スクールデイズ・クルセイダーズ 《カーニバル・イブ》

琴鳴

1

 クラスメートの澪月雫が異界からやってきた魔法使いであることを、なぜおれが知ったかというと、それはたぶんその夜の月のせいだ。


 おれ、石澤功武は、空を見上げながらアパートへの帰路についていた。

 親父と二人で暮らしているアパートは黒森市の平凡な住宅街の一角にあった。このあたりは、夜の八時にもなるとすでに人通りもなく、まばらな街灯が青白くアスファルトを照らし出している。

 親父が夜の十時前に帰ることはきわめて稀であり、おれとしてはその時間帯まで外をふらついていることは決して珍しいことではなかった。

 不良になるほど子供っぽくはなく、とはいえ品行方正を演じるほどの狡猾さも持ち合わせていないおれとしては、この時間帯まで街のゲーセンで無為に時間をつぶすというのは、まあまあ普通の行動パターンだったわけだ。

 黒森市には森が多い――というより、ここはもともと原生林に覆われていたらしい。それを開拓し、街を作り、学校を作った――いや逆だったか。黒森学園――初等部から大学までを併設するマンモス学園――がまずできて、それから街ができたのだ。

 この都市の住人の大半が何らかのかたちで学園と縁を持っている。生徒として、教師として、学園職員として――そして関連企業や出入り業者の従業員として――

 たとえばおれの父親も学園に文具や雑貨を納入する会社に勤めている。

 このおれも、黒森学園に初等部から通い続け、この春、高等部1年に無事進学した。

 無事――その言葉どおり、何事もなく、当たり前にだ。

 それがいいとか悪いとかはどうでもいい。

 子供のころは、家と学校を往復するだけで、寄り道は悪いことだと教えられ、それ以外に世界があることなんて想像もできなかった。

 実際は、黒森市の外にも世界は広がっていて、いろんな人がいて、いろんな学校もあって――でも、結局のところやってることは大してどこも違いがないに違いない。

 閉塞しているんだ――この世界は――完全に。ガキには選択枝がない。自分で、自分の居所を作ることなんてできない。親がくれた部屋で寝起きし、口を養ってもらい、学校へ通わせてもらっている。学校では学校で、学籍番号で管理され、教師の作ったカリキュラムをこなすことで存在理由を得ている。

 たぶん、この国で生きているガキどもはみんな同じだ。閉じこめられている。家庭に、学校に、そして、まちに。バス代くらいは財布に入っていたとしても、どこまで行けば自分の居所が見つかるかもわからないのに、バスステップに飛び乗れるヤツはいない。

 だから、おれはこうして今日も家に帰るんだ。親父が帰ってくる前にとりあえず部屋に逃げ込んで――朝になったら学校に行くんだ。

 なんのために? さあ? そういう問題じゃないんだ。

 そんなことを月を見上げながら考えていた――んだろうか。よくわからない。ただ、月を見るのは嫌いじゃなかった。黒森市は、工場のたぐいがまったくなく、市の面積の七割が森だから、月がきれいに見える。

 森が描く輪郭が黒く見えている。月はその梢をみおろすように西の空にあらわれていた。

 その日の月は完全な円形で、対象物がないせいかどうか――おそろしく大きく見えた。

 昔見たアニメでは、あの月がスライドドアのように開いて、魔界から妖怪たちがこの世にやってきていたものだ。

 魔界――地獄――あの世――異世界――異界――

 言葉は違えど、その意味するところはひとつだ。

 ここではないどこか――

 そんなものがあるとすれば、だが。

 おれは月に向かって独りごちた。おまえよぉ……自分では光を出してねえくせに、生意気なんだよ、と。38万キロ彼方の彼女にはとても聞こえないような小声で。

 と。

 影が。

 おれは目をしばたたいた。

 なんだ?

 目の前にゴミが――と思ったが、ほんとうは、月をバックに何かの影が動いているのだった。

 それは、ほうきにまたがった女のシルエットだった。

「魔女かよ」

 おれは目を拳でこすった。その手の幻覚を見るほど追い込まれてはいないはずだ、と自問する。

 もう一度月を見てみる。まだ見える。というか、そいつはそんなに遠くない空を、ゆっくりゆっくり、ほとんど浮かんでいるように、進んでいたのだった。しかも――

「澪月じゃないか」

 おれは思わず声に出していた。

 その女の顔は、確かにクラスメートの澪月雫――高等部から編入してきた――のように見えたのだ。

 長い黒髪を背中でたばね、眉はちょっと太めで目元はちょっと少年剣士風にキリっとしている感じ。鼻は高からず低からず、口元は利かん気そうにぎゅっと結ばれている。

 なんというか、真剣な表情だ。

 またがっているのは、学校の掃除道具入れに入っているような伝統的な形のほうきで、黒いマントがはためいているのと、あと、短めのスカートがひらひらしているのが見えた――正確には、そのスカートからのぞいている白くて長い脚が――夜目にもはっきりと。

 高度は10メートルくらいか。電信柱よりは高いが、ちょっとしたビルだと越えるのが難しそうだ。このあたりには、まあ、高い建物はないから大丈夫なのだろうが。

「おい、澪月」

 現実なのか幻想なのかよくわからないうちに、おれは声をかけてしまっていた。

 なぜって、澪月はおれに気づかず、ゆるゆると上空を通過しようとしていて、そのとき、見えてしまったから――

「パンツみえてんぞ、いいのか、コラ」

「えぇっ、うそっ!?」

 過剰な反応があって、頭上でほうきの柄と二本の脚が格闘するのが見え、折り合いがつかなかったのか、それぞれがへんな具合に交差した。角度がかわる。

 それが落下コースだということに、おれ自身気づくのが遅れた。

 みるみる接近してくるクラスメートの顔。そのおびえた顔がちょっと可愛いと思ったのもつかの間、強い衝撃がおれの頭部を襲った。

 幸いなことに、頭蓋骨は人体のうちで最も堅固にできている。脳を衝撃から守るためだ。

 しかし、激突相手もその頭蓋骨だった場合はどうか。最強と最強――さらには重力加速度の影響度――

 火花がほんとうに飛んだ。

「いつつつつ」

 おでこを押さえながら、黒衣のクラスメートは道に座り込んでいた。ほうきは柄の根本から折れてしまっている。

 それにしても、なんて格好だ。黒いドレスにマント、帽子はとんがり、喉もとには黒のチョーカー、コスプレにしてもベタすぎる――魔女の正装。

 しかも、非常識にも空を飛ぶなんて……あれ? おれ、いまとても混乱している?

 だが、おれの口から出たのはひどく平凡な言葉だった。

「お……おい、澪月、ケガないか?」

っ ふりかえった澪月は涙目で、おれのことを非難がましくにらんだ。

「もっ……もおっ! 急に声かけないでよっ! また課題失敗しちゃったじゃないっ!」

 これが、異界の魔法学府エリュシオンから黒森学園にやってきた澪月雫とおれとの、改めましての邂逅だった。

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