が下ネタや数々の愚痴で埋め尽くされていたものだから大変だった。幻想をあっけなく踏み潰された彼女たちは先生を批判の的とし、男子たちもよくわからないが面白がってそれに便乗をするようになった。阪口先生は変わらず学校に来て授業をしているが、これまでと同じように雑談を挟むことも生徒と軽く会話をすることもなく淡々と授業をするのみだ。だいぶ応えているとみえる。

「マジ最悪なんだけど。阪口やめないかなー。」

 昼休み。いつものように私のそばにやってきた日向子は不機嫌そうに唇を尖らせた。

「幻滅したわ。」

「この前まで二宮センセータイプって言ってたじゃん。」

「それはそれ、これはこれ。」

 けろりとして肩をすくめた日向子。おそらく彼女の彼氏が短期間で変わるのはこういうところにあるのだろう。

「みんな言ってるよ。人としてありえないって。」

「そうなんだね。でも、私は───」

 私の声に被せるようにして、スピーカーからピンポンパンポンと放送が入った。噂の阪口先生を呼び出す内容だった。

 私の言葉は行き場をなくし、心の中に舞い戻った。モヤっとした不快感が拭えない。

 心のうちに留まることになってしまったが、本当は言いたかったのだ。


「阪口先生は悪くないと思うんだよね。」

「へ?」

 放課後の屋上。そこを私用喫煙所として使うおじさんの横で私はボソリと吐き出した。

もうこの際、聞いてもらえるのなら誰でも良かった。それが先生であっても、だ。

「どした。藪から棒に。」

「んー、ちょっとね。女子高生怖いなって話。」

「今更かよ。俺は昔っからわかってたぞ。あれはバケモンだって。ってか、お前もだろうが。」

 堂々と生徒の前で喫煙するおじさん──二宮先生は済ました顔で言ってのける。それは私に喧嘩を売っているのだろうか。

「流石に知ってるでしょ。阪口先生の話。あれさ、先生は悪くないんだと思うんだ。」

「その心は?」

「人間なんだからさ、いい面だって悪い面だってあって。わざわざ悪い面だけにクローズアップするのはどうかと。」

「ほう。」

「私たちがやってる先生に対する推し活ってさ、結局は幻想を押し付けることなんだよ。その対象がアイドルとかだったら話まだわかるんだけど。」

「へえ。」

 先生は、いつもこうだ。聞いてるんだか聞いてないんだかわからない相槌を打ちながら、実際はちゃんと目を見てくれているのだ。そして、最後にはガシガシと少し乱暴に頭を撫でる。あの時から、ずっと。


 初めて出会ったのは5年前のじいちゃんの葬式。ちょうど私が小学校を卒業しようかと言う時期だった。葬式に参列していた誰よりも、それこそ私たち家族よりもギャン泣きしていたのがじいちゃんの教え子───二宮せ、二宮さんだった。

 その日を境に二宮さんと私たちの交流が始まった。本来ならそんなことにならないはずなのだが、ばあちゃんと母さんが妙に気に入ってしまったのだ。

 月に一度ほどうちに来てはご飯を食べて少し世間話をして帰る。最初こそは、いきなり家族のようにどっかりと居座る彼に違和感を抱いていたのだが、いつしかそんなものなくなっていた。そしてその頃から、私は学校に行かずに引きこもるようになった。

 いじめとか勉強ができないとか、そういうんじゃない。友達だっていたし、勉強だって運動だってそれなりにできた。でも、急に、いろんなものが怖くなってしまった。信用できなくなってしまった。何を考えているのかわからなかった時や、ちょっとした時に友達の悪口を聞いてしまった時。そんな時はいつも、正体もわからない何かに怯えていた。引きこもってからもどうしていいかわからなくて、でも相談したらそんなことで悩むなんてと言われてしまいそうで、余計に話せなかった。

 でも、二宮さんには話せた。最初はあまり関わりのない人だから、ということで、ポツリと漏らした程度だった。そうしたら、二宮さんはじっと私を見つめて、話を聞き入ってくれた。うまく言葉にできなくても、黙り込んでしまっても、辛抱強く。あの時、「わかるよ」と二宮さんが言ってくれなかったのは大きかった。このもどかしい気持ちを簡単にわかられてたまるか、という意地もあったから。でも後に(私が学校に行くようになってから)、それは自分も言われたら嫌だろうなと思ったからだと二宮さんは言った。二宮さんも学校に行けずに、じいちゃんに話を聞いてもらって行けるようになったことがあったのだと教えてくれた。けれど、私にとって何があったかはどうでも良かった。とにかくあの時に、真剣に話を聞いてくれて、力強い手で頭を撫でてくれた。それが全てだ。


「ま、仕方ないな。こればっかりは。人ってのは欲求を抑え込むために何かにぶつけないとやってらんないんだし。あれだよ、自己防衛。」

「そういうもん?」

「そーいうもん。阪口も本名なんかでSNSやんなきゃいいのにな。」

 それは同感。阪口先生は別の意味で自己防衛できていない。

「ところで、お前はどうなの?」

「私?」

「先生に推し活してないの?俺とかさ。」

 そう言って揶揄うようににっと笑う。逆光のせいか、いつもよりもまともな人に見えた。不覚にも、一瞬ぼぅっとしてしまった。

「・・・・・・してないよ。」

「間があったぞ。」

「するわけないじゃん!」


 私は先生なんかに推し活はしていない。

 推し活は、していない。

 紅く、甘くなる前のリンゴみたいな、雨が降って虹が出る前の空気の匂いみたいな、少しずつ蕾が膨らんでいくみたいな、そんな、うまく言葉で言い表せないような気持ち、推し活なんかじゃ出てこない。


 たぶん、これはきっと。

 推し活以上、恋未満なんだ。


 


 

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