鯨よりも深く

戌井てと

寄り添う一枚となりますように。

 文化祭。

 先輩や同級生が描く、華やかで楽しそうな絵とは真逆に、深い海のなか、一頭の鯨を僕は描いた。

 その前に、女子が佇んでいた。ブレザーのポケットに手を突っ込むことで、気だるさを作っているように見えた。まじまじと見られると、なんか恥ずかしくなってくるなぁ。こういう展示って、ほら、さらーっと流し目にする人が大半だから。


「僕の絵に、なにか?」


 思わず口が動いちゃった。


「これ、君が描いたの?」

「そうだけど」

「どうして?」


 間髪入れずに返しが来る。どうして、とは、描いた理由でしょうか。それとも鯨が大好きで、絵のなかに不服な点でもあったんでしょうか。


「イルカは綺麗に優雅に泳いでると見えるんだけど、鯨はそうでもないように見えて。あぁ、僕の主観だから今言ったことは無視でいいよ」

「そうなの……わかった」


 あっ、上履きの色、赤でしたか。先輩じゃないですか。お気に召す返答になっていたでしょうか。


「ひとり、と聞いて君は何を思う?」


 会話は続くようだ。


「気楽、芯がある、つまらない、ですかね?」

「さびしそう、とかは?」

「思ったことないですねー。先輩はその考えですか?」


 突っ込んでいた手が出された、スマートフォンが握られてあった。指をすいすい動かすと、画面を僕に見せてくる。


「あたしは、さびしそうと、思われる人間らしいよ」


 汚れた体操着、落書きの教科書、水溜りに沈む上履き。自らやったんだろうか、いや、まさか……。それも写真に残す意味が全くわからない。

 これを見せられて、何を返せばいいのか。


「君の言う通り、優雅とは思えないね。だけど、惹かれるものがある。そんな気がする」



 文化祭を境に、先輩は美術室をよく訪れた。決まって僕は、スケッチブックを片手に、先輩の後を追う。

 始めこそは一年が先輩に、それも異性に呼ばれることに抵抗があった。部員たちに何と言われるかヒヤヒヤしていた。気になってはいる部員も居たと思う。だけど話題に上がることは無く、改めて居心地の良い関係だと思える出来事となった。


「今日はここをお願い」


 階段下、掃除用具。そこを指差し、先輩は僕へ頼んだ。


「おまかせでいいんですね?」

「君の絵が好きなの」


 僕を呼び出して、絵をお願いする。明るい色を選べば明るくはなる。だけど乗せただけに見えてしまう。僕が好き勝手に描くものは、基本的に暗い。気に入ってもらえたのは嬉しいけれど、どうしてだろう。


「描いて欲しい場所は、しっかり決めておくんですか?」

「直前のことが多いかもね。普段歩いてて、即決することもあるけど」


 自分の考えには素直に動くタイプだろうか。


「暗いことに、抵抗はないんですか?」

「心地良いと感じてる、今のところはね」


 似てること、似たようなことは、どこか安心できて居心地いいよな。


「出来ました」

「魚が泳いでるのね。ちっちゃくて可愛い」

「普段見てるものが、水の中にあったとしたらって、考えるのが好きで。毎回こんな感じですけど、本当にいいんですか?」


 スマートフォンを構え、先輩は写真を撮る。「君の絵が好きだからね」




 卒業を迎える。

 先輩と会うことはない。呼ばれて、絵をお願いされることも無い。


「これ、渡しておいてって頼まれた。先輩からよく呼ばれてたよね」


 部員から手紙を渡された。手紙の相手は先輩だという。何なんだろう。


 クラス内での、先輩の居場所。辛いこと、寂しいこと、それらを仕方ないと考えないようにしていた事。

 そして、


〝鯨って、音で会話するらしいの。君の絵を見たとき、鯨のこと知ってるのかと思った。綺麗よりも、不気味で不安定なところを見ている君が、気になった。

 君が描くものなら、好きになれる気がしたの。だから絵を描いて欲しいと、お願いした。

 幾つか君からは質問を受けたけど、深い話はしなかったね。君とは似てる気がしたの。鯨みたいに音を出し合って話してる気分がした。あんたの勝手でしょ、って笑っていいよ〟


 先輩が見つけた場所はどれも、水のなかにあるならって、描きやすかった。僕が描くものなら、どれも好きですか? 本当に? 先輩が、その場所を好きになりたかった、そう思えて仕方ないですけど。

 制服のポケットから、スマートフォンを出した。鯨と打って、検索した。生態、鳴き声、鯨を題材にした小説。図鑑。

 大きい鯨なのに、迷子にもなるんですね。先輩、知ってました? なんで鯨に興味があったのか、どこまで知っていたのか。


 同じ海にいるのに、音が違えば会話は無くなる。探してはないでしょうけど、先輩は僕の絵を見つけた。先輩の表情を見ることはなかったけど、写真を撮っているときは、どことなく楽しそうだった。鯨よりも深く。スマートフォンに収められた写真たちが、先輩を笑顔にしていることを、願います。



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